第5話 お気に入りのぬいぐるみにリボン巻いたりしない?

 白いシャツと黒いズボンを纏った、小さな生き物。自称・妖精のかしゅみが元気にもちもちコロコロ動いている姿に、晴奈は無性に感動していた。夏音の技術は素晴らしい、と。最早突起物と言っていいサイズの短い足とぷにぷにの体を夏音の作った服は見事に包み込んで、なおかつ意外に俊敏なかしゅみの動きを阻害しない。晴奈にとって夏音の裁縫技術は魔法だ。何がどうなってああなっているのかまるで分からない。


「はるちゃん、似合う?」

「似合う。かわいいよ。」

「ほんと?かしゅみ、かわいい?」

「正直本気でめちゃくちゃかわいい。」


 両手で包み込むとキャッキャと声を上げて喜ぶ、かわいいと言われたがる単細胞。結局この生き物がそもそも生物なのかも怪しいが、追い払うこともできずにいるどころかかわいがっている晴奈である。そんな彼女の中でもっと喜ばせたい、もっとかわいくしたい、という気持ちが膨らむのも無理はなかった。放課後、晴奈は夏音の愛用している手芸用品店を訪れ、かしゅみにプレゼントを買ってきたのだ。ミント色のふわふわとしたリボンである。


「かしゅみ君、これもどうかな。」

「リボン?きれいだねぇ。くれるの?」

「うん。首に巻いて、後ろでリボン結びにしたらかわいいかと思って。」

「なるほど!してしてー。」

「いいよ。……あ。」

「ん?」

「ごめん、かしゅみ君。私リボン結び綺麗にできないんだった……。お母さんのところ行こう。」


 かしゅみを手のひらに乗せると、指にきゅっとしがみつく。内心その姿に異様な高揚感を覚えたが、晴奈はこの感情をまだ言語化できていない。階段を降りてリビングへ行けば、母・美晴はテレビを見ながらアイスを食べていた。


「お母さん。かしゅみ君にリボン付けてあげてほしいんだけど。」

「んー?あら、なにそんなおめかししちゃって。夏音ちゃん?」

「そう。作ってくれたの。すごいよね。」

「本当に器用ねー。アンタもこれくらいできるようになれとは言わないけど、リボン結びくらいはできるようにしなさいな。」

「どうしても上手くいかないんだよね……。」


 縦結びになってしまったり、固結びになってしまったり、晴奈は何度教わってもリボン結びが上手くできない。何度教わってもしばらくやらないと忘れてしまう。だからこの歳になってもスニーカーの靴紐はいつも不格好だ。かしゅみを膝に乗せた美晴が、爽やかなミントグリーンのリボンをふんわりと首の後ろでリボン結びにしてやるのを眺めていた。リボンを首に巻き付けたかしゅみは膝の上から美晴を振り返った。


「ありがと、ママ。かしゅみ、かわいい?」

「はいはい、かわいいかわいい。」

「むぅ、なんかテキトーな言い方ですね……はるちゃん、どうどう?かしゅみかわいい?」


 小さなごま粒大の垂れ目を精一杯に輝かせて晴奈を見上げるかしゅみ。どう見てもぶりっこ。どう見ても妖精というより小悪魔。しかし――


「えぇ……めちゃくちゃかわいい……最高……。」

「ファンか。」


 すっかり愛着の湧いた晴奈である。半眼の母の鋭い指摘にもうろたえず、晴奈はかしゅみを顔の高さまで連れてきた。きゅるん、とでも効果音が付きそうな仕草、表情。この顔にまだ出会って数日だというのに何度毒気を抜かれたか分からない。

 ――そんな平和な日常を送る嘉村家だが、点いたままのテレビからは不穏なニュースが流れている。悲しいかな世の常ではあるが、不審な事件というモノは絶えず存在するのである。隣県で発生した通り魔事件はまだ、犯人が捕まっていない。


「――県では警察による巡回を強化する方針です。緒々馬おおば市内の学校は夏休みが近いこともあり――」

「ちょっと、そういえばこのへんでも巡回強化だって。ただでさえ夏は変なヤツが多いんだしアンタも気をつけなさいね。」

「分かってるよ。学校でも気をつけるように言われたし。」


 晴奈はかしゅみの視線に気づいた。どことなく不安そうな顔をしているように見えるのは、晴奈がそんな気持ちだからなのか。


「どうしたのかしゅみ君。」

「はるちゃん大丈夫?かしゅみ学校までお迎えに行こうか?」


 どうやら不安ではなく心配している顔だったらしい。晴奈は思わず破顔してかしゅみの頭を指先で撫でた。目を瞑って気持ちよさそうにしているのがたまらない。


「大丈夫だよ。かしゅみ君が途中で野良猫に追いかけられたりしないか、逆に心配になっちゃうし。」

「えぇー!?かしゅみ強いもん!大丈夫だもん!」


 かしゅみは晴奈の手の上で両手を挙げて抗議のポーズを取る。心なしか寄った眉間をほぐしてやるように再び撫で回すとかしゅみはやはり気持ちよさそうに指に擦り寄ってくる。


「んんー、かしゅみナデナデ好きだなー。」

「さっきまで何か怒ってなかったっけ?」

「なんだっけぇ。かしゅみ忘れちゃったぁ。」

「そっかぁ。」


 単細胞というか単純というか――


「チョッロ。」


 そう、チョロい。美晴の発言を意に介することもなくかしゅみは晴奈の指で頭を撫でられたり、頬をつつかれたりしている。満足そうだ。


「まぁかしゅみのお迎えは置いといて……本当に、ちょっと遅くなるような時はちゃんと連絡してよ?」

「そうするよ。」

「かしゅみも行くぅー。」

「はいはい。ってこの子もう眠いんじゃないの?なんかウトウトしてない?」


 晴奈の指に寄りかかったまま、いつの間にかかしゅみは目を擦っている。食べて遊んで眠くなる。子供のようだ。

 晴奈はかしゅみを連れて自室へと戻る。かしゅみを弁当箱の寝床へと寝かせて、自分も眼鏡を外してベッドに潜り込んだ。明かりを消した静かな夜。外で鳴くかすかな虫の声と、弁当箱の方から小さく「しゅみーしゅみー」という間抜けな寝息らしきものが聞こえてくる。それにふと微笑みを漏らして、晴奈は目を閉じた。


(通り魔、早く捕まるといいなぁ……。)


 胸のあたりがそわそわとする。それどころか細かく針でちくちくと刺されるような感覚もある。何か嫌な予感だとか、不安なことがあると晴奈はいつもそうだった。特に胸のあたりを怪我するようなことがあった訳ではない。不安になったときには皆、こうなるのだろうか。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。明日も登校日なのだから夜更かしはできない。おやすみ、かしゅみ君。小さく呟いて今度こそ晴奈は目を閉じたのだった。

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