Episode 14.Teacher

 次の日は土曜日だが、ゆとり教育では休日である。よって、今日も午後から飯妻宅にてタッグバトルの練習だ。椋と待ち合わせをしてから行くと、萌が出迎えてくれた。


「いらっしゃい。上がっていいわよ」

「お邪魔するであります!」


 玄関で靴を脱ぐ前に、萌の雰囲気が柔らかくなっていることに気が付いた。


「お邪魔しまーす。お、いつもと髪型違うんだな」


 腰のあたりまで垂らしていた黒髪を、今は二つに分けておさげにしている。


「家では纏めていた方が楽なだけ」


 柔らかくなっているのは雰囲気だけで、声や表情は無機質なままであったが、廊下を歩く足取りは軽やかだったように見えた。


 リビングに通され、椋はまるで我が家のようにゲームの電源を点ける。


「お前、自由だな」

「? 何がでありますか?」

「いや、何でもない」


 これがお嬢様育ちというやつか。それともただの天然なのか。どっちでもいいか。


 主である萌は椋の行動を気にせず、鼻歌を歌いながらコーヒーと紅茶を淹れてくれた。帰りが嵐にならないことを祈る。


「そんなことより青海殿。女性の乙女心に気付いてあげられるとは、なかなか隅に置けないヒモっぷりでございますな」

「人聞きの悪いことを言うな。よく分からんが、姉がいるからじゃね?」


 パンッ! 音がした方へ振り向くと、萌がファミリーパックのお菓子袋を破裂させていた。どう開けようとしたら破裂するのだろうか? 散らばったカントリーマウムを拾い集めたにも関わらず、俺にはココア味しか渡されなかった。


「そんで、今日はコンビネーションの練習だっけ?」

「そのつもりだったのだけれど、気が変わったわ。その前に別の特訓をするわよ」

「別の特訓? しかし、コンビネーション以外に何を特訓するでありますか?」


 椋の言う通りだ。タッグ戦でコンビネーションの練習をするために、わざわざ萌の家にまで来ているのである。


「個人のレベル上げ、つまりはガードの特訓よ」

「それは今やることなのか?」

「昨日の段階で、簡単な空中コンボは形になっていたわ。問題はコンボ始動技を、どうやって相手に当てるかよ」

「それとガードに何の関係が?」


「話は最後まで聞く。そこで重要になってくるのが立ち回りってわけ。相手の攻撃を確実にガードして、すかさず反撃をするの。ここでもタッグを組んだ利点は生かされるわ。キングは火力が高いけれども、使いやすい小技は少ないのが難点なのよね。それを補うのがレオよ」

「俺?」

「あんた次第で戦況は大きく変わるわ」


 そう言われて悪い気はしないが、かなり責任重大である。つまり、俺がコンボの起点となって、椋を勝たせるわけね。実用的な作戦だったため、椋は興味津々だった。


「具体的には、どのような戦略でありますか?」


「ブライアンのストマックブローについては、ひとまず対処できるようになったわよね? そうすると相手が次に必ず出してくる技が、下段のスイーパーキック。これはガード崩しとして使われるのだけれど、ガードされると硬直するの。レオで下段ガードをした後、立ち途中Rで相手を浮かしてキングと交代。バウンド時にも交代してレオが相手を壁に叩きつけた後、また素早く交代してキングの壁投げでフィニッシュ。というのが理想のタッグコンボよ。上手くいけば、体力の半分以上を削ることができるわ」


 説明が長すぎて眠たくなったが、椋はちゃんと内容を把握したようだ。


「勝敗は青海殿が鍵となっているのですね」

「ネズミ、これはあんたの立ち回りと、青海の火力不足を補うためにやっていることなのよ。それをちゃんと自覚しなさい」

「い、イエッサーッ!」


 気が緩みかけた椋に、萌が気合を入れさせる。勝たせてもらおうなんて思わせないあたり、飴と鞭のバランスが絶妙である。


「で、ガードの練習ってどうやるの?」

「今からプラクティスモードであたしが攻撃するわ。それをタイミング良く、ひたすらガードしていなさい」

「え? それだけ?」

「それだけよ。はいスタート」

「ちょ、いきなりかよ!」


 ダッシュ攻撃を防いでよろめいた隙を突き、即座に足払いをかけられた。


「ダウンした時の立ち回りも大事よ。あえて攻撃を受けることで、相手と距離を取る方法もあるわ」


 急いで立ち上がろうとすれば、手痛い追撃をくらってしまう。状況を見極めての転がり、立ち上がり反撃、レバーを後ろ斜め下で入力するその場でのガード。地面に接するタイミングでボタンを入力すれば、受け身を取ることもできる。


 そして萌がアドバイスした方法を入れれば、実に様々な選択があるのだ。瞬時に判断することは難しいため、ジャンケンのような運要素もある。一朝一夕で身に着けられるほど甘くはなく、俺は何度もボコボコにされた。


「次はネズミよ」

「イエッサーッ!」

「ちょっと外で休憩してくる」


 長時間ゲームをした経験があまりないため、すぐに目が疲れて気分が悪くなってしまう。外へ出ると、新鮮な空気が肺を満たしてくれた。ここは三階だが周りに高い建物が無いおかげで、遠くの景色を見ることができる。


 山をじっと見ていたら、段々と気分が良くなってきた。もう戻ろうかと思っていた矢先、どこかで聞いたような凛とする声に呼び止められる。


「あなたはもしや、鼠田椋のお兄さんですね?」


 振り返るとそこには、椋の担任の先生がいた。燃えるように赤く情熱的な長髪に、圧倒的な破壊力の胸。威厳のある佇まいと母性に満ちた眼差しは、良く見るとかなりの美人だ。しかし、警察に突き出されそうになった恐怖を思い出し、俺は咄嗟にとぼけるフリをする。


「……あっれぇ? どこかでお会いしましたっけぇ?」

「覚えていないのですか? では、改めて名乗りましょう。私は多々良簪(たたらかんざし)と申します。妹さんが在籍している中学校の担任教師です。あなたの名前を伺ってもよろしいですか?」


 ヤバい、ガッツリ覚えているよ……。確か椋とは親戚だという設定になっていたが、ここで本名を言うべきなのか迷う。


「あー、名前ね……。どうして教えるんですか?」


「相手が名乗ったら、自分も名乗るのが礼儀でしょう。しかし、それ以前に鼠田椋の家庭事情について、少しお話をしたいと思っております。よろしければ、私の部屋に来てくださいませんか?」


 なんだ、この人っ⁉ 予想よりもグイグイ来るな! 本当の素性がバレるわけにはいかない。 なんとかして逃げなければ。


「いえいえ! せっかくのお誘いですが、女性の部屋に男性が入るのは紳士的に、そして倫理的にいけませんよ!」

「私を女性扱いしてくれるのは嬉しいのですが、これは身内であるあなたにとっても、大事な話なのでは?」


 情に訴えかけられては、兄妹同然に育ってきた親戚として断るのは不自然だ。もう腹を括るしかない……。


「そ、そうですね。分かりました」

「では、こちらへ」


 案内された部屋は、なんと飯妻宅の隣だった。知らず知らずの内に危険な橋を渡っていたとは……。己の迂闊さに身震いした。


「ここでお待ちください」


 萌の部屋と同じ間取りだったが、ここの居間はテーブルだった。あまり遅れて心配をかけてはいけないので、萌宛てにメールを送信する。


件名:無し。

本文:ちょっとウエハース買ってくる。


 ……特に理由が思いつかなかった。


「お待たせしました」


 メールを打ち終えると、ほどなくして多々良さんがお茶を淹れて戻ってきた。俺の対面に座ると、なんだか取調べみたいで落ち着かない。


「どうもお構いなく」

「では、先程の続きです。あなたのお名前は?」


 偽名を名乗るべきか悩んだが、母方の親戚なら違和感は無いと判断し、本名を名乗ることにした。


「……大河原青海です」

「大河原……? もしかして大河原水面さんの御親族ですか?」


 意外な人物の名前が出たことに動転する。もしかして知り合いなのか? だとしたら、下手に嘘を吐かない方がいいな……。


「姉ですけど、どうしてそれを?」

「教育実習をしていた時に、仲良くなった教え子です。よく連絡も取り合っていて、つい最近も会ったばかりです」


 ぬかったぁ……。これでは、ふとした拍子に姉が親戚のことを訊かれたら、嘘だということが知られてしまう。


「大河原さんもこのマンションに住んでいらっしゃるのですか?」

「いえ、友達と遊びに来ただけです……」

「そうでしたか。わざわざお時間を取らせていただいて申し訳ありません。さっそく本題に入りましょう。大河原さんは椋さんの従兄ということでしたが、その後の事情を把握していますか?」


 面談のためか、多々良さんは丁寧に質問してくる。それでも事務的に感じない受け答えが不思議だ。


「本当は把握するべきなんでしょうけど、従妹はその辺を話したがらなくて……」

「では、妹さんの御両親がネグレストだということは御存じで?」


 椋の親が育児放棄……? 俺の親父とは違い、過保護な家庭だと勝手に思っていた。いや、過保護だとしたら学校帰りにゲーセンには来ないか。


「…………。それも知らなかったとなると、これ以上のことを話すのは躊躇われますね……。失礼ですが、あなたと椋さんはどのくらい仲が良いのですか?」


 どのくらいって……どのくらいなのだろう? そもそも、俺には学校で仲の良い友人がいない。


 小学校で萌と離れて、イジメからは姉に守られて。遊ぶ相手もいないので学校が終わればすぐに武術の稽古をして。少しでも強くあろうとして、自ら周りに壁を作って。そうしていつの間にか俺は、人を信じられなくなっていた。


「俺は椋がもっと小さい時からの遊び相手でした。お世話役にも近かったため、信頼されていると自負しています」


 だからこんなにも、平気で嘘が吐ける。


「…………あなたの立場も複雑なのだと予想した上で一つ質問ですが、あなたは妹さんに怨みや妬みといった感情は無いのですか?」

「あるとしても、それは鼠田家に向けられるものであって、椋には関係のないことです。できれば、もっと椋の力になりたい」

「では、妹さんに無償の愛を届けられると、私に約束してくれますか?」

「勿論です」


 言い切った。要するに、いつものように仲良く接すればいいのだろう。それならば簡単だ。ゲームセンターに行けばいい。あそこは楽しい場所だ。


「……信じましょう。あなたのおかげで私も家庭の事情が知れて良かったです。どうか、あの子のことをよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ親身になっていただいて恐縮です」

「それは教師ですから。生徒には平等に接するべきでありますし、この問題をどうしたらいいのか考えていました。つくづく、自分の力の無さを恥じています」


 こんな人が本当にいるんだな。生徒のことを思いやれる教師なんて、ドラマや漫画の世界にしかいないと思っていた。多々良さんが担任というだけで、椋は恵まれている。


「それは俺も同じです。あまり卑下しないでください」

「……すみません。話は終わりです。ご協力、感謝します」

「また機会があれば、ぜひ妹の学校での様子を聞かせてくださいませんか?」

「いいでしょう。いずれ必ず。あ、それと帰り道にはお気を付け下さい。駅裏で通り魔事件があったそうです。この頃、多発していますから」


 俺が高校の教師に疑われた通り魔事件か。その件については嫌というほど詰問されたので、早く忘れようとしていた。駅裏ということは、電車通いの俺にとっても他人事ではないな。


「ご親切にどうも。じゃ、また」


 玄関の扉を閉め、速攻で飯妻宅の扉を開けて中に入る。不用心だが、鍵が開いていて本当に良かった。


「お帰りであります!」


 リビングから聞こえる椋の声。慌てて鍵を閉める。


「た、ただいま……」


 わざわざゲームを中断したのか、二人して出迎えてくれた。


「遅かったわね。何かあったの?」

「いや、なんでもない」


「凄い汗でありますね。休憩をしていたはずでは?」


 椋の担任に会って教育相談を受けていたとは、本人がいる前で口が裂けても言えない。なんとかして上手い言い訳を思いつかなければ。


「……ウエハースを探して町中を走り回ってたんだよ」

「で、そのウエハースは?」

「売り切れだった……」

「何しに行ったのよ……」


 明らかに嘘だと勘付かれていたが、運良く呆れて追及してこなかった。……俺もゲームして忘れよう。

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