Episode 10. School

 次の日の放課後、俺はゲームセンターではなく私立中学校に来ていた。


 椋のことが心配だったので、少し様子を見たかったのだ。しかし会ったとしても、なんて声をかけたらいいのか分からない。会えばなんとかなるだろという、希望的観測でしか考えていない。それでも行動することに意義があるのだと思う。


「あれ誰ー?」


 校門前で立ち尽くしていたせいか、間抜けそうな女子中学生に人差し指を向けられた。


「見ちゃ駄目っ」


 隣にいる大人びた女子中学生が、間抜けそうな背の低い女子中学生の目を手で隠す。男子高校生に喧嘩を売るとは、最近の女子中学生はいい度胸してやがる。これとない機会なので、彼女らに訊き込みをすることにした。


「おい、ちょっといいか?」

「ん、何ー?」

「反応したら駄目よ梅ちゃん!」


 やはり思春期だけあって、変質者への警戒心が強い。育ちも良さそうだし、一筋縄ではいかなそうだ。そこで俺は秘密兵器を取り出した。


「ほら、プッチョあるよ」

「わーい♪」

「知らないおじさんから食べ物を貰っちゃいけません!」


 おじさんじゃねぇよ。


「鼠田椋って女の子を知っているか? 確かこの学校のはずなんだが……」

「知りません」

「クラスメイトだよー」

「他人の個人情報を漏らしたらいけません!」


 将来が不安になりそうな思考回路だが、話を聞き出すには都合が良い。そんな子をついつい世話したくなる友達の心境も理解できてしまうあたり、俺もいつの間にか毒されていたのかもしれない。


「もしかして今日は学校に来ていないのか?」

「掃除当番なだけですけど、あなたと鼠田さんとの関係は何ですか?」


 え、なんだろう? 俺と椋は友達なのか? だけどゲームセンターでしか会わないし、知り合いの域を超えないんじゃないか? そもそも何で俺は、たかが知り合いのことを心配しているんだ?


「あははーっ! グラサンーっ!」


 考え込んでいた隙に、梅とかいう名前の間抜けそうな女子中学生にサングラスを奪われてしまった。中途半端に肩まで伸びた黒髪が、生意気に鼻孔を擽る。


「あ、テメ、返しやがれ!」

「やーだよー♪」

「待て、この野郎!」


 天真爛漫なのはけっこうだが、あのサングラスは俺のアイデンティティなのだ。校内に逃げ込まれる前に、なんとか捕まえてやる!


「不審者はどこだ!」


 教師らしきスーツ姿の女性が薙刀と弓を持って現れたのを視認し、すぐさま反転して逃亡を図る。赤色の刺々しい長髪に、豊満なボディ。身に纏うオーラからして、あれはかなり強い。


「先生、あの人です!」


 あのビッチJCめ、チクリやがった!


「我が愛しの生徒に手を出すとは命知らずな……。成敗!」


 女性教師は薙刀を構え、凄まじい速度で猪突猛進してきた。学校の制服を見られては後で特定されるし、俺も武道を昔かじっていたから逃げ切れないのも分かってしまう。ここは、こうするしかない!


「すいませんでした!」


 地面に額を擦り付け、中学生が見ている前で一世一代の土下座をした。捨て身の謝罪が同情心に響いたのか、とりあえず女性教師は止まってくれる。


「賢明な判断です。潔良いのはいいことだ」


 お? これ見逃してくれるんじゃね?


「が、許す気はありません。最後の言葉はそれだけですか?」


 クソっ、やっぱりそこまで甘くなかったか。ここは逆に被害者ぶり、情けを請おう。


「あの小娘にサングラスを奪われて、取り返そうとしただけなんです!」

「下手な嘘を吐きますね。そんな証拠がどこにある?」

「あははーっ! 暗―い!」


 言っている内に、俺のサングラスを奪った先程の少女が目の前を通過した。


「…………」

「ほら、証拠が歩いてるじゃないですか!」

「ん、ゴホン。これは失礼。生徒には私から強く言い聞かせよう」


 このタイミングを逃すな! 話が変わる前に、逆ギレして疑いを有耶無耶にしてしまおう!


「じゃ、そっちが間違ったってことですよね……」

「は?」

「俺は何も間違ってないですよねっ⁉」

「あ、ああ、そうだな。私の勘違いだった」


「……謝ってくださいよ」

「え?」

「そっちが間違ったんなら、謝ってくださいよ!」

「す、すまない……」


 勝った……。土下座していた地面から立ち上がる。


「じゃあ、もういいでしょ。さっさとサングラスを返してください」

「いえ、その前に訊きたいことがあります。どうしてこの学園の近くに来たのですか?」


「なんすか? ちょっと気分転換に下校ルートを変えちゃ駄目なんすか? たまたま通りかかって、サングラスを奪われた俺の方が悪者なんすか?」

「…………いいでしょう。今すぐサングラスを取り返してきます」


 意外とチョロイなこの女。とりあえず撤退して、今度は飯妻と作戦を考えよう。


「って、多々良先生! 逆ギレに押されてどうするんですかっ⁉ 確かこの人、鼠田さんのことを探していました!」


 このクソビッチがぁぁぁぁ―――――っ!


「それはどういうことですか?」


 多々良と呼ばれた女性教師が、ズイッと詰め寄ってくる。


「いや、その、あれです……」


 あまりにも予定外な事が立て続けに起こりすぎて、今更になって舌が回らない。眼光鋭い情勢教師と目を合わせることもできず、冷や汗が止めどなく溢れてくる。俺はこんな所で終わってしまうのか?


「あの、何かありましたか?」


 諦めかけていたその時、探していた鼠田椋が現れた! 神はまだ俺を見離しはしなかった! まだツキは回っている。


「よう、椋! 助かった!」

「ど、どうして青海殿がここにいるでありますかっ⁉」


 よし、お互いに名前を呼び合っていることから、少なくとも知り合いだということは第三者にも伝わったはずだ。問題は、俺がどういう了見で会いに来たのか。それだけだ。


「お二人はどういう関係なのですか?」


 改めて訊かれると、どうしても首を傾げてしまう。それは椋も同様だったようで、すぐには答えられずにいた。


「どうって…………」


 状況の把握ができていない椋には、なるべく口を開かせたくない。俺は素早く関係をでっちあげる。


「親戚です」

「えっ――?」


 驚きの声を上げようとする椋の口に、一指し指を添えて押し止める。ただの兄妹では、一瞬で血の繋がりが無いとバレてしまう。そうなることを見越して、あまり不自然ではない従妹という設定だ。複雑な家庭環境をチラつかせれば、深くは踏み込んできないはず。


「おかしいですね。全く似ていませんが?」


 一層険しい表情で、俺と椋を見比べる女性教師。俺は必死に弁明をした。


「あなたの目は節穴ですかっ⁉ ほら、金髪でしょ!」

「ふむ、確かに……」


 実際は染めているのだが、相手には見分けがつかないようだ。料金をケチらず美容院で染めて正解だったぜ。


「いや、明らかに染めてますよ!」


 このクソビッチがぁぁぁぁ―――――っ!


「何っ、そうなのですか?」

「そんなわけないでしょう! ほら、見て下さいよ俺の目を! これが嘘を吐いている人間の目に見えますかっ⁉」


 さっきからバリバリ嘘は吐いているけど、今更この態度を変えることはできない。顔を近づけ、気迫で納得させてみせる!


「…………哀願する子犬のような瞳ですが、本当なのですか鼠田椋?」


 一瞬たじろぐ反応を見せはしたが、椋に確認を取れば速攻で身元が知られるのだった。こればかりは椋頼みだ。なんとか誤魔化してくれ!


「ただの親戚でありますが、兄妹のように育ったのは本当でありますね」


 愛してるぜ。


「生徒が言うのなら信じましょう。ただし、二度は無いと思いなさい」

「はい……」


 あたかも反省したかのように頷く。なんだかこの女性の前では、自分が小さな人間に思えて仕方がないのだ。後ろめたい気持ちを隠すように、そそくさと学園の敷地内から出る。


「今日は眼鏡かけてないんだな」


 いつもの牛乳瓶の底みたいな分厚い丸眼鏡ではなく、最初に見た時のように裸眼だった。翡翠色の瞳が輝き、少し大人びて見える。


「あ、あれはゲームをする時だけであります! 放っといてください!」

「家はどっちだ? 送っていく」


 なるべきここから離れたいのと、椋を一人で帰すのは心配だったため、家の近くまで送っていく提案をした。椋はあっさりと了承する。


「こっちであります」


 彼女の小さい歩幅に合わせ、ゆっくりと歩く。


「さっきはありがとうな。助かったよ」

「青海は我輩を元気づけるために、わざわざ学園へ迷い込んできたのでありましょう? なら、椋が青海を助けるのは当たり前であります」


 ここは褒めるべきなのだろうが、気恥ずかしいので椋の頭を手で撫でる。彼女は照れながらも、されるがままだった。


「そういえば、お前のクラスメイトと話したぞ。ゲームセンターとは縁の無さそうな感じだったな」

「それはそうでありますよ。下校での寄り道は禁止されていますから。先生に見つかったら、大問題であります」


 あー、確かに頑固で厳しそうだったもんな。俺の身内にもいるよ。


「そんなリスクを負ってまで、お前がゲームをしようとしたキッカケは何なんだ?」


 大した理由でなければ、こんな少女がゲーセンに入り浸りする必要も無い。なるべく社会の悪意から遠ざけたい。それでも、少しの希望を添えて訊いてみたかった。椋はゆっくり語り始める。


「我輩は小学生の頃からゲームが好きでありました。初めは格ゲーなんて野蛮だと思っていましたけど、誰かと対戦できるのが羨ましくて、ついプレイしてみたら負けて悔しくて、深みに嵌っていったという感じでありますね」

「対戦できるのが羨ましい? どうしてだよ」


 俺なんか、しょっちゅうボコボコにされてるぞ。


「我輩はお嬢様育ちでして、何をするにも危険だからという理由で好きなことができないでありました。唯一の娯楽は親に内緒でやっていたゲームだけ。一人寂しくゲームをするのが物足りなくなってしまい、中学に上がると同時にゲームセンターへ行ったのであります」


 こいつは居場所を求めていた。ふらふら彷徨う俺とは異なり、確固たる意志を持ってゲーセンにまで足を運んだ。その居場所を奪う権利は、誰にも無い。


「もう一度、ゲーセンに戻る気はあるのか?」

「……もう一日だけ、考えさせて欲しいであります」


 決して自惚れているわけじゃないが、俺が戻ってきてくれと言えば、彼女は再びゲーセンに戻ってきてくれそうだった。しかし、それでは駄目だ。椋は一人で抱え込みすぎなため、少しくらいは頼って欲しいという気持ちもあり、俺は余計な言葉を口にする。


「確かに簡単な事じゃない。でもそれは単純な事だ。またゲーセンで待ってるぜ」


 既にあの場所は、俺達の居場所なのだから。


「は、はい」


 もう話すことは無いのだが、家まで送り届けると言ってしまった以上、ここで別れるわけにはいかない。俺は微妙な距離感を保ちながら、なるべく椋の顔を見ないように歩いた。何故か呼吸が上手くできない。


「あの、もう家がそこなので、ここまででいいであります」

「そうか。それじゃあな」


 あえて、また明日とは言わなかった。


「はい。今日はありがとうございます」

「当然のことだ」


 手を振り、俺は駅のある方向へと向かう。


 空を仰ぎ見ると、ムカつくほどに青かった。

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