第14話 人類が全員平和ボケしていれば争いはなくなるだろうか

 ひとまず、洗面器で入浴を済ませたかしゅみとイオリをリビングまで連れて行き、タオルの上に載せる。二人揃って今はハンカチを体に巻き付けてビスケットをかじっているところだ。こうして比較対象があってはじめて分かるが、かしゅみは少々食べ方が汚い。そして早い。イオリはと言うと、ゆっくりと味わうようにビスケットをかじるおかげで食べかすがその辺りに散らばったりしないのである。イオリが特殊である可能性もあるが、これは躾をするべきか――ちらりとそう思うものの、かしゅみが聞く耳を持つ姿が想像できない。


「イオリちゃんはお行儀がいいんだねぇ。」

「そうです?」

「うんうん。話し方も丁寧だし、妖精もいろいろなんだね……。でも皆、地球侵略を考えてるの?」

「ちきゅーしんりゃく?」


 イオリはきょとんと晴奈を見上げる。お互いに首を傾げている状態である。かしゅみだけは我関せずといった様子で袋から新しいビスケットを一枚取り出している。晴奈は思わずかしゅみの頭を上から優しく人差し指で押した。


「んみっ。」


 鳴き声に頬を緩めている場合ではない。


「かしゅみ君、地球侵略するんだよね?」

「うん!」

「元気の良いお返事ありがとう。なんで?なんで侵略するのそういえば。」

「えっ。えー……その、かしゅみたちようせいさんが、よりよいかんきょーで、せいかつできるようにするため……?」

「なんで疑問型なの?」


 イオリはビスケットを食べる手を止めて深く感じ入った様子で頷いている。


「そういうことだったんですね……!じゃあ、イオリもしんりゃくするです!」

「やったー!なかまふえたー!」


 彼らなりのごっこ遊びなのだろうか。それとも、本当に生活環境の改善を求めているのか。だとしたら彼ら妖精という生き物はどんな生活を強いられているのだろうか。


「妖精さんって生きていくの大変?っていうか妖精って普通にいるものなの?」

「ふつう、ではないかもねー。いることはいるんだけどね。いきていくのはケッコーたいへんかも?」

「いっぱいいるわけではないです。ウワサでは、ちゃんと妖精をあつめてホゴしてるばしょもあるらしいです。」

「妖精を保護……?なにその圧倒的癒やしの空間は……。」


 目の前にいるかしゅみやイオリのような生き物が集まって生活してる図を想像して、晴奈はうっかり口の端からよだれを零しそうになった。慌てて口元を引き締める。そういう話をしているわけではないのだ。この不思議生命体がなぜ平然と闊歩しているのか、そもそもこの世界の生き物なのか。知りたいのはそこだ。


「君たちはどこから来たの……?」

「イオリは、だいろくきょじゅーくちかくのもりで、おともだちといっしょにいたです。でも、きゅうにできたおとしあなにおちて、きづいたらこのあたりにいたです。」

「待って。……待ってね?」

「いお?」


 イオリの言う「だいろくきょじゅーく」とは音のとおりであれば恐らく「第六居住区」だろう。しかしそれはなんだ。疑問が増えるばかりである。別の国にもしかしたらそういう場所があるのか?しかし、住所というには少々名前が無機質すぎる。まるで地名ではなく管理番号だ。もちろん、この地球上に晴奈の知りもしない事情を抱えた国々があることは承知の上だが、落とし穴に落ちて気付いたらここにいたとはどういうことか。ひたすらに荒唐無稽な話ではあるが荒唐無稽の権化のような生き物が目の前に二匹居る。もしかしたら、本当に――


「いわゆる、異世界から来たとかそういう感じ……なの……?」

「そうかもしれないです。だからこそ、はぐれたおともだちをほうっておけないです。」

「えぇぇ……!?かしゅみくんもなの!?」

「いってなかったっけ?」

「言ってないよ!聞いてないもん!本当なの!?」

「じつはよくわかんないんだー。でも、たぶんちきゅうじゃないところからきました!」


 目眩がする。今更も今更だが、本当に地球外生命体だったなんて。それを問い詰めずに飼育してしまった自分も恐ろしい。この気の抜けた顔を見ていると途端に思考力が低下してしまうのも原因のひとつではあるが、それにしたって迂闊すぎる。


「はるちゃんさん、きょうはほんとうにありがとうございました。」

「え?」

「イオリ、こんなにしっかりごはんをたべたのはひさしぶりです。」


 ぺこり、とイオリは小さく頭を下げる。そんな風に無邪気に感謝されると晴奈はどうしても無下にできない。礼儀正しいまん丸お目々の妖精の頭を指先で優しく撫でる。いおいお、とかしゅみとはまた違う鳴き声が愛しい。


「イオリちゃんは本当に良い子だね。君も飼い主が見つかったら魔法のおまもり渡したりとかするのかな。」

「おまもり?そうですね……でもイオリはまほうがつかえないので、ただのおまじないになっちゃうです。」

「……魔法、使えないの?」


 イオリが不思議そうに首を傾げる。


「妖精はまほう、つかえないです。」


 かしゅみのビスケットを食べる手が止まる。そしてもそもそと体に巻き付けていたハンカチを頭から被り始めた。ハンカチを摘まんで軽く引っ張っても頑なに被るのをやめない。


「かしゅみくん。何してるのかな?」

「こころをおちつかせています。」

「心を。……ねぇ、かしゅみくん。なんでかしゅみくんは魔法使えるの?」

「…………かしゅみくんトクベツなようせいさんなので……!」


 嘘っぽいのは分かる。しかしかしゅみにとってどうしても隠しておきたいところなのだろう。晴奈は自分の頭がパンク寸前なのもあってそれ以上の追及をひとまずやめることにした。しかし今度こそ後回しにはしないように、せめて夏休みの間くらいまでにはもう少しこの小さな侵略者の正体について突き止めたいところである。


「イオリちゃん、今日は良かったら泊まっていって。お友達を探すのはまた明日にしない?」

「そうさせてもらうです。はるちゃんさんはやさしいですぅ。」


 晴奈の指にくっついて頬ずりをするものだから、今度こそ晴奈の口元は完全に緩みきってしまうのだった。



●●●



 次の朝、イオリは晴奈と共に家を出た。そのまま晴奈のところに住むかという話にもなったが、イオリ自身がそれを断ったのだ。はぐれたお友達を探し出すまではなるべく定住しないと決めているらしい。かしゅみがダラダラと自堕落にしているのと比べると、できすぎなくらいしっかりした妖精である。せめて今日の食事に困らないようにと持たせた素焼きのアーモンドを一つ抱えてイオリは旅立った。どうしても困ったら嘉村家に戻ってくると約束して。そして――晴奈は今、夏休み前残すところ一日となった学校から帰ってきた所である。リビングのソファに座り、目の前には金平糖を抱えてかじるかしゅみの姿がある。これは結局のところ正体不明のままの侵略者である。


「地球侵略かぁ。……より良い環境で生活するためって言ってたけど、具体的にどうしたいとかあるの?」

「かしゅみのおやつをつくる人と、かしゅみにおやつをはこぶ人と、かしゅみといっしょにおやつをたべる人、それからかしゅみとまいにちあそんでくれる人だけのへいわでやさしい世界にしたいですね!」


 昨日のハンカチを被って震えていた姿はどこへ行ったのか。元気よく侵略の計画どころかマニフェストもどきを掲げられてしまった。


「つまり人間をかしゅみ君に奉仕する種族にしたいと……?」

「よくわかんないけどたぶんそう!」

「そっかぁ……。」


 このちんまりした生き物が社会のヒエラルキーの頂点にいる世界。とても実現するとは思えないけれど、万が一実現したらきっともう社会全体がゆるゆるになって、人類は総じて平和ボケする。それはなんだかとても――


「いいかもしれない……。」


 満面の笑み。これはまずい。本当にまずい。またこうやってかしゅみを甘やかしてしまう。これが社会の頂点になったら確実に人類は滅ぶ。社会が成り立つはずがない。しかし、しかしだ。どうせ実現しないなら――――少し夢を見るくらいならいいかもしれない。


「はるちゃんはがっこうもいかなくてよくなるね。かしゅみとおやつ食べたりあそんだりしてようね!」

「かしゅみ君万歳!侵略して!」

「するー!」

「そうだ!夏音ちゃんがセーラー服作ってくれたから明日着ようね。」

「わーい!あしたがたのしみだなぁ。」


 ほら見てかわいいでしょ、とセーラー服を見せる晴奈と、それに喜んで小躍りするかしゅみ。今日も嘉村家は平和そのものである。

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