おわりに

 皇祖神 天照大神を祀る伊勢神宮には、

外宮先祭げくうせんさい外宮先拝げくうせんぱいといったならわしがある。かの神宮の内宮に祀られるのが 天照大神であり、外宮に祀られるのが 豊受大神であった。

 かの慣しが行われる所以は 食物神たる豊受大神に天照大神への食事の準備御飯炊きをお願いするためとも言われるが、その役割は 第33代 推古女帝の名の一つと近似。かの女帝の和風諡号は、"豊御食炊屋姫尊とよみけかしきやひめのみこと"といった。

 豊受大神は「天の羽衣」伝承で知られているが、かの伝承を簡単に述べれば、豊受大神ら複数の天女は、天の羽衣を着て天から降りてきて 地上で衣を脱いで水浴びをしていたが、このうちの一柱 豊受大神は、というもの。地域によって後日談に違いはあるが、概ね ここまでの話に差異はなかった。

 皇祖神 天照大神に自らを投影した持統女帝の和歌に、

  "春過ぎて 夏来にけらし 白妙の

        衣干すてふ 天の香具山"

というものがあるが、

 もしこの見解が正しかったとすれば、持統女帝は かの天女からそのことを歌でほのめかしたことが想定される。

 伊勢神宮には2つのやしろが存在するが、その2つの社は離れており、おそらく その社の一方(内宮)は ものであることが壁越推量された。

 もう一方の社 外宮に祀られる豊受大神は、別名"元伊勢"という。その由来は 神宮が現在地へ遷る前に一時的にせよ祀られた神社の祭神であるからとも言われているが、大方その言葉が真に意味するところは""。

 もともとはこちらが従来の天照大神だったのであろうが、持統天皇によって天照大神の外形が奪われた後、その受け皿として 豊受大神の名が生み出されたのだろう。

 もう一つの歴史書『古事記』によれば、豊受大神は「、外宮の渡相に鎮座したと記されていた。冒頭に挙げた外宮先祭・外宮先拝といった慣しも、"元天照"に敬意を表してのことだったのかもしれない。


伊勢神宮の祭神の変遷(想像)①

 ◎天武天皇の存命中

   太陽神(♂)

    ↑祀る

   大日孁貴神(=推古)

    ⬇️

 ◎持統女帝の時代

   天照大神(=推古)←「天岩戸」付与

    ⬇️

 ◎持統女帝が孫に皇位を譲る

   元天照大神(=推古)

          ↓

     「天岩戸」神話を利用して交代

          ↓

   新天照大神(=持統)   


伊勢神宮の祭神の変遷(想像)②

◎天武期  ◎持統期  ◎持統(孫へ継承)

太陽神(♂)        

大日孁貴神 ➡️ 天照 ➡️ 豊受 :外宮

(=推古)  (=推古) (=推古)

         ↑   新天照 :内宮

      交代 ∟——→(=持統)


 皇祖神を祀る伊勢神宮は20年に一度、全ての社殿を造り替えて神座を遷す"式年遷宮"が行われる。近年では2013年に実施された。

 戦国期の中断や何度かの延期は経験したものの、それは現在まで脈々と受け継がれていた。その記録に残る 映えある第1回目とされるのは、第41代 持統天皇の治世の690年。その真偽の程は必ずしも定かではないが、かの遷宮は約1300年の長きに渡って行われていた。

 式年遷宮が行われる理由は、技術の伝承のためとも、信仰の確認のためとも言われているが、確たる記録がないため正確には不明である。

 ひょっとすると、この延々たる営みも 2人の天照大神が存在することと関係しており、定期的に その2人の位相を交換しているのやもしれない。

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天照大神の中身は 元は推古女帝である。そして、後に持統女帝にとってかわられた 営為つむぐ @eiitsumugu

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