Episode 8.Worry

 それを黙って見送った後、隣にいる萌が勝負を持ちかける。


「どうかしら? 記念にあたしと一戦しない?」

「いつまでもあの時の俺と思うなよ……」


 いつもより空いているということもあり、簡単に対戦台を確保することができた。さっそくコインを投入すると、チャレンジャーの文字が映し出される。


 萌の使用キャラは風間仁という、鉄拳の看板キャラクターだ。攻守のバランスに優れており、新人から玄人まで使える人気キャラである。


 普通は上半身裸に黒パンツのスタイルなのだが、萌の操るそれは特攻服のような長ランを身に纏っていた。後ろからスタンドが出てきそうな格好である。メッチャ強そう。


「おい、承太郎がいるぞっ⁉」

「これはファイトマネーで手に入る衣装よ。気にせずかかって来て」


 なら遠慮せず行かせてもらう。


 試合開始と同時に、間髪入れず飛び蹴りを放つ。ガードはされるが、レオが戦いやすい距離を保つことができた。相手の攻撃をガードし、発生の速い連弾で地味に体力を削る。自分のゲーム運びが良くできたと思っていた矢先、受け流しで逆にダメージを負ってしまった。


「中距離を得意としているキャラが、レオだけだと思わないことね」


 萌の操作する風間仁も、あらゆる距離に対応できるオールレンジ型。それは知っていたはずなのに、自分のことで頭から抜け落ちていた。己を知ったのならば、相手も把握しなければいけない。それは戦術において、基本的な事だった。


 その後も俺はカウンターの受け流しを恐れ、積極的な操作ができなかった。ぎこちない動きをしている間に確定反撃がヒットし、空中コンボでやられてしまう。


「受け流しは上段と下段攻撃で突破することができる。臨機応変に対応すること」


 今は対戦相手だと言うのに、萌はありがたく懇切丁寧に攻略法を教えてくれる。だったら好意に甘え、そうさせてもらうぜ!


 始まった二ラウンド目。俺はさっそく下段攻撃を仕掛けるが、


「まぁ、だからと言って対策は万全だけどね」


 しゃがみガードされ、また確定反撃を受ける。浮き上がる体に拳と蹴りを何発も受け、壁に勢いよく叩きつけられる。萌はさらに攻め立てるチャンスだったのだが、こっちの出方を窺っているようだった。


 正面から向かって行っても、受け流しがある。受け流しを嫌って上段下段攻撃にしても、しゃがみガードで確定反撃だ。どうしたらいい?


 刻一刻と過ぎていく時間。


 極限状態で俺がとった行動は、とても単純な選択肢だった。ダッシュRP。上中下が駄目なら、受け流しできない程の強い技で馬鹿正直に真正面から叩き潰す! その作戦といえない作戦は功を奏したようで、相手は頭から地面に崩れ落ちた。


「同じ手が二度と通用すると思わないで」


 萌の言う通り、意表を突けたから成功しただけで、もう一度やるには避けられるリスクが高すぎる。しかし選択肢は増えた。今度は突っ込むフリをして下段攻撃などの、フェイントを織り交ぜればいい。今から逆転は難しいが、これなら対等に戦える。


 さらに意気込んでいると、視界の端に椋の姿が過った。


 何か震えている……?


「ちょっとタンマ、椋の様子がおかしい。対戦相手は誰だ?」


 試合を中断して萌に確認をとると、最悪の答えが返ってきた。


「あの時の頭おかしいキモデブ眼鏡よ……」

「それヤバくないか⁉」


 俺達の言うキモデブ眼鏡とは、俺と萌が久しぶりに再会したゲーセンにいた奴のことだ。話しかけたら急に狂い出し、謎の変態的な言葉を残して去っていったのである。


 そんな危ない奴と対戦していては、椋に悪影響を及ぼしかねない。俺はすぐに仲裁へ入ろうとしたが、萌に肩を掴まれて止められた。


「まぁ、待って。これも勝負の世界よ。あたし達は見守ることしかできない」


 萌の言うことは正論だ。たかがゲームで心配しすぎなんだ。なのにどうして、こんなにも胸がザワつくんだ? 俺は信じることしかできないのか……?


 キング対ブライアン。一ポイント差で椋のキングが負けている。そしてこのラウンドで負けたら、椋は敗北してしまうのだ。それでもプレイしている椋は落ち着こうと意識しているおかげで、三ラウンド目では少しだけ優勢だった。しかし、心成しか椋の手つきが焦っているように見える。


「あっ!」


 しゃがみ状態での3RPをブライアンの9RKで避けられ、そのまま空中コンボへ移行してしまった。体力を半分以上も失い、壁に叩きつけられる。壁を背にしている焦りもあって、椋は接近戦を嫌がり、大技で相手との距離を空けさせようとする。

 しかし、それがいけなかった。相手は横ステップで技を避けると、難なくキングの懐に侵入して拳を腹に埋め込んだ。


 俺もやられたことのある、ブライアンのストマックブロー。初心者の俺は混乱してガードができなかったが、中級者の椋は対処法を知っているはずだった。ステージの壁さえ背にしていなければ……。


「そんな……」


 俺は驚愕する。


 ストマックブローを受けると、数歩だけ後ずさることができる。その生まれた距離のおかげで、二発目をガードすることができるはずのだ。しかし壁を背にしていることで、その距離が生まれない。


 つまりブライアンは、発生から直撃までの時間を短縮して打ち出すことができるのだ。いずれは向きが変わるのだが、さっき空中コンボを受けたのでその余力は無い。キングの残り体力は見る見るうちに減り、試合は終わった。


「くッ!」


 連チャンしようとする椋を阻止するため、急いでコインの投入口を手で塞ぐ。


「何をするでありますかっ⁉ その手を退けるであります!」

「奴とはあまり関わらない方がいい」

「負けたままではいられないであります!」


 あんな卑怯というよりも、姑息な手段でやられては黙っていられないだろう。リベンジしたくなる気持ちも痛いほど解るのだが、そんな理由でゲームをしていては泥沼に嵌っていく可能性があった。


 そう俺に教えてくれた萌も、剥れる椋を宥めてくれる。


「その心意気は立派だけど、プレイを観察してからでもいいじゃない。 少しは頭を冷やさないと、勝てる試合も勝てなくなるわよ?」

「む~~っ!」


 萌の意見が理に適っていると見て、椋は頬を膨らませながら地団駄を踏んだ。すると後ろから、一心ファ乱さんが名乗り出てくる。


「クローチェさんの仇はオレがとるよ。戦い方を参考にしてくれ」


 一心ファ乱さん自ら、ブライアンの対処法を見せてくれるというのだ。上級者の萌よりも腕に自信のある心強い彼なら、椋の目の前で相手を倒してくれる。そうすれば椋の怒りも、自然と治まるだろう。


 しかし、そんな考えは甘かった。


「でゅふふふ……」


 聞く者を不快にさせる笑い声と共に、対戦台の向こうからキモデブ眼鏡が現れたのである。


「ぼくチンの勝ちだ」


 勝ったからなんだというのだろうか? いいからプレイを続けてろよ。


「今からチミは、ぼくチンの嫁なり!」


 えええええーーーーーーーっ!! 何それ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!


「いやいやいやいやいや、それはいくらなんでも訳が分からないだろうが!」


 椋を守るように、キモデブ眼鏡の前に立つ。すると相手は烈火の如く怒り出した。


「黙りゃああああああああああっ! ぼくチンに負けたということは、ぼくチン以下だということだっ! 雑魚は大人しくぼくチンの命令に従ってればいいんだよっ!」

「てんめっ……!」


 もう我慢できない。ぶん殴ってやる。理性という鎖を引き千切り、社会のゴミクズに飛びかかろうとしたら、寸での所で一心ファ乱さんが俺を羽交い絞めにする。


「待て、落ち着くんだ。こういうのは相手にしないで、スタッフに任せた方がいい」


 呼ぶまでもなく、騒ぎを聞きつけて男性スタッフが来た。仕事が早いようで遅い。


「またあんたか」

「やあ、マスター」


 何? 知り合いなの? 常連だとしても気軽すぎるだろ。


「誰がマスターだ。もう二度と来るなって言ったろうが。他のお客様に迷惑だから、さっさと帰れや」

「それでは失礼っ!」


 スタッフが凄むと、キモデブ眼鏡は逃げるように去って行った……。温度差がありすぎて呆けてしまいそうな場面だったが、一つだけスタッフに質問しなければならないことがある。


「あの人はなんなんですか?」


 キモデブ眼鏡の対応をしていた態度から一変し、顎髭のスタッフは親切に答えてくれた。


「昼間から来てたのでニートか何かだとは思いますけど、私共もよくは知りません。ただ、あの性格ですから、過去に他のお客様と揉め事を起こしていまして。出禁にしたはずなのですが、目を離すといつの間にか店内にいるんです。お客様も見かけたら気をつけてください」


 もう既に遅いのだが、スタッフはさっさと仕事に戻ってしまった。

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