第6話 そもそもどう説明しろと

 昼休み、晴奈のスマートフォンを見て伊原夏音いはらなつのは愕然としていた。正確にはそのスマートフォンの液晶画面、一枚の写真だ。


「本当に見えない?」

「見えないよ……。」


 晴奈は続けていくつかの写真を夏音の前に差し出すが、夏音は首を横に振る。そっか、と晴奈は呟いた。


「私には見えるんだけどな……。」

「ねぇ、かしゅみってやっぱ幽霊とかなんじゃないの……?なんか小動物の幽霊の集合体が意思を持ったとかそういう……!」

「夏音ちゃんホラー好きだっけ?」

「グロいのは嫌。」


 晴奈の撮った写真には、かしゅみが写っている。晴奈の部屋でビスケットをかじっていたり、リビングのソファでクッションに埋まっていたりと自由奔放にしている姿が収められている――はずなのだが。これは晴奈にしか見えないらしい。夏音には写真そのものは存在しているのにかしゅみは写っていないように見えているのだ。事の発端は晴奈の母、美晴だった。かしゅみの写真を撮っていた晴奈のスマートフォンの画面をのぞき込んだ時。


――かしゅみって、カメラには写んないんだね。


 晴奈の背筋が寒くなった瞬間である。当のかしゅみはというと、自慢げに胸を張って「ようせいさんだからね!」と宣っていた。なぜ晴奈には見えているのかについてはかしゅみも分からないらしい。夏音は不思議そうに晴奈の撮ったプチ心霊写真もどきを眺めている。


「生徒会の先輩に神社の娘さんがいるって言ってなかったっけ?」

「あぁ、実範みのり先輩?確かに相談には乗ってくれそうだけど、かしゅみ君追い払われるの、なんかやっぱ……嫌なんだよね……。」

「……かわいいもんね、正直。」

「うん、悪さするわけでもないし。」


 写真ではなんとなく間抜けな顔で晴奈を見上げているかしゅみ。晴奈はつん、と写真のかしゅみをつついた。そうだ、悪さをするわけでもなく、ただ家でお菓子を貪ってころころと転がっているだけの無害な『何か』なのだ。地球侵略を目論んでいるらしいが、全く何かしている気配はない。


「かしゅみ君の地球侵略計画より、通り魔の方が怖いよ。まだ捕まってないらしいし。」

「あー、あれ。ネットの友達も同じ学校の子がやられたとか言っててね。目撃者が未だにいないのがメチャクチャ不気味。」

「……やだなぁ……。」

「生徒会終わるの遅い日は運動部と同じくらいになっちゃうもんね。早めに切り上げて帰んなよ?」

「うん。夏音ちゃんも気をつけてね。」


 夏音は平気平気、と言ってオレンジジュースのパックを手に取る。明るい真夏の教室を背景に快活な彼女が手にするそれは、ひどく美味しそうに見えた。女子高生、という期間限定ブランドをここまで自然かつ上手に着こなす人は、きっと世の中にそうそういない。


「……夏音ちゃん、その内オレンジジュースのCMとかでスカウトされそう。」

「なにそれぇ。」


 おかしそうに長めのポニーテールを揺らして笑う夏音に、釣られて晴奈も笑うのだった。



●●●



「……家まで送ります。」


 高校一年生の男子の平均身長が何センチであるのかを晴奈は知らない。しかし、目の前の後輩がそれを大きく上回るのだろうということは分かる。それほどに長身の書記を務める生徒会の後輩――藤武千虎ふじたけちとらは晴奈をじっと見つめてそう言った。晴奈はこの後輩を悪く思っているわけではないが、どうにもじっと見つめる黒々とした目だけは苦手だった。


「悪いよ、遅くなっちゃったし、雨も降りそうだし……。」

「だからです。通り魔のニュースを知らない訳ではないでしょう。」


 う、と晴奈は言葉に詰まる。窓の外では夏といえど日は傾き、その日を更に陰らせるように雲が出てきた。確かに、剣道部の一年生エースでもある彼に送ってもらえば安心ではある――しかし、いかんせん晴奈は異性と二人で帰ることに抵抗があった。別に千虎は親切で晴奈に声を掛けてくれただけで他意は無く、むしろ他意など自意識過剰だとすら晴奈は思うのだが、それでも変に緊張してしまうし、なんなら緊張している自分が嫌になる。


「晴奈を私の目の前で放課後デートに誘うなんて……いい度胸だねぇ。千虎君。」


 悶々とする晴奈の首元に後ろから腕をと回して抱きついてきたのは副会長の出雲実範いずもみのりだ。どうにも高校生らしからぬ落ち着きと色気を纏う彼女の仕草と声に、なぜか異性である千虎ではなく、同性の晴奈が赤面した。


「実範先輩、で、デートとか、そういうのじゃないですっ!藤武君は親切心で言ってくれてるだけで!」

「わかってるよぉ。照れちゃって、かわいい。」

「……出雲先輩もお送りしますが。」

「んー、そう。そうだねぇ。途中まで方向一緒だし、着いていこうかな。」


 実範はセミロングの黒髪を無造作に耳に掛けながら頷く。ボブヘアにしたのが伸びてしまっただけ、という本人の証言からは信じられない程その気だるげなヘアスタイルと仕草がやけに色気を伴う。それこそ同性ですら不思議と目が行くような彼女に見つめられても千虎はまるで動じない。晴奈は内心思う。――藤武君、先輩の隠れファン多いから気をつけてね。


「会長たちが戻るまでいた方がいいでしょうか。」

「いーの、さっき帰っていいとか言ってたから。」

「なら、早く帰りましょう。」


 鞄を背負い直した千虎を晴奈と実範は追いかける。靴を履き替えて校門をくぐる頃、実範はちらりと千虎を見る。千虎もまた実範に視線を合わせた。わずか一瞬、一秒にも満たないアイコンタクト。晴奈はそれに気づかなかったが、確かにそれは交わされた。


「ねぇ、晴奈。藤武君。例の通り魔のことどれくらい知ってる?」

「え……まだ捕まってなくて、この辺りでもパトロール強化してて……あと、一人でいるところを狙われるとか?あ、目撃者もいないんでしたっけ。」

「それから、死亡例は無く、ただすれ違いざまに軽く切りつけられるだけ。」

「そうそう。……変だなぁって、思わない?」

「なにがですか?」


 晴奈は実範を頼りになる先輩だと思っている。少しスキンシップは多いけれど、親愛の証だろうとも。だが、彼女のことを多く知っている訳ではない。時折どこを見ているのか分からない表情で、彼女は晴奈に問いかけるのだ。


「死者こそ出てないものの全国的に報道されるほど被害があって、すれ違いざまに切りつけられてるのに、目撃者が一人もいないなんて。」

「偶然じゃないんですか?」

「どうかなぁ。考え過ぎかも、しれないけどね。」


 くすくすと笑う実範に晴奈は曖昧な返事しかできなかった。二人の前を歩く千虎は何も言わない。ただ、置いていくことがないように歩幅を合わせてはくれているようだ。通り魔の話はそれきりで、実範は他愛もなく教師の話などをしていた。やがて、その実範も分かれ道で足を止めた。夕暮れ時、小高い山の、薄暗い林道を背にした実範の姿は人によっては不気味に映るかもしれない。


「先輩……気をつけてくださいね。」

「大丈夫、ここからすぐだもの。晴奈こそ、藤武君に置いて行かれないようにね?」

「置いていったりしません。」

「んふふ、冗談だよ。じゃあ二人とも、また月曜日ねぇ。」


 手を振って実範はくるりと背を向けて林道を上っていく。それを見送って再び歩き出した晴奈と千虎も特段変わったことはなく、晴奈の家に辿り着いた。ほっと一息ついた晴奈が千虎に礼を、と振り返ると千虎は普段無感動気味の顔を珍しく険しくして晴奈の部屋がある二階を見ていた。


「藤武君……?どうかしたの?」

「……先輩、最近ペットでも飼い始めましたか?」

「えっ……?あ、あー、うん。ハムスターを。飼ってるっていうか、預かってるっていうか。」


 咄嗟になぜかついてしまった嘘。千虎は言及することもなく「そうですか」と一言呟いた。晴奈は唐突に胸の辺りにざわざわと悪寒に似た何かを感じた。夏の気温のせいだけでない汗が背筋を走っていく。


「そのハムスター、名前は?」

「あー、返すまでに愛着湧きすぎてもいけないし、ハムちゃんって呼んでるの。藤武君、小動物好きなの?」

「嫌いではありません。……では、俺はこれで。」

「あ、うん。ありがとうね。藤武君も気をつけて。」


 千虎は軽く頭を下げて帰って行った。彼の背中が見えなくなるのも確認せずに晴奈はそそくさとドアをくぐる。母の「おかえりー」という気の抜けた声に返事をしてやっと晴奈は肩の力が抜ける。一体何だったのか。よく知っている顔見知りの後輩の質問になぜあんなにも悪寒を感じなければいけないのか。ぽてぽてという音に俯いていた顔を上げると、暢気そうなかしゅみがいた。


「はるちゃんおかえりー!おそかったねぇ。」


 つり眉できりっとした表情にも見えなく無いはずなのに、やはりかしゅみはどことなく間抜けな顔をしている。――元々、この不思議生命体をたくさんの人に言いふらす必要など無いのだ。だから、千虎には隠して正解だったのだ。


「ただいま。ちょっと学校でお仕事してたんだよ。」


 靴を脱いで家に上がり、かしゅみを手に載せる。柔らかい頬をつつくように撫でると、かしゅみは嬉しそうに晴奈の指に擦り寄ってきた。まぁいいか、と、ここのところの毎晩と、同じ結論に達する晴奈であった。

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