第4話 これはかしゅみ君が着せ替え人形になる日も近い

 家に謎の幻覚じみた生き物が住みつこうとも、それが住みついていることを漠然受け入れてしまっても、それでも学校へ行くのが学生である。嫌だけど。

 暑い日差しに攻撃されながらもやっとたどり着いた教室には、昨日あの謎の生き物ーー自称・妖精のかしゅみ君が嘉村親子にだけ見えるだけの幻覚ではないと証明した人物、伊原夏音いはらなつのが席で突っ伏していた。


「夏音ちゃん、おはよう。昨日はありがとね。」

「んんー……はるなぁ……?」

「そうだよ。」

「…………晴奈!!!!」

「何!?」


 ぼんやりと晴奈を見上げた夏音は突然目を見開いて自身の鞄をあさり始めた。そして何かを取り出し、晴奈の眼前へと突き出す。それは小さな白いブラウスだった。針金のハンガー付きである。晴奈がまさか、と夏音と小さなブラウスを交互に見ると、夏音は疲れた顔に達成感を滲ませた。


「かしゅみ用。」

「早っ。」

「楽しくてねー。おかげで今日一時間くらいしか寝てないの。」

「頼んでおいてなんだけど寝て?でも……ありがとう。かわいいなぁ……これ、ボタンは飾り?」

「うん。上からすぽってかぶせてあげて。あ、これもあげる。ズボンね。」


 実はハンガーも手作りだよ、と夏音は得意げに言った。白いブラウスと黒いズボンというシンプルな組み合わせだが、シンプルであるが故に季節を選ばない。既に晴奈の頭の中ではこの服を纏ったかしゅみの姿ができあがっていた。自覚のないまま頬が緩んでいく。完全に絆されている。


「顔緩みまくってるよ。」

「えっ、で、でも……本当にかわいくて……。かしゅみ君もきっと喜ぶよ。」

「だといいなぁ。またなんか作るね。」

「よろしくお願いします。でもちゃんと寝てね?あとなんか、お礼するよ。」

「いいよ。好きでやってるし。あ、気になるようなら月イチくらいでタピオカかクレープおごって。」

「わかった。一緒にいこ。」

「うんっ。あっ、かしゅみも連れてこ。絶対好きでしょ。」


 夏音もすっかりかしゅみがお気に入りらしい。間もなくして教室にはチャイムが鳴り響き、晴奈もまた自分の席へと着く。机の中でこっそりと夏音にもらったかしゅみの服を改めて見ると、やはり頬が緩む。きっとかしゅみはこれを見たら目を輝かせて、抱きしめて喜ぶだろう。一度もそんな姿を見たことはないのに、不思議と晴奈はそう確信した。夏音が友達で良かった――晴奈は改めてそう思って彼女に感謝した。

 朝のホームルームはいつもどおり平和に始まる。担任の男性教諭――桐生常正きりゅうつねまさから本日の予定と予定の変更点が告げられていく。


「二限目の倫理は、虫壁先生がお休みなので自習。」


 えぇーっ!と複数の女子が悲嘆の声を上げる。学校内一の美形と言われている倫理の虫壁那哉むしかべふゆなりは女子生徒のあこがれの的だ。毎年卒業式の後は彼の元にツーショットの申し込みと愛の告白とで長蛇の列ができる。はじめに聞いたときは晴奈もまさかと思ったが、実際にその列ができているのを見たときは思わず口を開けて眺めてしまった。


「はいはい、静かに。あと、遠城えんじょう先生も今日いないから、男子の体育は他の先生が見るぞ。」


 こちらは女子とは対照的に安堵の声が聞こえた。遠城は強面の生徒指導担当で、『鬼教官』と影で呼ばれているくらいのスパルタ教師である。無理もない。

 号令と共に起立。礼の後にはすぐ教室にはざわめきが戻るのだった。



●●●



 一方、嘉村家に住み着いたかしゅみは冷房の効いた晴奈の部屋で、ごろごろとしていた。お星様のような金平糖と、お気に入りのビスケットがご飯として用意された空間は、野生のときとは比べものにならない快適さだ。うとうとしては金平糖をかじり、またうとうとしてはお水を飲む。そんな生活ができる日が来たことに、かしゅみは静かに感動していた。

 今、晴奈は学校。美晴は昼まで仕事。侵略には絶好のタイミングだ。


「しゅみ……。」


 目を閉じて意識を集中する。今の体力なら野生の頃にはできなかったこともできるかもしれない。


「…………。」


 まぶたの裏で、炎のような輝きが瞬くのを感じる。一つ、二つ――大きな輝きとは別に、他にもいくつか輝きの気配を感じる。それの正体をかしゅみは知っている。思ったよりも拠点を得るのに時間がかかったが、そのおかげで協力を得られるかもしれない。しかし、その分侵略を妨害する因子が増えている可能性もある。やはり早急に力を――魔力を取り戻す必要がある。

 つまり、今できることといえばお菓子を食べて、いい子でお留守番をしていることである。せっかく優しい人間に拾ってもらったのだから。たくさんかわいがられることが魔力充填の一番の近道なのだ。このもちもちのパーフェクトボディを維持しなければ。とはいえ少々退屈である。ちら、と明るい日差しの差し込む窓が視界に映った。どうにかしてよじ登れないだろうか。


 ぺたぺた。ぽてっ。ぴょん。ぽてっ。


 ――木登りはできるが、流石に滑らかな垂直の壁を上ることはできない。それが今日この瞬間にかしゅみが得た結論である。晴奈に布団として使っていいと渡されたタオルハンカチを足元に敷き、壁に手をついたり飛び跳ねたりするものの、自分の身長ほども壁を上ることができないまま床に着地してしまう。由々しき事態だ。


「まずはお散歩に行く手段を考えなきゃですね……。」


 ふむ、と腕を組んで窓を見上げる。ここに晴奈がいれば、かしゅみをかわいいと感じる気持ちと、そんな自分の気持ちを認めていいのかという疑念の狭間で揺れて眉間にシワを寄せたことだろう。

 ひとまず当面の目標も決まり、かしゅみは自分のお腹を撫でる。空腹感。


「侵略の続きは明日にしよ。」


 そうして居住スペースである弁当箱へと戻り、かしゅみは金平糖へと手を伸ばすのだった。

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