第9話 早速効果を発揮するとか冗談じゃない
少々不穏な「おまもり」を受け取る事件があったものの、概ね穏やかな週末をかしゅみと過ごしたことで、テストの返却という気の重くなるイベントに対しても多少心の余裕ができた――晴奈はそう思っていた。しかし、机にうなだれる夏音はそうでもないらしい。見るからにズン、と重く沈んだ空気が、機嫌の良さそうなポニーテールの上で漂っている。
「夏音ちゃん、おはよう。」
「……おはよ……。」
「どうしたの?……って、テスト返却しかないか。」
「そうだよぅ。もー、ほんと憂鬱!テスト当日よりテスト返ってくる時の方が憂鬱!」
どちらかと言うと実技科目の方が性に合っているらしい夏音は、本人はこう言うものの実際にはそれほど勉強が苦手なわけではない。少々自分に対する理想が高いのだ。あっけらかんとしていて大らかな彼女だが、実は自分にはちょっとだけ厳しい。だから毎回、テストの返却の日にはこうして沈み込んでいる。
「そんなに心配することないって。夏音ちゃん本番に強いタイプだし。」
「でもさぁ。うぅ……倫理だけは自信あるけど他はダメだ……。」
「虫壁先生のことそんなに好き?」
「かっこいーんだもん。目の保養ってやつだよね。」
確かに顔立ちの整った人ではある。あの人の周囲だけいつも照明器具の値段が倍しそうなほど彼は上品に輝いて見える。晴奈はそんな所まで含めて彼のことが苦手だったけれど。
そういえば、と誰かが那哉の隣で笑う想像をしかけたところで晴奈は思い出したことを口にする。休日の間に見かけた
「遠城先生って遠城先生だよね?彼女いるとか知らない知らない。詳しく。えっ!ホントに遠城?」
「うん。見間違いじゃないよ。話したし。」
「まぁ、あんなの何人もいたら困るよね。」
呆れたような顔になって言う夏音に頷く。確かにあの強面が何人もいたら困る。那哉とはまた違った、より分かりやすい意味で恐ろしい。
「どんな人だったの?美人系?かわいい系?」
「……どっちだろう。ぱっと見は明るい美人系だったかな。してる格好も大人っぽかったし……けど話してみたらちょっと子供っぽくてかわいい感じ。年齢的には大学生か社会人かぱっと見わかんなかった。」
「身長は?胸は?」
「夏音ちゃん……。」
今度は晴奈が呆れた顔をする番だった。しかし夏音は退かない。それどころかぐっと晴奈に詰め寄る。目を輝かせている彼女は友人の贔屓目無しにかわいい。話題が強面鬼教師の彼女の胸の話でなければもっとかわいかった。
「気になるじゃん!あんだけお堅そうにしてるのにムッツリの可能性があるわけでしょ?」
「どんな可能性!?」
「いいからホラホラ、どんな感じだったの?」
「……正直めちゃくちゃスタイル良かった。足長くて、背高くて……。胸も結構あった……。」
「……マジ……?」
やっぱムッツリじゃん、と呟く夏音。晴奈はなんだか遠城に申し訳ない気持ちになった。
●●●
テストの返却はつつがなく行われ、今は放課後。教師に頼まれて回収したプリントを職員室へと運ぶ最中。しかしそのプリントは足元へと散らばり、周囲では小さな喧噪が起こっていた。――なに?――階段から落ちたっぽい。――あ、
階段から人が落ちた。その人、
「あのっ、大丈夫――」
晴奈の声に、弾かれたように希華が振り返る。そこには明らかな怯えがあった。ひっ、と息を詰める、まるで幽霊でも見たようなその顔に晴奈は再び固まる。彼女は擦りむき、ぶつけたらしい足を震わせながら残りの階段を下り、千虎の静止も聞かずに逃げるように去っていった。再び立ち尽くしている晴奈に声を掛けたのは、たまたま居合わせて転がり落ちる希華を受け止めた千虎である。相変わらずにこりともしない彼は、屈んで晴奈の落としたプリントを集め始めた。慌てて晴奈もそれを手伝う。
「ごめん……。」
「いえ。嘉村先輩はなんともありませんか。」
「うん。目の前で人が転がり落ちたからちょっと……びっくりしちゃって。」
「何があったんですか?」
晴奈は先ほど起こった一連の出来事を改めて思い出しながら話す。まず、晴奈は普通にプリントを運んでいた。その最中、階段の踊り場に差し掛かった時後ろから強く希華がぶつかってきたのだ。舌打ちが聞こえた気がする。彼女がぶつかってきた衝撃で晴奈はプリントを床へと撒き散らすことになったのだが――そこまで千虎に話して晴奈は気付く。慌ててプリントを拾おうとした晴奈の脇を通り抜けていった希華は何かに押し出されるような、あるいは弾きとばされるような、明らかに不自然な挙動で足をもつれさせた。
――「はるちゃんを怪我させるような悪意を一回だけ反射するよ。」
どっと冷や汗が背筋を伝う。プリントを全て拾って立ち上がった晴奈と千虎の間にしばしの沈黙が流れる。不自然に言葉を詰まらせた晴奈の顔をのぞき込むように千虎が長身を屈ませる。涼やかな目元は晴奈に続きを促す。
「……その直後に柳川さんが転んで、ちょうど藤武君が来たんだよ。」
「……そうですか。知り合いですか?さっきの人。」
「うーん。クラスメイトだけど、話したことはほとんど無いな。恨まれるようなことはしてないと思うんだけど。」
「恨み……?」
「あ、えっと、その……結構強めにぶつかられたから。」
「なるほど。……人間、生きていると予想もしていなかったところで恨みを買いますから。お気をつけて。」
一つ年下のはずの千虎がやけに大人びて見える。そうだね、と頷いて礼を告げれば彼はプリントを手渡してから去って行った。晴奈はそれを見届けてから職員室へと急ぐ。背筋を伝う汗は止まらない。早く確認したかった。――かしゅみに渡されたあの「おまもり」がどうなっているかを。
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