Episode 3.Memories

 飯妻の手に導かれて女子トイレの窓から抜け出し、離れた公園まで全力で走った。


「すまない、助かった」


 膝に手をつき呼吸を整える。見ると飯妻も肩で息をしていた。


「どうしてあたしが、見ず知らずの男を助けなきゃならないのよ?」


 こっちは知っていたというのに、飯妻は俺のことを覚えていないらしい。苛められていた彼女を助けていた俺が、今は彼女に助けられているのも変な話だからだろう。


「お前、俺が誰だか知らないで助けたの?」

「金髪グラサンに知り合いなどいないわ」


 そりゃそうだよな。サングラスを外す。


「俺だよ、大河原青海。幼稚園の時に一緒だったろ?」


 名前を言っても信じられないのか、飯妻は無遠慮に俺の顔をまじまじと見つめている。永遠にも感じられる時が流れると、ようやく飯妻が過去の俺との面影を認識した。


「あんた、本当にあの大河原青海なの?」

「そうだよ。久しぶりだな」


 驚愕の表情をされたが、覚えてくれていたようで良かった。


「一体、何があったのよ……?」

「見ての通りだよ」


 開き直っている俺の態度が気に入らないのか、彼女は俺から目を背ける。


「チッ……。こんなことなら助けなければよかったわ。あのまま捕まって、警察に自首して更生させてもらったら?」


 正体が分かった途端に舌打ちとか、感動の再開はどこ行った?


「じゃ、なんで助けたんだ?」

「あたしは曲がったことが大嫌いなのよ。そして今回はあんたの方に正当性があり、無罪を主張する証拠人はあたししかいなかった。その場で傍観するくらいなら、知らない人でも助ける。それだけのことよ。まさか逃げるハメになるとは思いもしなかったけど」


 あの泣き虫だった飯妻萌が、心身ともに成長している。印象はクールになったけど、優しさはそのままだった。


「雰囲気は変わったけど、もーちゃんは根っ子のところは変わってないな」

「む、昔のあだ名で呼ばないでくれる? というか、あなたが変わりすぎなのよ。学校までサボってゲーセンなんて、学生としてクズすぎるわ」

「それはお互い様だろ。せめて制服は脱げよ」


 飯妻は俺とは違い、有名な進学校の制服だ。ワンピースのようなレトロっぽさが人気の、可愛い制服である。しかし、それを飯妻のような背の高くてクールな女の子が着ると、大和撫子のような凛とした雰囲気があった。


「あたしの学校は創立記念日だから休みなのよ。あなただって下は着替えてないでしょ。そんな中途半端な変装、店では通用しないんだから」

「休みなのに学校へ行ったのか? 間抜けだな」

「うるさい。もう帰る」

「ちょっと待ってくれよ」


 イラッとさせてしまった飯妻を引き止めるため、思わず腕を掴む。このまま帰すわけにはいかない。飯妻はギロッと睨んだ。


「何よ? 手を離して」

「俺にゲームを教えてくれ」

「はぁ? どうしてあたしが?」


 そう言われると、俺も何故こんなことを幼馴染に頼み込んでいるのか分からない。女子中学生に負けたと告げるのも、プライドが邪魔して駄目だ。当たり障りのないことを言っておくしかなかった。


「上手くなりたいんだけど、イマイチ操作性が分からないんだ。飯島は上級者なんだろ? 初心者の俺に教えてくれよ」

「どうしてゲームで強くなりたいのよ?」


 女子中学生に復讐したいなんて、口が裂けても言えない。ここはそれっぽい台詞で、どうにかして誤魔化すしかなかった。


「強いって、何だろう……?」

「ボクシングでもやってれば? あんたにはお似合いよ」


 ヤバい、ふざけすぎた。理由を隠しつつ、今こそ本音を打ち明けるべきなのだ。背を向ける飯妻に叫びかける。


「負けず嫌いなんだよ! 弱いままではいられねぇんだ!」


「さっきの男に復讐したいってことかしら? 喧嘩を売ってきたのは相手だけれど、先に胸倉を掴んだあんたにも非はある。諦めることね」

「いや、その男とは関係なく、純粋にゲームを楽しみたい」


 確かに俺にも悪い部分はあった。それは認める。だがそれは気にしていても仕方のないことだし、さっさと忘れるべき出来事なのだ。怒るとか、憎むという感情は持ち続けていると疲れる。ただし、あの女子中学生だけは別だけどな!


 その言葉をどう受け取ったのか、飯妻は暫し思い悩んでいる。


「どういう気の迷いかは知らないけど、分かったわ。受け持つ」


 ようやく飯妻から了承を得ることができ、俺は心の中でガッツポーズをとった。これで右も左も分からない初心者から脱出できる。


「恩に着るぜ」

「ただし、明日からよ。そしてちゃんと学校に通うこと。いいわね?」

「う……分かった。連絡先を交換しとこうぜ」


 アイフォンを取り出し、バンプというアプリで連絡先を交換した。使いこなすのは難しいが、こういう時は楽でいい。ついでにラインにも登録されただろう。


「明日の放課後、ショッピングモールにあるゲーセンに来て。後でまたメールするわ。それじゃあ」

「ああ、また明日」


 こうやって萌とまた会う約束をするのが、なんだか酷く懐かしかった。


× ×


 まさかのトラブルがあったせいで、その日は二時間目から学校の授業に出席。その授業の教師は問題児と関わるのが面倒なのか、それとも無関心なのかは分からないが、その場では遅れた理由を深くは追及してこなかった。


 しかし、放課後になって帰ろうとしたところで担任に捕まってしまった。俺としてはかなり自然だったのに、担任から見れば挙動不審だったらしい。昨日と同じく職員室で説教。遅刻の理由を訊かれる。


 遅刻常習者の俺にとって、そのありきたりな質問は予想の範囲内。朝から五時間以上もあれば、完璧なアリバイを立証することができる。怪しまれずかつ、説得性のある理由。考えて、考えて、考え抜いた末、編み出したのがコレだ。


「すいません。歩いている途中で、ちょっとお腹痛くなっちゃって……」


 自然の摂理とも言える生理現象を、頭ごなしに叱ることはできない。我慢できずにトイレへ駆け込んだ俺にこそ、正当性があるのだ。もしそれを否定するのならば、道端で脱糞を強要したのと同義。今度はこっちから教育委員会に訴えてやるまでよ!


 ……という腹黒さは表に出さず、なんとか解放された。今日はもうゲームをする気分じゃないし、このまま真っ直ぐ家に帰ろう。


 電車に乗りながら、偶然再会した幼馴染のことを思い出す。


 飯妻と初めて出会ったのは、保育園での送迎バスだった。地元の町に保育施設が無いため、仕事で忙しい親が育児を丸投げしたのである。甘ったれだった俺は家族と離れるのが心細くなり、送迎バスに乗せられる直前に泣き叫んだ。


 しかもバカ親父はそれを予想していたので、全く俺に説明せず、無理やりバスに乗り込ませたのだった。俺は訳が分からないまま、知らない人にどこかへ連れて行かれる絶望感に嗚咽を漏らしていた。


 少し涙が治まってから車内を見回すと、自分と同じ年頃の子供達がたくさんいた。みな同様に、表情が暗い。温かい親元からの手を離れ、自分で自分の身を守らなければいけなくなったのだ。まるで谷底から落とされたような恐怖心は計り知れなく、幼い心では不安の許容量が爆発していた。


 しかし俺はそれを見て、安堵した。泣いているのは俺だけじゃないと、安心していた。むしろ新しく乗車してくる子供が泣き叫ぶのを見て、みっともないとさえ思っていた。自分のことは棚に上げて。今思うと、自分にプライドが生まれたのは、その時かもしれない。同世代より大人っぽく見られたいというのも、子供らしい考え方だが……。


 そんな時だった。飯妻が例に漏れず、泣きながらバスに乗ってきたのは。そして偶然、俺の隣へ座ったのだ。俺は時間があったから、泣き止むことができた。だけど彼女は、バスが着くまでに泣き止めないかもしれない。


 そう思うと、自然と彼女の頭を撫でていた。見上げる彼女の濡れた瞳が、よりによって俺の悲しそうな顔を映している事に気づき、俺は無理やり笑顔を見せた。別に変顔をしたつもりは無いのだが、彼女も安心したように笑い、俺の手をギュッと握りしめた。


 どうしてそうしたのか、今となっては自分でも分からない。でも、ずっと俺から手を離さなかった彼女のことを思えば、それで良かったのだ。そして俺と飯妻は仲良くなり、一日中遊んでいたのだった。記念すべき、友達第一号である。


 昔を懐かしんでいると、目的の駅に着いた。降りて家まで歩く途中、携帯の振動が鳴る。メールを確認すると、飯妻からだった。家に帰ったら、自宅のパソコンで鉄拳の基礎的なゲーム性を予め学習しろとのこと。


 暫く会わない内に関係性が逆転しているような気もするが、これも何かの縁だろう。あの頃にはもう戻れない。それでも、これから少しずつ修復していけばいいのだ。また明日に会う約束をしたのだから。

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