第13話 植木鉢はいつから憩いの場になったのか
「嫉妬だなんて……考えてもみなかったなぁ……。」
――人間、生きていると予想もしていなかったところで恨みを買いますから。千虎の言葉が頭をよぎるのはもう何度目か。大きくため息をつく晴奈の目の前で、残っていたジュースを飲み干した夏音は缶をテーブルに叩きつけるように置いた。
「ていうか!ぶつかってきたって何?せめて謝ったんでしょうね!?」
「その後柳川さんの方が階段から落ちたし、それどころじゃなかったよ。」
「それはそれでしょ!もー!腹立つ!」
夏音が自分よりも憤慨しているおかげか、晴奈の怒りと驚きは落ち着き始めていた。自然と他に考えなければいけないことに思考が切り替わる。柳川が晴奈を突き飛ばしたのは完全に悪意だった。そして、その悪意ある攻撃は跳ね返された。――かしゅみのおまもりによって。あの『おまもり』は本当に『本物』だったということだ。
「ていうか、突き飛ばしてきたヤツがなんで落ちるわけ?」
「それなんだけど、かしゅみくんが魔法で作ってくれたおまもりの効果みたいなんだよね。」
「なんて?」
晴奈が病院から自宅に戻り、食事を済ませたあの後。かしゅみはそわそわと、決まり悪そうにお気に入りの金平糖を抱えたまま、普段ツリ気味の眉尻をいくらか下げて口を開いたのだ。それを晴奈は思い出しつつ説明する。
「悪意ある攻撃を受けたときに、その攻撃を相手に八割くらい跳ね返してくれるっていうお守りをくれたの。」
「ゲームの話してるんじゃないんだよね?」
「うん。……私もそんなものあるわけないって思ってたけど、かしゅみくんが確認した限りお守りは効果を発揮した後だったし、柳川さんが本当に私に悪意を持ってたことも分かったから……。あれ、本当にそういう効果のある、本物だったみたい。だから、柳川さんは私を突き落とそうとして、自分が落ちることになったんだと思う。」
きゅっと口を噛みしめて、夏音は手元の缶を見つめている。流石に荒唐無稽な話と呆れられただろうか、そう晴奈が思うと同時くらいに夏音は顔を上げた。
「なによそのヤバいお守り……でも、そこまで含めても、やっぱり悪いのは
「うん。そう言ってた。」
トラブルの原因を作る気などなく、かしゅみはただ晴奈を想っていた。おまもりについて尋ねたときも、かしゅみはキッパリと晴奈を守る以外の目的が無かったことを断言したのだ。
「じゃあ本当に晴奈のせいでもかしゅみのせいでもないじゃん。……無理に希華に謝れなんて言いに行くつもりはないし、怪我したのは気の毒だけど、あたし許せないよ。」
「……ありがと。」
「それに、虫壁先生も晴奈をちょっと贔屓しすぎ。自分の人気とか、考えて――。」
急に口を噤んだ夏音。彼女の視線は晴奈の背後へと向けられていた。足音がする。革靴の音だ。
「こんにちは。嘉村さん、伊原さん。」
彼を好む者にとっては福音のようで、彼を恐れる者にとっては猛毒そのもののような、うっとりするほど優しい声。外テラスのテーブルを囲む二人に声をかけてきたのは他でもない、この学校で最も性別問わず生徒の視線を集める教員。
「こん、にちは。虫壁先生。」
「こ、こんにちは……。」
「どうしたの?二人とも元気が無さそうだけど……。嘉村さんは病み上がりだし、無理しちゃだめだよ?」
にっこり、と寸分の崩れも無い笑顔が向けられ、真っ白な手袋に包まれた手で軽く頭を撫でるように優しく叩かれる。彼に憧れる生徒であればその瞬間に天に昇る心地になるであろうその行為に肌が一斉に粟立つ。呼吸浅く、何度も頷くことしかできない晴奈から、やっと視線が夏音に移る。
「伊原さんも、水分補給はジュースよりもスポーツドリンクとかにした方がいいかもね。」
「あー、ちょっと今日はオレンジジュースが飲みたい気分だったんですよ。先生こそ、熱中症気をつけてね。」
「ふふ、僕らは基本、クーラーの効いた職員室にいるから大丈夫だよ。じゃあ二人とも、まだ通り魔が捕まったって情報も無いし、気をつけて帰るように。」
軽やかに真っ白な手袋をした手が振られる。夏音は手を振り返したが、晴奈は小さく会釈するだけにとどめた。
「……晴奈がずっと虫壁先生のこと苦手って言ってたの、やっと分かった気がする。」
「え?」
「あたし、寸前まで虫壁先生に怒ってたのに――あの顔見たら、急に頭が冷えて……先生のこと好きだなって思っちゃった。それが、ちょっと怖い。」
偶然にもその感覚は、晴奈がかしゅみに抱く感情に少々似ている。
晴奈の持ってきた炭酸飲料は、すっかりぬるくなっていた。
●●●
どことなくおぼつかない足取りのまま、晴奈は帰宅した。道中、夏音と虫壁那哉について話すことはあまりなく、ただ薄気味悪い心持ちを残したまま別れた。そして――晴奈はかしゅみを見つけた日と同じように玄関前の植木鉢を覗き込んでいる。そこにはかしゅみと――見知らぬかしゅみに似た生き物がいた。口から悲鳴の代わりにヒュッという呼吸音が漏れる。
「はるちゃんおかえりー!」
元気よく手をふるかしゅみ。彼によく似た色違いの生き物もぺこりと行儀よく頭を下げる。――動いた。人形ではない。
「待って!?」
「なにが?」
「いやいやいや、おかしいよね!?妖精ってそんなにたくさんいるもの!?急にこんな遭遇率上がる!?」
かしゅみと色違いは揃って首をひねる。かしゅみの分身の魔法とかだろうか。それはそれで問い質したいところではあるが。
「うーん、そんなにたくさんいるわけでもないから、たまたまだねぇ。ラッキーだね!」
「ラッキー……?この植木鉢から生まれてるとかじゃないんだね?」
「そーゆーわけじゃないよ。でもちょうどよくお花もあるし、ひかげだから。ところでポストのうえってあついんだね……。」
「えっ、お尻火傷した?」
「たぶんだいじょーぶ!」
かしゅみの隣に座っている新顔の「ようせいさん」は、よく見るとかしゅみとは色違いと言えるほど似ているわけではないことが分かる。おろおろと不安そうにかしゅみと晴奈を交互に見ている。
「あ、あの……かってにおじゃまして、ごめんなさいです……。」
かしゅみよりも少々大きく丸っこい瞳、グレーがかった薄茶色のショートヘア。再び頭を下げる仕草は、どことなくかしゅみよりも育ちの良さを感じさせる。思わず気にしないで、と笑いかけると安心したようにぽやっとした笑顔になった。かしゅみとはまた違ったかわいさがある。――我ながらチョロい。
「君も妖精さんなの?」
「はい。イオリは妖精です。」
「イオリちゃんっていうんだぁ。かしゅみくんのお友達?」
「さっきおともだちになったよ!」
「つまりほぼ初対面。」
恐ろしいほどのコミュニケーション能力の高さ。すこし分けて欲しい。聞けば、イオリはかしゅみがこの植木鉢の縁に腰掛けてひなたぼっこをしていたら歩いてきたらしく、声をかけてそのまま一緒に話し込んでいたらしい。
「暑いし、とりあえず中でお菓子でも食べる?」
「いえ、イオリはおともだちをさがしているです。そろそろいかないと――」
きゅう、と小さくイオリのおなかが鳴った。空腹らしい。少々煤けた白いワンピースの上からお腹を撫でて、ぺちゃっとその場に座り込んだ。
「うう……なさけないです……。」
「いおちゃん、おなかすいてるとなんにもできないよぅ。かしゅみのビスケットあげるから。ね?」
「おじゃまするです……。」
優しく晴奈はイオリを手に載せた。かしゅみもちゃっかりとその隣によじ登る。――かしゅみ以外にも、謎の小さな生き物が闊歩しているという事実について深く考えるのはひとまず放棄した晴奈であった。
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