第3話 細かい作業は頭痛くなるから得意な人に任せよう

「でー、その時の虫壁先生がめちゃくちゃイケメンでぶっ倒れそうだったのー。」

「……うん。」

「晴奈?」

「……うん。」

「晴奈、聞いてるー?」

「……うん。」

「はーるな!」


 晴奈の眼前で破裂音。晴奈の肩が勢いよく上に跳ねた。


「わっ!」

「もー、やっぱり聞いてないね?」

「……ごめん。」


 今度はがっくりと肩を落とす晴奈に、眼前で猫だましをした本人――伊原夏音いはらなつのは苦笑する。晴奈は今日一日ずっとこの調子で、昼ご飯もあまり進んでいないのだ。自身は購買で買ってきた菓子パンをかじりながら、深くため息をつく晴奈に夏音は尋ねる。


「なんかあったの?」

「なんかあったっていうか、なんかいたっていうか。」

「なんかいた?なになに?お化けでも見えちゃった感じ?」

「ある意味間違ってはいないかもしれない。」

「マジ?やば。どんなん?」


 夏音が興味ありげに利発そうな瞳を輝かせるのを見て、晴奈は迷う。正直に話してしまうべきか。あの、自宅に現在住み着いている自称・妖精について。――頭がおかしいと思われないかが問題なのだ。数少ない友人を失うのは耐えられそうにない。しかし同じくらい友人に嘘をつくのも得意じゃない。


「なんかこう、ちっちゃくて……幽霊って言うか妖怪かもしれない。」

「妖怪!?もっとやばくない?お祓い行こ?」

「意思の疎通ができちゃうし、邪険にするのもなんかかわいそうで……っていうかかわいくて。」

「やばいって晴奈それ、絶対やばいヤツだよ。罠だよ。」

「やっぱ悪い奴かなぁ。」

「お祓い行こっ?あたしも付き合うからっ。」


 こんな話を聞いて真剣に心配してくれる夏音に晴奈は感動した。こんなに素晴らしい友人を得られただけでも、ここまで不器用に生きてきた自分の人生に価値を感じる。そうだ、こんなに大切な友人に頭がおかしいと思われるわけにはいかない。やはりあの謎の生命体はどうにかするべきだ。


「みーちゃんさんは晴奈にそれが見えてるって知ってるの?」

「お母さんはもうなんか受け入れちゃってて……。」

「えっ、見えるの晴奈だけじゃないの?」

「それがお母さんにも見えてるんだよね。」

「あたしにも見えるのかなぁ。せっかくならお祓いする前にちょっと見てみたい気もする……。今日行ってもいい?」


 一度夏音にあの不思議生命体を見てもらって、幻覚かどうかを判定するのはいいかもしれない。そう考えて晴奈は頷いた。


「もし夏音ちゃんに見えなかったら私とお母さんは幻覚が見えてるか、本当にあれが妖怪か、どっちかってことだね……。」

「そうなるね。でも大丈夫。あたし病院でも神社でも付き合うよ。」


 なんでこの子は私と友達なのだろう――いや、こういう子だから自分とも友達でいてくれるのだ。晴奈は深い感謝を夏音に告げた。



●●●


 かくして、夏音はその日の放課後に晴奈の家を訪れた。元気な挨拶に、ひょこっとリビングから母が顔を出した。


「あら夏音ちゃん。いらっしゃい。どしたの?」

「かしゅみ君が幻覚じゃないかを判定してもらいたくて来てもらったの。」

「あ、そういう感じ?ここに居るから入って入って。かしゅみー、アンタにお客さんだよ。」


 予想以上に母が普通にかしゅみに話しかけるものだから晴奈は目眩がしそうだった。これで夏音に見えなかったら相当酷い幻覚だ。しかしその幻覚(仮)もごく自然にリビングのテーブルにいた。普通にお気に入りのビスケットをかじっている。


「あ、はるちゃん!おかえりー。お客さんって後ろの子?」

「しゃ……しゃべっ……!?」

「夏音ちゃんにも見えるんだね……。」

「見える!聞こえる!えっ、何!?なにこれー!」


 夏音は目を見開いて短足のぷにぷにした幻覚(仮)――かしゅみを見ている。かしゅみ自身はきょとん、とした様子で一度固まったものの、すぐに気を取り直したのか口を付けていないビスケットを袋から一枚取り出した。そしてそのままそれを夏音に差し出す。


「よくわかんないけど、お近づきのしるしにどうぞ。」

「気を……遣われた……!?」

「夏音ちゃん、気持ちは分かるよ……。とりあえず座って。」


 かしゅみに差し出されたビスケットをおずおずと受け取り、夏音がソファに腰掛ける。美晴がコーヒーを持ってきたのはほぼ同時だった。ここまでで晴奈に分かったことは、まずかしゅみが自分と母にだけ見える幻覚ではないということ。そして、母が――あるいは自分も――かしゅみを受け入れるのが早すぎるということだった。夏音はまだビスケットを片手に口を半開きにしたままかしゅみを凝視している。


「まぁ最初は何これって思うよねー。」

「みーちゃんさん受け入れるの早くないですか?」

「そうかなぁ。なんかかわいいし、別に今のところ悪さするわけでもないしいいかなって。」

「えぇ……。」

「まぁ悪さしたら塩かけとけばいいみたいだし。」

「ナメクジじゃん……。」


 ナメクジという言葉に反応したのか、かしゅみはビスケットをそばに置いてきゅっと眉を寄せ、両手を腰に当てる。仁王立ちのポーズだ。


「誰がナメクジですか。こんなにかわいいのに!」

「自分で言う!?」


 混乱していても咄嗟にこういう反応ができるのが夏音のいいところの一つだと晴奈は思っている。夏音は今ので完全に力が抜けたのか、ビスケットをかじり始めた。


「美味しい?」

「うん。……かしゅみっていうの?」

「かしゅみです。ようせいさんだよ。」

「晴奈が一日上の空になるのも納得だわ……。そんでもってお祓いするべきか悩むのも分かる。」

「お祓い?かしゅみ、あっちいけーってされちゃうの?」

「そうそう。」

「やだー!かしゅみはるちゃんと一緒にいるもん!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねてかしゅみは晴奈の腕にくっつく。もちもちとした感触が気持ちよくて、つい晴奈はかしゅみを摘まみ上げて手のひらに載せた。撫で回すとお祓いの話はもう忘れたのか気持ちよさそうににこにこして「しゅみー」と鳴き声を発する。単純だ。


「……見て、この気の抜けた顔。かわいいと思わない?」

「……罠だと分かっててもこれは正直かわいい。困ったね。」

「あ、そうだ夏音ちゃん。かしゅみ洗い替えの服が無くて困ってるんで作ってあげてくれない?」

「お母さん、そんな気軽に頼まないで――夏音ちゃん?」


 美晴の発言を聞いた瞬間、夏音のかしゅみを見る目が変わる。混乱と脱力の混じり合っていたはずの視線が、間違い無く輝いている。そうだ、夏音は――


「つ、作りがいありそう……!」


 ――手芸部のエースにして次期部長の座は堅いとまで噂されている人物だった。更には並々ならぬ向上心のある彼女にとって、この未知の生物の服を作るというのが魅力的おもしろそうな案件であることは間違い無い。晴奈はこのとき、夏音の中でお祓いに行くという選択肢がきれいさっぱり消え去ったのを悟った。現に彼女は鞄から既にメジャーとメモ帳を取り出している。


「えっと、かしゅみちゃん。お洋服作ってあげるから採寸させてくれる?」

「お洋服!かわいいの作ってくれるの?」

「作る作る作る。ちなみに聞くけど性別とかある?」

「男の子だよー!」

「わかった。ドレス作るのは自重するね。」

「かわいければいいけどね。」

「言ったね??」


 ああ、これはかしゅみがボンネット付きのフリフリドレスに包まれる日も近い――晴奈はそう確信した。美晴はよかったねー、と暢気に言っているし、夏音は目を輝かせてかしゅみの採寸を始めた。

 晴奈はそっとビスケットを袋から取り出して食べる。まぁいっか――昨日の夜とほぼ同じ結論に至る晴奈であった。

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