第8話 製法不明な「ようせいさんのおまもり」を手に入れた!

 もうすぐ夏休みに入る直前の週末といえど宿題はある。晴奈が鞄からテキストとノートを取り出して部屋の机に並べた頃。「あ。」と間抜けな声が背後から聞こえた。かしゅみである。部屋のほぼ中央に置かれたローテーブルの上でかしゅみはお気に入りのチョコレート菓子――朝方晴奈が購入してきた「ポキポキ」――をぽりぽりと食べていたのだ。よいしょ、と立ち上がってかしゅみはローテーブルの脚を伝って床へと降りていく。意外に器用だ、と晴奈はその姿をじっと見つめた。床に降り立ったところで自分を見ている晴奈に気づいたのか、かしゅみは振り返って仁王立ちで胸を張った。


「ちょっとママのお手伝いしてくるね!」

「お手伝い?」

「うん。はるちゃんが学校行ってる間にね、ママが……えーっと、はたら……なんだっけ。お手伝いしないとごはん食べちゃいけないって言っててね?」

「働かざる者食うべからず、かな?」

「それそれー。お手伝いしなさいって言うから、ちょっとお外のお花のお手入れしてくるね。」

「お手入れ。」

「しおれてきちゃったお花とか取っていいんだって。」


 なるほど、それくらいならかしゅみにもできそうだ、と晴奈は頷く。そしてしおれてきた程度の花弁ならかしゅみのエサにもなるのかもしれない。母・美晴がそこまで考えているのかは分からないが、晴奈はとりあえず納得した。なにより、「お手伝いをするかしゅみ」はきっとかわいい、と思ってしまった。


「下まで連れてってあげようか。」

「大丈夫!コツを覚えたから自力で降りられるよ!」

「コツ?」

「手すりを伝って降りるんだよ!」

「ごめん、安全確認のために一回それやってるの見ていい?」


 つまり、先ほどテーブルの脚を伝って降りたのと同じ要領で降りていくのだろう。このもちもち不思議生命体が階段の手すりを伝って降りている図――晴奈は口角が勝手に持ち上がるのを必死にこらえた。快諾してくれたかしゅみが部屋を出て行くのを追いかけると、かしゅみは手すりを呆然と見つめていた。


「どうしたの?」

「あそこまでどうやって上るか考えてなかった……!」

「じゃあ乗せてあげるね。」


 かしゅみをすくい上げて手すりにうつぶせに乗せると、かしゅみはツツツ……といった動きでゆっくりとお尻から階下へと滑っていく。晴奈はつい、かたつむりを頭に思い浮かべる。言ったらきっと怒るのだろう。


「かしゅみ君。下まで着いたらどうやって降りるの?」

「……飛び降りたらお尻痛いかなぁ。」

「痛そうだねぇ。やっぱり下まで運んであげるよ。」

「かたじけない。」

「そういう言葉ってどこで覚えてくるの?」


 どこだったかなぁ、と本気で出典を忘れたらしいかしゅみを摘まみ上げて手に乗せる。階段を下りると既に母は玄関を出るところであった。それを追いかけて、晴奈とかしゅみも外に出る。むっとした熱気が体を包み、直射日光が肌を焼く。


「かしゅみって日焼けとかするの?」

「するよ。でもすぐ戻るよ。」

「つまんなーい。焦げしゅみ見たかったな。」

「焦げしゅみとはなんですか。」


 こんがり焼けたかしゅみ君……と晴奈は想像して正月に焼いた切り餅と焼かれたマシュマロを思い出した。決してかしゅみが美味しそうかというとそういうわけでもないのだが、やはりあの質感のせいだろうか。ぷすぷすと晴奈の手の上で怒っているかしゅみをそっと玄関先の花壇に降ろす。かしゅみの興味はすぐに元気に咲いている朝顔へと移った。


「ママ、これ夕方にはしおれちゃう?」

「そうだねぇ。お手伝い終わったら、しょうがないからちょっとだけ食べてもいいよ。」

「やったー!」


 かしゅみは意気揚々と昨晩の内にしおれてしまった花を摘んでは美晴に渡されたビニール袋へと放り込んでいく。小さい分、必要以上に忙しそうに見えるのがこれはこれでかわいらしい。――今度、お人形用の麦わら帽子とか探してこよう。晴奈の中でまた親友・夏音に相談すべき話題が増えた。


「じゃあ、私宿題に戻るね。かしゅみ君、お手伝いがんばれー。」

「はーい!」


 元気よく手を挙げる姿に自然と口角の上がる晴奈であった。



●●●



 カラン、と傾けたグラスの中で氷がぶつかって音を立てる。あれからかしゅみはずっと母の手伝いをしているらしい。ほんの数日前まで当たり前だった静寂が部屋に広がっているのが、なんだか不思議だ。冷たい麦茶を飲み込んで、すっかりかしゅみが生活になじんでいることに晴奈は思い出したように首を傾げる。本当に不思議なのだ。かしゅみは確かに今のところ害はなく、なにか悪いモノにも見えない。しかし、馴染みすぎている。気付いたときには「まぁいいか」とその存在を受け入れている。――咄嗟に、晴奈の部屋の方を険しい顔で見ていた後輩、藤武千虎を思い出す。


――「先輩、最近ペットでも飼い始めましたか?」


 なぜ彼は、あのタイミングで尋ねたのだろう。握ったシャープペンシルを動かすのを忘れ、グラスの側面をしずくが流れていくのをジッと見つめた。改めて考える。かしゅみは一体何者だ?私は一体何を拾って家に入れた?


「――ちょっと、晴奈?」


 晴奈は大袈裟に驚いて勢いよく振り返った。どくどくと心臓が音を立てている。部屋の入り口に母が立っていた。


「どうしたの?なんか顔色悪いけど。何回呼んでも返事しないし。」

「あ、えっと、ごめん。ちょっとぼーっとしてた。」

「熱中症じゃないでしょうね……。あんた考え込むと長いんだから、ちょっと休憩しな。」

「うん……そうだね、そうする。それで、何かあったの?」

「かしゅみ洗ったから届けにきたの。」

「はるちゃぁん。」

 

 軽く眉間にシワよ寄せているハンカチにくるまったかしゅみが差し出される。お手伝いが終わった時に丸洗いされたらしい。かしゅみを受け取るのと同時に、美晴は晴奈の机の上に何か、小さな白い巾着袋を置いた。


「なにこれ。」

「かしゅみからはるちゃんにプレゼントだよー。」

「プレゼント?」


 母の顔を見上げても彼女も首を傾げる。そのままシャワーを浴びてくると言って母は去っていた。かしゅみを机の上に降ろして、とりあえず彼が元々着ていた所々ほつれているワンピースを着せてやる。改めて見るとてるてる坊主みたいだ。


「それで、プレゼントって?」

「これね、かしゅみが作ったお守りなの。中に花びらが入ってるんだけど……あ、袋はママにもらったんだよ。」


 丸洗いされた恨みはもう忘れたらしい。美晴が何か小さいアクセサリーでも買ったときに入れてもらったと思われる一辺が五センチも無いような小さな巾着袋。確かに中にはドライフラワーらしき花弁が入っている。ふふん、と仁王立ちしているかしゅみに晴奈は素直に尋ねた。


「ドライフラワーなんていつの間に?」

「さっきだよぉ。かしゅみ君ようせいさんだからね。これくらいはすぐにできちゃうよ!」

「ようせいさんの魔法みたいな感じ?」

「そうそう。とーりま?っていうなんか危ないのがいるらしいから、おまもり作りました!」


 随分とこの不思議な生き物に気に入られてしまったらしい。しかし、製法不明、制作者が自称ようせいさんの謎の生き物。色々な意味で持ち歩いていいのか疑問の残るおまもりである。


「ちなみにどんな効果があるのかな?」

「うーんとね、はるちゃんを怪我させるような悪意を一回だけ反射するよ。」

「……え?」

「あ、ダメージ減らせるけど事前に完全にブロックするものじゃないから気をつけてね!」


 ようせいさんの加護だよ!とやはり彼は胸を張る。晴奈は背中を汗が伝っていくのを感じた。本当にかしゅみは何者なのだろう。


「えーっと……す、すごいね……?」

「うんうん。本当はもっと強いの作ってあげたいんだけど、まだ魔力が足りなくて……。」

「魔力。」

「はるちゃんがかしゅみのこと、いーっぱい大好きになってくれたら魔力も溜まるから、そうしたらもっとちゃんとしたの作るね!」


 にこ!と花が咲くようにかわいらしく笑うかしゅみ。そうだ、彼は最初に言っていた。地球を侵略に来た、と。やはりとんでもないものを――そう思うが、晴奈は手のひらの上にある『おまもり』を手放せない。


「ありがとう、かしゅみ君。学校行く鞄に入れておくね。」

「うんっ!」


 この巾着袋は、この小さな侵略者の好意なのだ。晴奈は既に、それを払いのけられなくなっていた。

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