第7話 天武天皇

 壬申の乱の勝者 天武天皇は、その素姓が一部では疑われている。天武天皇は 乱の敗者である大友皇子の身分を曲筆したと憶測されているが、同様に、自らのも改竄したのではないかというのだ。英雄 天武天皇は『日本書紀』全三十巻のうち二巻を占める,いわば主役ともいうべき人物であるが、にもかかわらず、その前半生は分からなかった。

 天武天皇は 第34代 舒明天皇と第35代 皇極天皇の間の子であり 第38代 天智天皇の同母弟とされているが、645年 兄が起こした乙巳の変(蘇我入鹿暗殺事件)には参加していなかった。天武が初めて登場するのは 653年の難波京から倭京への回帰のときであり、本格的に活動を開始するのは白村江の戦い(663年)の翌年から。その間、正史の主役とも言うべき存在は 天武の兄 中大兄皇子,すなわち後の天智天皇。中大兄皇子の活躍は 大化の改新として広く世間に知られている。

 なお、"大化"というのが、日本初の元号である。

 中大兄皇子は 668年即位して天皇となっているが、その約4年後 46歳で亡くなっている。その弟である天武天皇の没年齢や年齢が計算できるような記述は 正史『日本書紀』には残されていないが、後世の史料には 65歳や73歳といった年齢が記されていた。そして、これらの年齢を採用してしまうと、(686年没) 。このことを端として、天武天皇の素姓は疑われ始めていた。

 ちなみに、他史料間(正史『日本書紀』と後世の史料)で年齢を比較すると 2人の年齢は逆転してしまうが、同史料間では そのような逆転現象は生じていない。

 また、天武天皇の直系の血筋は 第48代天皇 称徳女帝をもって断絶しているが、この所謂いわゆる "天武系"という流れは 皇室の祭祀から除外されていた。


 天武天皇の次代 持統女帝は、自らを皇祖神 天照大神に投影したと推察されている。天照大神は 荒ぶる神 スサノオとの間で誓約うけいを行い 神々を誕生させているが、その神の一柱より 更に天孫が生まれていた。

 ここで、神話に当時の状況が反映されているとの仮説を採用し、神々に当時の人物を当てはめていくと、天武天皇に比定されるのは 荒ぶる神 スサノオ。かの神は、天界で大暴れして ・・・


 持統女帝(第41代)

  ‖——⬜︎—— 文武天皇(第42代)

 天武天皇(第40代)


 天照大神

  ‖——⬜︎—— 天孫 ニニギ

 スサノオ

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