第11話 お腹すいてると真剣な話ってできなくない?
そっと、優しい――あるいは壊れ物に恐る恐る触れるような手付きで頭を撫でられる。私はずっと昔からその手を知っている気がした。
晴奈が目を覚ましたとき、隣には母・美晴がいた。美晴は見るからに顔色が悪く、しかし目を見開いて、飛びつかんばかりの勢いで晴奈の顔を覗き込んだ。ゆっくりと瞬きを繰り返しながら、状況を整理する。そうだ、確か下校中に――。
「晴奈、大丈夫!?どこも痛くない!?あたしもうっ、晴奈が目覚まさなかったらって思ってぇ!」
「だ、大丈夫だよ……。シー、お母さん、シー!」
声が掠れている。涙目の母に気圧されながらも宥めつつ、目だけで周囲を見る。病院のようだ。晴奈はあの後、どうにかしてここに運ばれたらしい。ついに泣き出したが思い出したようにナースコールを押す母と、その音で駆けつけた看護師からの質問に答え、軽い検査が行われる。その後診察室へ向かう途中、腕に大きな絆創膏が貼られていることにやっと気付いた。
「熱中症の症状も治まっていますし、腕にあった傷もすぐ分からなくなりますよ。」
「よかったぁぁ……!女の子だもん、目立つところに傷なんて残ったらどうしようかと……!」
朗らかそうな老年の医師の診断には晴奈本人よりも未だに鼻を啜っている美晴の方が安心した様子で、晴奈は思わず口元を緩めた。何かにつけて大雑把だったり大袈裟だったりする母だが、真っ先に晴奈を案じて、いつだって味方でいてくれる。気恥ずかしくてなかなか本人に言うことはないが、それでも晴奈は自分の母親が美晴でよかったと本気で思っているのだ。――そのまま帰るに当たって、駐車場まで手を繋ぐという提案は流石に断ったが。
「帰ったらかしゅみ抱っこしてあげなよ。めちゃくちゃ顔真っ青にしてみーみー泣いてたんだから。」
「えっ……見たかったな……。」
思わず零した声に美晴が笑うのが聞こえる。それ本人が聞いたらまた両手挙げて『厳重な抗議』されるよ、とも。それはそうだろうと晴奈も思うが、みーみーと泣くかしゅみ君、絶対かわいい。確信だった。
「どうせあんたが顔出したらまた感動のあまり泣くよ。」
「そうかなぁ。そういえば、警察の人とかとお話ししなくていいの?」
「あたしもした方がいいだろうなー、と思ってあんたが寝てる間に来た警察の人に聞いたんだけど……あんた何か覚えてる?」
「それが……。」
何も覚えていない。それどころか前後関係すら怪しい。確か、クラスメイトが階段から転げ落ちて、それで――悪意を跳ね返すおまもり、そうだ。それについて悩みながら歩いていたら、いつの間にか切りつけられたらしい。悩みながら歩いていたところから先を全く覚えていない。今までの被害者もこんな感じだったのだろうか。倒れて入院した、という話は聞かないので恐らく自分は熱中症だとか貧血だとか色々な要因が重なって病院に運ばれる羽目になったのだろう。
「覚えてないようだったらいい、って言うのよ。何か覚えてるようなら連絡しろって。なんか雑で嫌な感じ。」
「被害者みんなそういう感じだから、警察もいちいち聞いて回るの面倒なんじゃない?」
「どう考えても職務怠慢でしょそれは……。」
呆れたように言う美晴に苦笑する。ぐうの音も出ない。しかし、確かに妙な話ではあるが人見知りの激しい晴奈にとってはありがたかった。目下残る不安は明日、学校で確実に目立ってしまうということと――かしゅみに、あのおまもりのこと、妖精のことについてどう尋ねるか。
ぐるぐると脳内を駆け巡っていた悩みは倒れた時に一度リセットされたようで、少しばかりすっきりとした状態で晴奈の中に残っていた。不安はあるが、追い詰められるような感覚はすっかり落ち着いていたのだ。
●●●
「はるちゃぁん……!」
晴奈の部屋から住処にしている弁当箱ごと移動されたらしいかしゅみは、いかにもしょんぼりとした様子でリビングのテーブルの上にちんまりと座り込んでいた。それが晴奈が顔を出した瞬間に飛び跳ねるようにして駆け寄ってくるのだからたまらない。手ですくい上げて頬を寄せるとついにみーみーと泣き出した。
「みーっ!みーっ!はるちゃんもう大丈夫っ!?」
「大丈夫だよ。心配掛けてごめんね。」
「かしゅみはっ、かしゅみは……っ。」
泣いているかしゅみの口元にはビスケットの食べかすが付いていた。ごま粒大の目から同じくらいの大きさの雫で落ちる涙と一緒にそれを拭ってやる。思っていたよりも心配をかけてしまったらしい――そう思う頃には、晴奈の中では最早この不可思議生命体を何か問い詰めてやろうという気持ちは無くなっていた。あくまでも優しく、もっと詳しい話を教えてもらうというスタイルでいこう。
「ごめん晴奈、お母さん昨日寝てなくて……安心したら眠くなってきちゃった……。」
「あ、うん。寝ていいよ。私はもう全然、なんともないから。……その、心配かけてごめんなさい。」
「ホントだよ!って言いたいところだけど、無事ならいいや。でも、これからはしばらく一人で帰るの禁止。なるべく早めに!誰かと一緒に!」
「そうします……。」
お風呂入るくらいはいいけど、あんたも今日は安静にしてなよ。とあくび混じりに言い残して美晴は寝室へと消えていった。かしゅみを見ると、未だうるうると晴奈を見上げている。
「はるちゃん、ごめんね……。かしゅみがもっとちゃんとしたおまもり作れたら……。」
「そう、それについて聞きたかったんだよね。……でも、ご飯食べてからにしよっか。」
きゅう、と鳴ったのはどちらの腹か。病院からの帰り道で買ってきたコンビニ弁当を指さすと、かしゅみは嬉しそうに頷いた。
●●●
――時はさかのぼり、晴奈が通り魔に襲われたその晩。深夜、日付も変わろうという頃。
通り魔だったものがいたはずの公園のベンチには、食べカスがほんのわずかに残っていた。――ソレを指ですくった者がいる。長身の青年である。彼はそこに座るわけでもなく、ましてや清掃に来たわけでもない。涼やかな目元をした彼は形の良い眉を寄せた。
「……とんだ悪食だ。」
苦々しげに言う青年。彼の斜め後方に控えていたもう一人の人影は、どこか楽しげにポニーテールを揺らしながら青年の手元を覗き込む。
「食べられちゃったの、やっぱり通り魔?」
「そのようだ。」
「じゃあ、いよいよ本格的にあたしたちのお仕事開始ってことだね!」
「ああ。……がんばろうな。」
「うんっ!」
青年――
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