Episode 4.Tutorial

 次の日の放課後、俺はショッピングモールの近くにある喫茶店で待ち合わせをしていた。店内は洋風で清潔だが、建物自体が古いのだろう。どこか下町っぽさを感じさせた。店のマスターは無言でグラスを拭いている。


「お待たせ。少しは勉強してきた?」


 遅れてきた飯妻が、自然と俺の向かい側に座る。


「ああ、言われた通りにネットで調べてきた。コンボ表も写メったぞ」


 昨日の夜、飯妻からメールでそう指示されたのだ。夜遅い時間帯にメールが来たので、夜中にパソコンで作業していたら姉に心配されてしまった。疾しいことだと勘違いされてたらどうすんだ。


「読み方は分かる?」

「いや、分からない。この数字とLKとかってなんなんだ?」


 何かの暗号にしか見えない。どうやって解読するんだろう? 飯妻はそんな初歩的な事でも、丁寧に教えてくれた。


「数字はパソコンのテンキ―を模して、見やすくレバーの方向を表しているの。五はニュートラル。何も押さない状態ね。LP、RP、LK、RKというアルファベットは、それぞれ左パンチ、右パンチ、左キック、右キックに対応しているわ。WPというのはダブルパンチよ」


「なるほど、確かにこっちの方が見やすいし、覚えやすいな」


 これでいちいち右斜め下パンチと説明しなくてすむ。3RPと言えばいい。


「コンピューターと対戦するだけなら、コンボさえ覚えれば楽しめるわよ。だけどあんたは対人戦で勝ちたいんでしょ? ならその先のステージに行かなければならないわね」

「その先?」


 コンボさえ覚えれば対等に戦えると思っていた。しかしそれは、単なる入り口でしかなかったらしい。


「あんた、格闘ゲームの最初の印象は何?」


 唐突な質問だな。素直に思ったことを伝える。


「豪快な技で気分爽快なジャンルなんじゃないのか? その分、操作が難しいんだろ?」

「そういう勘違いをしている人は多いのよ。確かにそれを売りにしている企業もあるし、操作が複雑な格闘ゲームもあるわ。だけど、鉄拳はそのどれにも含まれない」


「どういうことだ?」

「あくまでも、他のゲームと比較するとよ? まず、鉄拳には必殺技がないわ。格闘ゲームにはよくある人気の逆転システムなのだけど、鉄拳は残り体力が僅かになると攻撃力がアップする、レイジと言うシステムがあるだけ。操作も単純な八方向のレバーと、四つの打撃ボタンだけでしょ?」


 そう改めて言われてしまうと、確かに単純だと思う。しかしそれがゲームの魅力だとすれば、かなり微妙だろう。


「それって面白いのか……?」

「だったら、どうして鉄拳を選んだのよ?」

「目についたからだ」


 格闘ゲームなら何でもよかった。それで飯妻と出会えたのは、偶然よりも奇跡に近い。


「まぁ、台数が多いから、仕方のない事ね。それだけプレイ人数が多いという事よ。何故こんなに人気かというと、駆け引きという戦略性が重要視されているからね。それを説明するには、フレームという概念を理解する必要があるわ」


「フレーム? そんなのあったか?」


 聞き慣れない単語だ。公式ホームページでも、そんなものは見当たらなかった。


「フレームはポケモンの努力値みたいなもので、攻略本とかでなければあまり公表されていないシステムよ。だけど対戦では、かなり重要なファクターとなるわ。これさえ理解すれば、ブライアンのハメ技も通用しないはずよ」


「見てたのかよ。で、そのフレームってのはなんだ?」


「フレームというのは、鉄拳における時間の最小単位のことよ。一秒間に六十コマの静止画を並べて動かしてあり、その一コマをフレームと呼ぶわ。例えば発生十二フレームの技なら、発生が六十分の十二秒で、約0.2秒の技だということ。五フレーム有利な状況というのは、相手より六十分の五秒だけ早く動き出せるわけね」


 後半から何を言っているのか、意味が全く分からなかった。分からないものは分かろうとしても分からないので、話を進めることにする。


「それがどう関係していくんだよ?」


「つまり、ブライアンのストマックブローである1RPは十五フレームだから、ガードすれば自分が七フレーム有利になる。例え一フレーム以内でも有利な技なら、牽制することができるのよ。ハメ技というのは理論上、存在していないことになってるわね」


「でも攻撃もガードもできなかったぞ?」


「それはあんたが焦って、初心者にありがちなガチャプレイをしているからよ。攻撃がもろにヒットしたら相手の方が七フレーム有利なんだから、ボタンを押しても反応しないのは当たり前でしょ。レバーを後ろに倒していれば、二発目はガードできる。単発だし、空中コンボにはならないわ」


 そういえば焦りすぎて、レバーやボタンをガチャガチャと適当に連打しまくっていた。初心者にありがちだということは、かなり恥ずかしい行為なのだろう。


 それは後で反省するとして、今はそれよりも飯妻の記憶力に驚いている。


「お前どのキャラの、どの技が何フレームなのか、全部覚えているのか?」

「流石にそこまでは覚えていないけど、経験としてなんとなく予測しているだけよ。崩しや始動技には限りがあるわけだしね」


「ガードを極めろってことか?」

「一番いいのは避けることだけど、まぁ最初はその方がいいかもね。ガードをして十フレーム以上有利になったら、確定反撃をすればいい。そこで覚えた空中コンボが活躍するのよ」


「確定反撃? それはどういう状況で発生するんだ?」


 その単語はコンボ表を調べる時に見かけたが、それをどういう場面で使用するのかが分からない。


「ブライアンのリフトアッパーをガードすると、一六フレーム有利になるのよ。そこで十五フレームの昇砲というレオの浮かせ技を使えば、そのまま空中コンボに移行できるってわけ。このように鉄拳というのは、間合いと駆け引きで勝負が決してしまうシビアな世界なのよ」


 それを一瞬で判断できるだけの知識も経験も、俺は持ち合わせていない。


「見た目以上に奥が深いな……。動体視力とレバー操作が大切なのか」

「理論を学んだら、次は実戦あるのみね。ゲーセンに行きましょ」

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