第6話 正史『日本書紀』
この国に現存する最古の正史『日本書紀』は、第40代 天武天皇が命じ 編纂が開始された書物である。天武天皇こと大海人皇子は 壬申の乱(672年)という古代史上最大の内乱を起こして至尊の座に就いているが、ために 自らの行為の正当化が必要だったのではないかと概して推測されていた。
大海人皇子は もともと、兄である天智天皇(第38代)の東宮であり 後継者とされていたが(皇太弟)、天智が我が子可愛さのあまり、後に 大友皇子を太政大臣に任命(671年)。このことが後の対立に繋がったと読めるように正史には記されていた。
余聞だが、この時代における太政大臣就任は、最有力の皇位継承候補者という意味合いを有している。
大海人皇子は 兄 天智天皇の崩御後、同格の皇子である甥 大友皇子との争いに勝利を収め 登極しているが、壬申の乱の敗者 大友皇子は 本当は即位していたのではないかと古来より囁かれていた。その主張は 近代 明治になって認められ、大友皇子に弘文(第39代)という
英雄 天武天皇は 天皇を弑逆してしまった,その後ろ暗さから正史編纂を指示し、事実を隠蔽したことが疑われるが、その書物は天武が亡くなってから(686年)、実に30年以上経過した後 完成していた(720年)。時は、第44代 元正女帝の御代であり、彼女は 天武天皇の孫にあたっていた。
ちなみに、『日本書紀』の編纂責任者は、天武天皇の皇子 舎人親王である。
正史『日本書紀』は、神代から始まり 歴代天皇の事績を 基本1人一巻の分量で書き連ねている(全三十巻)。そのうち、天武天皇には二巻が割り当てられるなど、破格の扱いがなされていた。
しかしながら、その歴史書の最後は 天武ではなく、彼の次代である持統女帝のところで締め括られている。彼女の輝かしい事績は、皇祖神の神話に投影されているとも目算されていた。
そして あと一つ 特徴的なことを挙げれば、正史『日本書紀』は、古代史上隆盛を極めた一族 蘇我氏を糾弾する"反蘇我の書物"であった。
なお、書体が 漢文体で、記述法が 編年体であるというのは、言わずもがなである。
編年体…事実の起こった年代順に記す。
紀伝体…個人や一つの国の事柄をまとめて
紹介する。
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