第2話 ところで塩かけたら縮んだりするのかな

 風呂から出てきた晴奈は、用意しておいた部屋着に着替えると眼鏡をかけてすぐにキッチンへと向かう。そこでは、思いの外平和な様子でがテーブルに座ってビスケットをかじっていた。どうやら母・美晴とは一応和解したらしい。晴奈に気づいたのか、かしゅみは意識をビスケットから晴奈に移動させた。


「はるちゃん!」

「食べるの、お花だけじゃないんだね。」

「甘いものだいすき。果物とか木の実も好きだよ。これおいしいねぇ。」


 なるほど野生生活でもその当たりが食べられるなら食には困らなかったのかもしれない。かしゅみは自分のかじっていたビスケットを置くと、袋から新しいビスケットを一枚晴奈に差し出した。どうやら食べろということらしい。


「くれるの?ありがとう。」

「美味しいものは一緒に食べるともっと美味しいからね。美味しいものは半分こするのが基本だよ。今はビスケットいっぱいあるから、半分こじゃなくて一枚ずつ食べられるね!」


 地球侵略を目論んでいるらしいが随分と平和な精神である。晴奈がビスケットを促されるまま口に運ぶと、かしゅみは満足そうに頷いて自分も食べるのを再開した。さくさくかりかりと軽快な音が聞こえる。母はそんな一人と一匹を見るでもなく、昼ご飯を用意していた。焼きそばを焼いているらしく、ソースの良い匂いがする。

 それにしても自分も人のことは言えないが、未確認生命物体がいるというのに母の順応が早すぎる。そしてかしゅみもまた受け入れられていることになんの疑問も無さそうな顔をしている。今更晴奈は頭が混乱しそうだった。もしかしたら母はこの未確認生命物体が地球侵略を目論んでいることを知らないのではないか?


「お母さん、そういえばかしゅみ君……あの……。地球侵略しに来たらしいんだけど……。」

「あぁ、聞いた聞いた。」

「聞いたんだ!?」

「普段何してんの?って聞いたら元気に答えてくれたよ。一応侵略が目的ならあんまり人に言わない方がいいってアドバイスした。」

「アドバイス。」


 それでいいの?と言おうとして、瞬時に何を言っても無駄になりそうな予感がして晴奈は半開きになった口を閉じた。視界の端でかしゅみが二枚目のビスケットに手を伸ばしている。その体のどこにそれだけ入るのかとか、そもそも消化器官はいったいどうなっているのかとか、たくさん聞きたい事はあるが、聞くのがなんだか恐ろしくなってやはり晴奈は唇をひき結んだ。何を聞いてもこちらは理解を超えた返答が投げつけられそうだ。


「はい、お昼。」

「ありがとう……。」

「顔色悪いけど大丈夫?」

「いや……なんか……今になってこの生き物軽率に拾っちゃって良かったのかなって……。」

「ウチの玄関先にいたもの放置したらなんかやらかしたー、ってなっても嫌だしいいんじゃない?」

「う、うーん……まぁそう、いやそうなのかな……。」

「とりあえずご飯食べな。」


 湯気の上る焼きそばをテーブルに置いて、晴奈は手を合わせた。かしゅみは焼きそばに興味があるらしく、じっと見つめている。そっと手を伸ばして皿に付いていたソースを手にとって口に運ぶ。次の瞬間その間の抜けた顔は精一杯の渋面を形作った。眉間にシワを寄せ、下唇を噛みしめているらしい。


「どうしたのかしゅみ君。」

「しょっぱい……!」

「ソースは……しょっぱいよ……?」

「かしゅみ、しょっぱいの苦手……。」

「そっかぁ……。」


 妖精ってしょっぱいの苦手なんだ――晴奈が思考を放棄した瞬間である。向かいの椅子に座って同じように焼きそばを食べ始めた美晴も「じゃあいたずらしたら塩かけとこ。」などと言っている。ナメクジか。

 塩かけの刑に激しい抗議を始めたかしゅみに、早速美晴は塩の入った瓶を傾けようとする。わー!と悲鳴を上げて意外と俊敏な動きで逃げたかしゅみは、母から少し離れたところで両手を挙げた万歳のポーズでブーイングを送っている。


「はるちゃん、ママがかしゅみのこといじめるよぅ。」

「お母さん、大人げないよ。」

「面白くてつい。そんなことよりお洋服の洗い替えが欲しいね。いつまでもハンカチにくるまってるんじゃ動きにくそうだし。」

「ぬいぐるみ用の服とか……?ちょうどいいサイズのあるかなぁ。」


 手先の器用な友人に頼むという手もあるが、それにはまずこの生き物を紹介する必要がある。なぜか母は普通に受け入れているが友人も同じように受け入れてくれるとは限らない。となると、やはり採寸しておいて既製品を探す方がいいだろう。明日学校帰りにちょっと探してこよう、と晴奈は焼きそばを口に運びながら考える。そこでふと気づく。


「……学校行ってる間、かしゅみ君どうしよう……。」

「あー、お母さんも昼間お仕事でいないしね……。虫かごにでも入れとく?」

「誰が虫ですか。」

「学校に連れて行くわけにもいかないしなぁ。かしゅみくん、お留守番できる?」

「虫かごはやめてほしいなー。かしゅみ君ようせいさんなんだけどなー。」

「入れない入れない。」

「ならいいよ。あ、ビスケットとか、甘いもの欲しいな!ごはん大事!」


 どうやらビスケットをすっかり気に入ったらしい。



●●●



 美晴は食事の後、使っていない小さな弁当箱を晴奈に渡した。シンプルな一段の、仕切りが一枚入っているだけの小さな弁当箱である。簡易的なかしゅみの居住スペースとして使っていいらしい。早速かしゅみをいれると、丁度良く収まったのでこの案を採用した。


「このハンカチお布団にしていいよ。あと何かあるかな……あ、うさぎさん入れとく?」

「うさちゃん!入れて入れて!」


 片側が広くなるように仕切りを設置して、そこにハンカチを敷くことで寝床を作る。そこに小さなウサギのマスコットを置くと、不思議と一つの部屋のように見える。かしゅみがウサギのマスコットを抱きしめると、抱き枕のように見えて晴奈はつい和んだ。幼い頃のお人形遊びを彷彿とさせるのだ。もう本当に、かしゅみがどんな生き物で、どんな理由で地球侵略を目論んでいるのかなど、どうでもよくなってきていた。


「あー、なんか……かわいい……。」

「かわいい?かしゅみかわいい?」

「かわいい……。」

「ふふー。」


 こうして早速弁当箱サイズの領地といえど嘉村家を侵略しているかしゅみを指で撫でる。しゅみしゅみ、と鳴き声を発しながらかしゅみは晴奈に懐く。自分に懐く小動物を『かわいい』と感じるのが人類共通のシステムではないだろうが、少なくとも晴奈の精神はそういうシステムになっているらしい。弁当箱の空いている狭い方の空間にビスケットと金平糖と置くと、かしゅみは目を輝かせた。


「このお星様はなぁに?」

「これは金平糖。お砂糖だよ。」

「お砂糖!甘いんだね!」


 これはお気に入りのお菓子に金平糖が追加される日も遠くない。そう確信する晴奈であった。

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