第1話 お風呂から出てきたら調理されてたりとかしないといいんだけど

  朝、家の前にある小さな植木鉢に咲いていた花が、学校から帰ってきたときに枯れる前に無くなっていることに気づいたのが発端だった。変な虫でもついてるのかもしれない――調べるために意を決して中途半端に伸びた茶色がかった髪を一つに束ねる。殺虫剤を片手に恐る恐る探ってみたところ、根元に座り込む小さな生き物を発見したのである。体長約七センチメートルほど。おそらくは人型の、ほぼ二頭身の生き物。胴が長く、足が短い。見るからにぷにぷにとしていそうな頬にかかる黒髪は少しアシンメトリーになっている。襟ぐりが大きめに開いた白いワンピースのようなものを着たソレは、こちらに気づいた様子もなく無くなったと思った花びらを一心にむさぼっていた。少しズレた眼鏡を押し上げてよく見るが、やはりソレはそこにいる。


「……えーっと……?」

「……しゅみ?」

「ん?」


 今のは鳴き声だろうか。食べるのをやめ、ごま粒のように小さな垂れ目をこちらに向けている。


「に、にんげん?」

「しゃ、しゃべった……!?」

「わー!食べないでー!」

「食べ……!?君を!?食べないよ!」

 

 花びらを抱きしめてぷるぷると震える小生物。ちょっとかわいいとか思ってしまった。


「た、食べない?」

「食べないよ。で、何してるの?」

「ご、ごはん食べてます。」

「お花がご飯なの?」

「うん。」

「そっか、それでウチの植木鉢にいるんだね?」

「だめだった?」

「ダメっていうかびっくりしたよ。」


 気持ち悪い虫でもいたらどうしようかと思って怖々覗いたはずが、謎の生き物が住み着いていたなど誰が想像しただろうか。それも、人語をしゃべる。虫だったら噴霧しようと用意しておいた殺虫剤がお役御免になってしまった。いやむしろ思い切って噴霧した方がいいのだろうか。


「それにしても、君一体なんなの?」

「かしゅみっていいます!」

「かしゅみちゃん?」

「男の子だからかしゅみ君って呼ばれた方が嬉しいなー。あっ、ボク飼い主探してます!なってくれる?飼い主。」

「いきなり言われても……君がかしゅみって名前なのは分かったけど、他にないの?猫とか、犬とか、そういうの。」

「んーと、しゅぞくってこと?」

「種族。そう、そんな感じの。」


 小さな垂れ目の上で、元から吊り気味だった眉がピン、と伸びる。精一杯のきりっとした表情なのだろう。しかし締まらないその生き物は持っていた花びらを置いて両手を腰に当てる。どうも仁王立ちのポーズらしい。

 


「かしゅみは、です!地球を侵略しに来ました!」



 これが私――高校二年生・嘉村晴奈かむらはるなと自称妖精・かしゅみ君の出会いである。夏休み直前。テストを終えて帰ってきた暑い日のことであった。



●●●



 そのまま気まぐれと成り行きで妖精を名乗る謎の生き物を摘まみ上げた晴奈は、そのままその生き物――かしゅみを風呂場へと連れて行った。床にそっと降ろして土に汚れた服を一端脱ぐように指示した後、洗面器にぬるま湯を溜める。振り向くと、かしゅみは丁度よいしょ、と言いながらすぽっとワンピースのような服から頭を抜いた所だった。

 かしゅみに人間の体にあるような器官は見当たらない。ぷにぷにとした、おもちゃのような体をしている。お菓子の形をしたスポンジのような質感のおもちゃ――あれに似ている。そんなことを内心考えながら、晴奈はそっとかしゅみを持ち上げて洗面器に入れた。


「やっと飼い主が見つかって嬉しいなぁ。」

「まだなるって言ってないんだけどなぁ。」

「えぇ!?なってくれないの!?」

 

 うるうると見上げてくる小生物。正直に言えば、晴奈はこの顔で泣き落とされたようなものだった。自分が小さくて弱い生き物だと言うことを全面的に利用するようなその表情が、あざといと思わないわけではない。しかしあまりにも見捨てるには弱々しい。小さな生き物というだけでなく、人型で人語をしゃべるものだから余計に見捨てるのが忍びない。


「わかった、わかったから……。とりあえずシャンプーするから目閉じててね。」

「はーい。」


 ぴっ、と手を挙げて返事をするかしゅみ。本当にわかっているのかいまいち不安になりながらも、しっかりと目を閉じたのを確認してからシャンプーを少しだけ手に取る。お湯で手を濡らし、泡立てると優しいフローラルの香りが浴室に満ちていく。


「いいにおいだねぇ。」

「そう、よかった。痛くない?」

「大丈夫ー。お風呂ってきもちいいねぇ。」

「いつもどうしてたの?」

「水たまりとかでちゃぷちゃぷしてたよ。」

「……野生だなぁ……。」

「野良ようせいだったからねぇ。」


 野良妖精ってなんだと思いつつ、座ってもはや突起物と表現する方が近いほど短い足を、ぱたぱたと水中で動かすかしゅみを眺める。とりあえず潔癖症の気がある晴奈はかしゅみを念入りに洗うことに決めた。もふもふと泡に包まれていくのを見るのは少し楽しい。


「そうだ、このワンピースみたいなのも洗おうか。」

「洗う洗うー。服それしかないからね、大事だよ。」

「そうなの?ってそりゃそうか。えー、乾くかな……。洗い替え欲しいね。」

「欲しいねぇ。」

 

 暢気に言っているが、当然のことながら妖精の服など見かけたことはない。そもそも、なんとなく受け入れてしまったが妖精とはなんなのか。妖精というわりに、お伽噺に出てくる妖精のように羽が生えているわけでもなければ、光を放つわけでもでもない。どちらかというと小人と言った方が納得できる。――どちらにせよ、そんな想像上の、フィクションな生き物がこんなに身近に生息していていいのか。そして地球を侵略しに来たとはなんなのか。考えれば考えるほど疑問は尽きないが、なんだかこの顔を見ていると不思議とどうでも良くなってくる。恐ろしい生き物だ。


「ねぇねぇ飼い主さん、なんて呼んだらいい?お名前は?」

「ああ……嘉村晴奈です。呼びやすい呼び方でいいよ。あんまり変なのじゃなければ。」

「じゃあ、はるちゃんね!はるちゃんって呼ぶ!」

「うん、いいよ。それにしても服どうしようか……私作ったりとかできないんだけど。」


 裁縫すれば指は傷だらけ、料理をしてもいつの間にか傷だらけ。不器用を極めた自分に、この小さな生き物の服を作れるはずが無い。大きい物を作るのももちろん技術がいるが、小さい物を作るのも違う技術がいる。細かい作業が苦手なのは女子としてどうなのか思うことはあるが、それでも今までは家庭科の成績以外で特に真剣に悩むことは無かった。そもそも今どき裁縫と料理のスキルを「女子力」なんて呼ぶのは性差別だ――とも思うものの、やはり不器用なのは少しばかり生き辛い。


「とりあえずこれを洗って、ドライヤーとかで乾かしてみようか。その間はタオルでも巻いとく?」

「それならハンカチとかあると嬉しいなー。」

「分かった。用意するよ。さ、流すから口も閉じてね。」

「んー。」


 かしゅみをシャワーで洗い流しながら晴奈がまっさきに思い出したのは、何年か前に買ってそのままにしてある白いハンカチだった。普段使うタオルハンカチではなく、サラリとした質感の、縁がさわやかな薄緑色をしたハンカチ。気に入って買ったのになんだかもったいなくて使えずにいたそれを今こそそれを使うべきだと、不思議と思った。


「ぷは。すっきりした。」

「ハンカチ持ってくるから、ちょっと待ってて。」

「はーい。」


 洗面器の中の湯を入れ替えて再びかしゅみを入れると、気持ちよさそうにしている。やっぱりなんだか気が抜ける。ひとまず晴奈は階段を上って二階の自室へ。ハンドタオルと件のハンカチを衣装ケースの奥から引っ張り出して再び風呂場へと戻ると、かしゅみは仰向けでぷかぷかと浮いていた。果てしなく暢気である。

 

「お待たせ。ハンカチ、これなんてどうかな。」

「きれい!かしゅみ、その色好きなの!貸して貸してー。」

「わかった、貸してあげる。でもその前にちゃんと拭こうね。」


 ハンカチを見せた途端に浮くのをやめて洗面器の縁へと寄ってきたかしゅみをすくい上げる。ハンドタオルの上に降ろして優しく拭いてやると、気持ちよさそうに「しゅみー」と鳴き声を発した。髪の毛までしっかりと拭いてからハンカチを広げて差し出すと、器用に畳んで体に巻いていく。あっという間にハンカチをフード付きのポンチョのように纏って、かしゅみは嬉しそうに小さく跳ねた。


「器用なんだね。すごい。」

「すごいでしょ。かしゅみ、かわいい?」

「うん、かわいい。」

「しゅみー!」


 かわいいと言ってやると喜ぶらしい。ハンカチポンチョを着たかしゅみを手のひらに載せて、晴奈は浴室を出る。自分も外が暑かったせいで汗まみれになっている体を流したいものの、まずはこの妖精さんを部屋に連れて行ってやったほうが良いような気がした。今は出払っている家族に見られて説明するのも難しい。しかし――その時。


「なに持ってんの?」


 買い物から帰ってきた母親に早速見つかるのであった――。



●●●



 変に嘘をつくのもどうかと思ったというのが一つ。そして理由はもう一つ。どう嘘をついていいか分からなかった。これに尽きる。この自称・妖精さんが植木鉢の中で食事をしていた旨を話すと、母――美晴はしげしげとかしゅみを観察するように見た。


「妖精さん、ねぇ……。実物がこうしているんじゃ、信じない訳にもいかないか……。」

「しんじてー!かしゅみ君ようせいさんなのー!」

「ちょっと胡散臭いけど。」

「うさんっ……!?」


 目に見えてショックを受けた様子でかしゅみは晴奈の手の上で固まった。それを面白がってつんつんと指先で美晴がつつくと、ぐぬぬ……と言いながら眉間にシワを寄せた。それがちょっと面白くて晴奈は思わず小さく吹き出した。


「はるちゃん、笑い事じゃないですよ!かしゅみ君はこんなにかわいいのに!」

「自分で言う?」

「わーん!胡散臭くないもーん!」


 今度はフード部分を被っていじけた。ついその丸っこい姿がかわいくて指で撫でてやると、すぐに顔を出してご機嫌な様子で指に擦り寄ってくる。あまりの単純さが羨ましい。


「そうだ、お母さん。私お風呂済ませちゃってもいい?べたべたで気持ち悪いんだよね。」

「あぁ、いいよ。バスタオルとか置いてあるから入っちゃいなさい。ほら、かしゅみだっけ?そのは預かるから。」

「うん。よろしく。」


 ひょい、と美晴はかしゅみの首根っこを摘まんだ。かしゅみは誰がですか!とぱたぱたと短い手足で暴れるが大した抵抗ではなく、美晴はそのまま片腕に買ってきたものが詰まったエコバックと共にかしゅみをキッチンまで運んでいく。

 自室に部屋着を取りに行く途中、かしゅみの「食べないでーーーー!」という悲鳴が聞こえたが、聞こえないふりをする晴奈であった。

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