第12話 妬み嫉みはよそでやってくれ

 高校生の世界は狭い。特に晴奈の世界は狭かった。大して話したことも無いようなクラスメイトから向けられる視線。通り過ぎた後で後ろから聞こえるささやき声、笑い声――世界の全てから後ろ指をさされているような錯覚に陥る。そんな狭い世界を明るく照らす太陽は晴奈をその目に映すやいなや、飛びついてきた。


「はるなぁぁぁぁぁ!!」

「いたっ、夏音ちゃん、痛いから!」

「うぅぅ、だってさぁ!熱中症で倒れて入院なんてぇ……!ちゃんとお水飲みなさいよぉ!」

「ごめん、ごめんってば……!心配掛けてごめんね!」

「後でアイス買って!いややっぱいいや……そのお金で水買って飲んで……。」

「めちゃくちゃ優しい……。」


 あたしいつだって優しいでしょ!と抗議する姿がなんとなくかしゅみと重なる。再度夏音に謝る頃には、隣の席からも声がかかる。


「夏音、晴奈が倒れて入院したってだけで昨日一日ダメダメだったんだよ。」

「そうなの?」

「大好きな虫壁先生の授業も耳に入ってなかったもんねぇ。」

「うぅ……でも晴奈、先生もすごい心配してたよ。」

「あー、うん……。」


 気付いたことがある。これは恐らく――晴奈が通り魔の被害に遭ったことは生徒には伏せられている。虫壁むしかべ那哉ふゆなりの憂い顔がどれだけ綺麗だったかを話す彼女らに、晴奈は安心した。当然、いまだ捕まっていない通り魔が近くを徘徊している可能性を考えれば注意喚起のためにも晴奈が被害に遭ったことは周知されるべきだ。しかし、晴奈にとっては自分を切りつけた通り魔よりもクラスで浮く方が怖い。加害者は当然目立つけれど、被害者だって同じくらい目立つ。時には同じくらい遠巻きにされるのだ。


「あっ、そういえば……テスト返却も昨日の内に終わっちゃったから、受け取ってない分は放課後に職員室まで自分で取りに行った方がいいかも。」

「そうだった。……まぁ、一気に返ってきた方が手っ取り早いからいっか。」

「あたし無理。そんな一気にテスト返ってきたら心臓もたない。」


 半眼になる夏音に苦笑するも、視線を感じて晴奈はちらりと教室の端へと目を向けた。視線の主――柳川やながわ希華まれかは不機嫌そうにすぐ目をそらす。ここからでは見えないものの、もしかしたら足には湿布が貼られていたりするのかもしれない。心配ではあるものの、話しかけにいく勇気が晴奈には当然ながら無かった。そして、頼るのは目の前の友人である。


「あのさ、夏音ちゃん。」


 声を潜めた晴奈に何かを察したのか、夏音は自然と耳をそばだてる。


「ちょっと相談したいことがあるんだけど、放課後に話していい?今日お昼までだし。」

「いいけど、今だとダメな感じ?まさか恋バナ?」

「違う違う。……でも、後での方がいい。」

「わかった。じゃあ、後で話そうか。今日は天気もいいし、学食の外テラスでお昼食べながらにする?暑いけど。」

「そうしよっか。暑いけど。」




●●●




 夏休み前、半日で授業から開放される特別感は何度味わおうとも気持ちがいい。そんな爽快感の中で無情にも職員室に呼び出された晴奈は、担任の桐生きりゅう常正つねまさからテストの答案をまとめて返却された。概ね平均点以上が並ぶ答案用紙に安堵する。今回も特に目立った欠点もなく中の上程度をキープできている。当然これ以上を目指すべきではあるけれど、今の晴奈としてはこれが全力だった。


「それにしても嘉村、よかったなぁ。なんともなくて。」

「ご心配おかけしました。その、通り魔のことって……。」

「あー、うん。先生達は知ってるけどな。あんまり大騒ぎされるのは嘉村も嫌だろうと思って……。まぁ、通り魔のことは学校からは近くで被害も出たからって注意喚起を継続する予定だよ。」


 その方針でぜひお願いします、と何度も頷く晴奈に常正はついに吹き出した。笑い事ではない。じと、とした視線を向けるとすぐに笑顔のまま謝罪された。これだから憎めない。


「そういえばあの日、柳川さんが階段から落ちたの見たんですけど、大丈夫なんですか?」

「あー、近くにいたんだって?骨に異常は無いし、大丈夫みたいだな。痛いからって体育サボってるけど。……ま、それもこれも受け止めてくれた藤武のおかげだな。アイツがいなきゃ骨にヒビくらいは入ってたかもしれない。」

「そうですか……。」

「お前が責任感じることないよ。」


 常正の様子からいって、柳川は晴奈が転落に関係していることを話していないらしい。それがどういうことなのかは分からないが、ひとまず安心だった。改めて偶然あの場にいた千虎に感謝の念が絶えない。常正は別れ際にもう一度、気にするなと声をかけてくれた。それに曖昧に笑って頷く。先に夏音に相談して、常正にも相談するべきだと思ったらその時改めて話しに来よう。



 強い日差しの降り注ぐオープンテラス。明るい色のウッドデッキで丁度良く日陰になっているところに夏音は座っていた。黒くて長めのポニーテールは艶やかに光を反射するが、その黒さが少々暑そうでもある。晴奈に気付いた彼女は缶ジュースを持っていない方の手を大きく振った。


「晴奈ー、こっちこっち。」

「ごめん。暑いのに待たせて。」

「大丈夫。それよりテストどうだった?」

「いつもと変わらないよ。中の上って感じ。」

「どうしてそう冷静かなぁ。」

「自分へのハードルを高くしてないだけだよ。」


 椅子をひいて座る。ここに来るまでに自販機で買ったペットボトルの炭酸飲料は既に汗をかいていた。で?と夏音は好奇心旺盛な様子で、けれどこちらを伺うように木製のテーブルに肘を突いて晴奈の顔を覗き込んだ。溌剌とした瞳が向けられる。


「相談事ってなに?まさかこの流れでお勉強のことじゃないでしょ?」

「当然。……柳川さんのこと。階段から落ちたっていうのは聞いてると思うんだけど……待って、なにその顔。」


 げんなり、というよりは呆れたような、先ほどまでの彼女の顔から生き生きとした部分をごっそり搾り取った後のみたいな顔をしてから、夏音はツリ目気味のまぶたを閉じた。


「あたしが今どんな顔してるかは鏡見なきゃわかんないけどさ。気になる人ができたとか、そういう話じゃないわけ!?」

「違うって言ったじゃん……。」

「あのときは教室だったから誤魔化したのかと思ったの!はぁ……んで?希華が階段から落ちた話?聞いたよ。クラスでそれ知らない人いないって。」

「そっか。……実は柳川さんが落ちたとき私そばにいたんだけど、直前に後ろから柳川さんがぶつかってきて。」


 夏音の形の良い眉に力が入る。晴奈は続けた。


「舌打ちも聞こえた気がする。それで、私……柳川さんに何か恨まれるようなことしたかなって。夏音ちゃん、なにか知らない?」

「知らない!……って言いたいところだけど、心当たりはあるよ。」

「えっ。嘘、なに?」

「希華、結構ガチな虫壁先生のファンだよ。でも、倫理は苦手。」


 喉の奥がぎゅっと狭くなるような感覚に襲われる。あの日、倫理のテストは返却された。


「あの日倫理のテスト返したときに虫壁先生、晴奈のこと褒めたでしょ?今回点数が良かったねって。」

「うん……。」

「それでじゃない?希華のテストがどうだったかは知らないけど、あの子が虫壁先生から話しかけられてるところなんて見たことないし。」


 ならば自分は、妬みで階段から突き落とされそうになったのか。口角が引きつって、乾いた笑いが漏れた。

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