踊ってあ・げ・る!

ヴィルヘルミナ

第1話

 目が覚めると異世界でした。


 そんな冗談のようなことが現実になるとは思っていなかった私は羽藤はとう 凛都香りとか。十七歳の女子高生。


 目の前に広がる天井には板はなく、木のはりがむき出しだ。ドライフラワーや毛皮、いろんなものがぶら下がっている。むき出しのレンガ壁にカーテンの無い木枠の窓。青い空に赤と緑の大きな月が輝いている。小さくて白いのは太陽だろうか。どうみても地球じゃありません。これはきっと夢。生々しいけど。


 深く息を吸い込むと埃っぽい。学校の制服のままの私が横たわるベッドは硬くて、布団とは程遠い布が体に掛けられている。


 体に異常は感じない。今、目が覚めた。そんな気分。十二畳くらいの部屋の中、誰かがいる気配を感じて起き上がるべきなのか迷う。変な夢だし、もう一度眠ればいいかと目を閉じる。


「気が付いたのか?」

 良い声だ。でも男。待て待て、これって貞操の危機って言うヤツじゃないの? うだうだと迷う間に、男が近づいてくる気配。いやいや、これは逃げるしかない。


 勢いよく起き上がって驚いた。目の前に立っているのは、少し長めの金髪に青い瞳の細身の美形。身長は百八十センチは確実にある。二十五歳くらいだろうか。オフホワイトのシャツに黒いズボンとブーツという出で立ちだ。


 超美形。とにかく美形。冷酷な感じの美貌。惜しむらくは、全然好みじゃない。

「あの……ここは?」

 反射的に可愛らしく首をかしげて質問する。好みじゃなくても、相手は美形だ。

「リオルディ王国、ロヴァッティ公領の森の端だ」

 全然聞いたこともない国名に混乱する。やっぱり夢か。


「……俺はリナルド・ロヴァッティ。お前は?」

「羽藤凛都香。……リトカが名前です」

 リナルドは一定の距離を保って、ベッドに座る私に近づこうとはしない。紳士のようで一安心。


 唐突に木の扉が乱暴に叩かれた。

「お届け物でーす!」

 リナルドが開いた素朴な扉の先には茶色の髪の男がいた。薄茶色のシャツに茶色のズボン。斜め掛けの黒のバッグ。


「ひっ! ば、化け物っ!!」

 リナルドの顔を見て叫んだ配達人は手紙を放り出し、走って逃げていく。リナルドは溜息混じりに落ちた手紙を拾い上げて扉を閉じた。


 化け物と驚くような顔ではない。はっきり言って美形。私の好みじゃないけど、物凄く美形。逃げた配達人は普通の顔だ。

「まっ、まさか、ここは美醜逆転世界!?」

「……お前に俺の幻惑魔法が効いてないだけだ」

 心の呟きが口から零れてしまった。リナルドは口をへの字にして不機嫌さを隠そうともしない。


「そうなの?」

 魔法。ますますファンタジー世界だ。もしかして、森に引きこもる偉大なる魔術師なのか。


「……俺がこんな森で地味に引きこもってるのは、この顔のせいだ!」

「は?」

「この美しすぎる顔! 外国の王妃や姫君に言い寄られ、令嬢たちが群がる。俺が行く先々で、俺を巡っての争いが起きる! 平和を望む俺は自らの意思で引きこもってるんだ!」

 ぐしゃりと手紙を握りしめ、リナルドが力説している。無駄にカッコイイ。


「あー、はいはい。そうですか」

 一気に幻滅。一瞬でもわくわくした時間を返せ。確かに顔は良い。顔は良いけど性格に問題ありとしか思えない。


「えーっと。元の世界に帰りたいんだけど。戻してくれる?」

「無理だ。お前は恐らく元の世界では死んでいる」

「は!? 死んでるって、何よ? 私はカフェでお茶してただけよ?」

 私は新宿駅にあるカフェでミルクティを飲んでいた。店の外を通りがかったダンスの先生を見つけて、挨拶しようと席を立った。そして……。


「……何か白い光に包まれた。それでどうやって死ぬっていうの?」

「それは俺も知らん。ただ、異世界転移してくる人間は元の世界で死んでいると師匠に聞いた」

 ほろりと涙が零れた。そんな。突然死んだと言われても理解できない。トラックに轢かれてもいないし、異世界の女神にも会っていない。


「あー、おい、泣くな。泣くなよ。あー、異世界人はどうやって慰めたらいいんだ!?」

 おろおろと狼狽しても美形は美形だ。ムカつく。 

「……いつもはどうやって慰めてるの?」


「『君に涙は似合わない』と言えば、令嬢たちは泣き止む」

 今の私と同じで、呆れて涙が止まったんじゃないかと思う。ただし物凄くカッコイイのは認める。


「……ま、落ち着いてから考えることにする」

 リナルドの言葉を素直に信じる訳じゃないけど、もしかしたら、これが死後の世界というものなのかもしれない。 


 いろいろと話をすると、どうやら私は、空から落ちてきてリナルドに拾われたらしい。この国に異世界人が落ちてくるのは数百年に一度くらいあるかどうかの珍しい話。黒髪黒目の異世界人の伝承は、この世界のあちこちに残されている。


 西洋風の異世界の文化水準は中世から近世。ネットも無ければ電話すらない。これからどうやって暮らしていけばいいのかとぐるぐる迷う。


 もしかしたらダンスの先生も異世界転移しているかもしれない。先生を探す旅に出るのもいいかもと思った時、どっちにしても資金が必要なことに気が付いた。この世界でどうやってお金を稼ごうか。


 私が黙り込んでしまったからか、リナルドは先程握りつぶした手紙を読んで頭を抱えた。

「どうしたの?」

「……」

 無言で渡された手紙を読む。見たこともない変な文字で書かれているのに、意味がわかるから不思議だ。そういえば、リナルドとも普通に話している。


「今度の舞踏会に必ず参加するように王の命令が出たから帰ってこい、って……別にいいじゃない。参加して何か困ることあるの?」

「俺は今まで、ずーっと参加を断ってたんだ」


「どうして?」

「俺は踊れない」

 深刻な顔でリナルドが呟く。壁にもたれかかって悩む姿は絵になりそうなくらいにカッコイイ。


「魔法が使えるんでしょ? ダンスくらい楽勝じゃないの?」

「向き不向きがある。……俺は戦闘系の魔法に特化してるんだ」

 幻惑魔法も戦闘中に使うから習得したらしい。別に顔がどうこうっていう理由じゃなかった。


 どんなダンスかと聞けば、男女ペアで踊るものらしい。説明から想像するとワルツっぽい。

「相手もいないしな」

「令嬢がよりどりみどりなんでしょ? 誰かにお願いすればいいじゃない」

「揉めるに決まっている……」

 深い溜息。悩む美形を見ていてひらめいた。


「私がペアになって踊ってあげる! 踊れないならレッスンもしてあげる!」

「は? お前、何を言ってるんだ?」

 ダンスは得意だ。社交ダンスから盆踊り、ヒップホップまで一度見れば踊ることができる。高校生になってからは海外の社交ダンスコンクールで優勝し、二年連続優勝を狙って練習を重ねていた。


「舞踏会に出ないといけないんでしょ?」

「……ああ。しかし……俺は男だ。初めて会った女から親切は受けられない」

 ふっ。そんな感じで髪をかき上げる。確かにカッコイイけど好みじゃない。


「何言ってんの? タダな訳ないじゃない。有料よ」

「お、おう」

 こうして私は異世界での初仕事を手に入れた。


   ◆


 可愛らしい小屋を出ると外には白馬が繋がれていて、私は人生で初めて馬に乗せられた。記憶から消し去りたいくらいに乗り心地は最悪。本当に忘れたい。スマホは電池切れを起こしていて役立たず。体感では二十分くらい馬で走った。


 森を抜けると白いお城のような建物が湖に映り込んでいて華麗で豪華。ここが屋敷だと言われ、公爵家の跡取り息子と聞いて驚愕する。


「俺の両親に合わせる前に言っておく。似てないとは絶対に口にしないでくれ」

「似てないの?」

「いや。俺は似ていると思うんだが、昔から似ていないと言われ過ぎていて、両親が気にしているんだ」

「そうなんだ……」


 そんな前置きで案内された公爵家当主の部屋に入った途端に、私は叫んでしまった。

「ちょ! 凄い似てる! そっくりじゃない!」

 背の高い中年男女。失礼だと思うけど美形とは程遠い普通の顔だ。でも似てる。両親から良いパーツをピックアップして絶妙に配置された結果がリナルドの美貌だ。


「そ、そうか? やっぱり、そう思うか?」

「思う、思う。目はお母さん似でしょ、鼻はお父さん似だし」

「やっぱりそうだよな」

 二人で盛り上がっていると、微笑む公爵夫人から椅子に座るようにと勧められた。しまったはしゃぎ過ぎたと猛省しながら背筋に冷たい汗が流れる。


 リナルドが私と舞踏会に参加すると説明すると、公爵夫妻は明らかに安堵の表情を浮かべ、私を歓迎すると言ってくれた。見ず知らずの異世界人なのに簡単に受け入れて大丈夫なのかと問うと、リナルドが信頼しているのならそれでいいと返事が返ってきた。人の好さそうな笑顔を見ると、レッスン代をもらう約束をしているとは言い辛い。


 ハーブティを飲みながら交わした会話の中で、一番の衝撃はリナルドが十八歳ということだった。

「十八? 私と一歳しか違わないの?」

「何かおかしいか?」

「……二十五歳くらいかと思ってた」

 歳が近いとわかると、ちょっと意識してしまう。いやいや。好みじゃないし。


 そして公爵家の客人としての日々が始まった。


   ◆


 公爵家の屋敷は広い部屋がいくつもある。社交の季節には、公爵家主催の舞踏会や夜会も開かれるらしい。一番広いホールは天井も高くて、壁も調度品も物凄く高そう。


 一晩で仕立てられたクリーム色のシンプルなドレスは身体にぴったりと合う。手触りはおそらくシルク。ドレスの下には何枚ものペチコートが隠されていて重量感がある。くるりと回転すると、ちらりとペチコートが見えて綺麗。


 リナルドは燕尾服に似た黒のロングコート。タイは私のドレスと同じ色。黙って立っていれば、間違いなくカッコイイ。好みじゃないけど。


 ダンスの教師をしているという下級貴族の男女が呼ばれ、五名の小楽団が音楽を奏でる中、見本を見せてくれた。ドレスの重さを全く感じさせない流れるような所作。フロアの移動は男性が主体になって導いていく。


 全然難しくない。三拍子のワルツではなくて、回転も少ない四拍子のスローフォックストロットに似ている。どちらかというと英国式に近い。


「先生、私と踊って頂けませんか?」

 教師たちは訝し気な表情だ。一度見ただけで踊れる訳がないと思っているのだろう。今に見ていろと心の中で思いつつ、顔は微笑みを絶やさない。


 男性教師にエスコートされて最初の位置へと立つ。深く息を吸い込んで心と体を整える。背筋を伸ばして教師の目を見上げると苦笑が消え、真剣な表情へと変化した。


 初めて聞く曲でも四拍子で捕らえれば簡単。二拍のスロー、一拍のクイック、クイック。心の中で拍子を取りながら、緩やかに踊る。コンクールの為の厳しい練習の成果は、異世界でも役立っていることが嬉しくて誇らしい。


「覚えた! 楽勝よ!」

「……す、凄いな」

 その後、どうしても女性教師と踊るのは嫌だとリナルドがごねて、教師も楽団も帰してしまった。


「ま、音楽無くてもいけるけど。ほら、まずは基本から!」

 無理矢理リナルドの手を握り、最初の姿勢を取る。

「お、おい。近すぎないか」

「そんなこと言われましても、これが基本でーっす! 一、二、三、四! ほら、リナルドもカウントする!」


「お、おう」

「左足を前に! ちょ! 後ろじゃなくて前!」

 リナルドが脚をもつれさせて、尻餅をつく。一緒に倒れた私は抱き止められて無事。 


「……もしかして、女が苦手?」

 囁くとリナルドが硬直した。自分の顔に自信があっても、女性の扱いは慣れていないらしい。


「ちょっと待って。馬に乗せるとき密着してたでしょ? 私を女だって思ってないってこと?」

 リナルドの前に乗せられて、それはそれは酷い目にあった。

「いや、そういう訳では……」


「ってことは、理由があれば密着できるってことでしょ。慣れれば平気よ。とにかく踊れるまで特訓よ!」

 笑いながら立ち上がった私は、座り込んだままのリナルドに手を差し伸べた。



 あっという間に夜になり、慌ただしく夕食を食べて私は客室へと戻った。私一人の為に用意された部屋は、信じられないくらいに豪華。侍女が世話をしてくれるし、お姫様気分になれる。


「はー。ちょっと張り切り過ぎてるかなー」

 天蓋付きのベッドに入って分厚いカーテンを閉めると、ようやく完全に一人の空間ができた。広いベッドの上でストレッチをして体をほぐす。


「これは明日、筋肉痛かも。困ったな……」

 レッスンがあるのに。そう考えた途端に手から白い光が出て、固くなっていた筋肉が解れた。

「え?」

 これはもしや、回復魔法? あちこち手を当てると疲れが取れて行く。足にできていた肉刺も消えた。調子に乗った私は全身を回復させて、ふかふかのベッドで眠りについた。



「ダンスは共同作業よ。一心同体。二人が同じリズムを共有しないと上手く踊れないの」

 全部、私の先生の受け売りだ。それは正直に話してあるから後ろめたさはない。


「うぉ! この俺に出来ないことがあるとは!」

「舌噛むわよ! ほら、足を右斜め前に出す! 違う右よ、右!」

 足が動くようになったリナルドの動作には切れがある。リナルドの素早い足捌きはゆっくりとしたダンスには向いていない。思い切り踏まれたら痛いだろう。私は楽勝で避けるけど。


「貴族って、もっと優雅っていうか、のんびりしてるんだと思ってた」

「そうか? ……ああ、俺は剣術を習ってたからな。だから動作が早いのかもしれない」


 私が目覚めた場所は、リナルドの剣術の師匠の家だった。師匠は放浪の旅に出ていて、自由に使っていいと言われていたので逃げ込んでいたらしい。簡単な自炊もできるというから驚きだ。


「……昔から、俺は騎士に憧れてた。だから森に住む剣の師匠に頼み込んで弟子にしてもらったんだ。腕に自信はあるし王前試合で名のある騎士に勝ったこともあるが、公爵家の跡取りが王の騎士になることは王に認めてもらえなかったんだ」


「騎士、似合いそうなのにね」 

「そ、そう思うか? そうだよな!」

 しまった。リナルドの何かを刺激してしまった。鼻高々で目を輝かせる美形は間抜けだと思いつつも冷たい印象がなくなって、ちょっぴり可愛い。


 早朝から夜まで、毎日特訓が続いた。回復と治癒魔法が使える私は余裕の日々。元々運動神経の良いリナルドは、どんどん上手くなっていく。


 そろそろレッスンを終えてもいいかと思いながらも、終わるのが惜しい。完璧のさらに上を目指して、舞踏会の前日まで私たちは踊り続けた。


   ◆


 この世界での一カ月、三十六日が過ぎ去って舞踏会の当日を迎えた。人生初の馬車に乗って王城へと向かう。


 舞踏会でのドレスは紺色。私の年齢だとピンクや白が人気だと仕立て屋は言っていた。確かに私も可愛らしい色の方が好みだ。レースや透けるシルクを使った豪華なドレスは、もう二度と着れないだろう。


 リナルドは私のドレスの色に合わせた紺色のロングコート。男性は黒と決まっているのかと思っていたら、好きな色でいいらしい。


 公爵家のお城も凄いと思ったけれど、王城はもっと豪華絢爛できらきらと輝いている。馬車から降りると赤い絨毯。お姫様になった気分でうきうきする。


 出会った時に聞いたリナルドの言葉は、嘘でも誇張でもなかった。

 王城の中での魔法は禁止されていて、幻惑魔法が掛かっていないリナルドの周囲には煌びやかなドレスに身を包んだ令嬢たちが押し寄せてくる。隣に私という女がいるのにお構いなしだ。それぞれのパートナーは置き去りになっている。


「リナルド様が舞踏会にいらっしゃるなんて……お聞きしておりましたら、わたくしが同行致しましたのに」

 一人の令嬢の言葉に、周囲の令嬢が同意する。バチバチと令嬢間で火花が散っているような気がして、独り高みの見物状態の私は、おもしろくて仕方ない。


「申し訳ないが、私には連れがいる」

 貴公子らしい優雅な振る舞いと、いつもと違う言葉が聞き慣れない。リナルドが普段使う言葉は剣の師匠に影響されていると聞いた。


「……お見かけしたことのないお顔ですわね」

 令嬢の一人がちらりと私を見る。あきらかに蔑む視線だ。私は余裕で微笑みながら、リナルドの腕に掛けた手を見せつける。


「紹介しよう。私の婚約者リトカ・ハトウだ」

 婚約者と口にした途端、取り囲む令嬢たちの空気が凍った。貴族ではない私が舞踏会に出るには、婚約者とするしかなかった。怖いけど嫉妬の視線が心地いい。こうして楽しめるのは他人事だからだと思う。偽りの婚約者だから気楽だ。


「……そ、そうでしたの? おめでとうございます。正式発表はいつになるのですか?」

 完全に棒読み。口々にお祝いの言葉を口にしても全然感情が入っていない。


 令嬢たちだけでなく貴族たちとも挨拶を交わしながら、王城内を歩いて行くと、飲み物や軽食を提供している部屋が見える。部屋の前の廊下には、グラスを持って談笑する人々。


「何か飲むか?」

「ううん。後で」 

 ゆっくりと近づいてきた令嬢の手には赤く色付く飲み物が入ったグラス。これは危ないなと勘付いた私は、つま先に重心を移して臨戦態勢を取る。


「リナルド様、後でわたくしと踊っていただけませんか?」

 グラスを持つ令嬢とは別の令嬢がリナルドに話し掛けてきた。ちらちらとグラスを持つ令嬢に視線が行く。きっと二人は共犯。古典的な方法過ぎて笑ってしまいそうだ。


 令嬢がグラスの中身を私のドレスに掛けようとした時、私はリナルドに話し掛けていた令嬢の腕に手を掛けて、回転するようにして入れ替わる。入れ替わった令嬢の淡いピンクのドレスに赤い染みが広がっていく。


「まぁっ! 何をなさいますのっ!」

「も、申し訳ございません!」

 ドレスを汚された令嬢は顔を赤くして、汚してしまった令嬢は顔を青くする。


「あらあら、早く洗わないと染みになってしまいますわよ」

 ほほほ。扇を口元にあてて笑う。意地悪なライバル令嬢っぽくて結構楽しい。


「なっ……!」

 顔を真っ赤にして怒る令嬢の矛先は私に向けられたらしい。目尻を吊り上げ、ぎりぎりと扇を握りしめる音がする。それでいいと思う。あのグラスを持っていた令嬢よりも、私の方がきっと敵役には向いている。どうせ今回限りだから、後のことは考えなくていいから楽。


「ふっ。私に嫌がらせしようなんて、百年早いのよ」

 トドメに一言を囁くと、ぱきりと何かが折れる音がした。恐らくは手にした繊細な細工の扇が折れる音。ちょっともったいない。


 怒りに震える令嬢の顔を見ながら、ヤバイくらいの心の快感に浸る。ここしばらく感じていたストレスがすっきり解消した。性格が悪いと言われても、まぁ仕方ない。実際、性格悪いのは自覚してる。


「リナルド様、そろそろお時間でしょう?」

 彫像のように固まった顔のリナルドを促して、廊下を歩いて行く。

「……い、今のは?」

 リナルドが微妙に引いてる。まぁ、そうだろう。

「あー、よくある嫌がらせ」

 女のドレスに飲み物を掛けて汚すというのは、海外のダンス大会では時々ある話。勝つ為なら何でもやるというペアや、ファンが対抗選手への妨害をしたりすることがある。披露した回転技は先生直伝だ。


「まさか……予想していたから、そのドレスの色を選んだのか?」

「その通り。さ、行きましょ」

 紺色なら多少の染みができても気が付かれない。異世界人がいきなり貴族の舞踏会に登場して、歓迎されるなんて一ミリも期待していない。一度限りの舞踏会で替わりのドレスなんて要求できなかった。


 王の挨拶の後、舞踏会が始まった。


 広い広いホールに立つと心地よい緊張感に包まれる。ダンスフロアは戦場のようなもの。参加者同士がお互いを値踏みし合う無言の威嚇も、慣れ親しんだ空気だ。


 誰にも負けないという自信。私たちのペアが最高だと信じる気持ち。大会では、いつも無理矢理気持ちを高めていたのに、リナルドが隣にいると自然にそんな思いが湧いてくる。


 一カ月という短い期間であっても、十分過ぎるレッスンを重ねてきた。異世界に来てハイになっていたのか調子に乗り過ぎていた私のシゴキに、よく着いてこれたと思う。男だからとか、そんなことは関係ない。


 広い空間ではあっても、思っていたより人は多い。ぶつかりそうになるとリナルドが凄い反射神経で方向転換を促す。リナルドがいるなら安心。ふと思い浮かんだ言葉に笑ってしまう。


「楽しそうだな!」

「うん。ものすごく楽しい!」


 私はダンスの楽しさをすっかり忘れていたと思う。コンクールで優勝する為の練習ばかりの日々。二年連続優勝というプレッシャーと戦いながらの練習は戦闘訓練のようで、楽しさとは遠いものだった。


 ダンスを始めたのは、音楽に合わせて体を動かすことが楽しい。ただ、それだけだった。初めて挑戦した大会で運良く優勝してから、楽しむことを忘れて賞を取ることだけを考えていた。


 先生がいつも言っていた『楽しむことが一番よ』という意味がようやく理解できたような気がする。いつも笑顔で踊っていた先生は、心からダンスを楽しんでいた。

 

 リナルドに足を踏まれそうになって、咄嗟に避ける。コンマ以下での反射的な動きは、先生に叩き込まれた。

「……すまない。間違っ……」

「大丈夫、私は楽勝で避けるから」

「……そうか。そうだよな、リトカのダンス技術は最高だな」

 少年のように笑う顔にどきりとした。突然、早鐘を打ち始める心臓の意味がわからない。


 リナルドのステップが間違っても構わない。少々のハプニングは笑顔で乗り越える。点数や評価を考えなくていいダンスは本当に気持ちがいい。


 きらきらと輝く魔法灯のシャンデリア。赤い絨毯の大広間。お姫様のようなドレスがふわりひらりと舞う光景は、お伽話の世界。王子様役のリナルドは、顔は良いけど口は悪い。でも、踊っている時は素敵だ。


 流れていた音楽が終章を迎え、日付が変わる鐘が鳴り響くと未成年の私たちの舞踏会はここで終了。夢の時間もこれで終わり。


「ありがとう。俺が踊ることが出来たのは奇跡だ」

「私の方こそお礼を言わなきゃ。ありがとう。とっても楽しかった」

 名残惜しさを隠して、私はリナルドに微笑んだ。

 

   ◆


 数日後、私は受け取ったレッスン代で旅支度を整えていた。異世界転移しているかどうかもわからない先生を探す旅だから、あてはない。不安しかなくても公爵家の客人ではいられない。


 舞踏会で踊れるようになったリナルドには、未来の公爵に相応しい令嬢が婚約者になるのだろう。一月余りを公爵家の屋敷で過ごしただけで、階級社会というのが嫌でも理解できた。異世界から来た女子高生は場違いで、この世界の貴族の常識には馴染めない。


 〝女子高生だから〟で結構何でも許されていた日本は、物凄く優しい世界だった。

 

 侍女の伝言で公爵家の庭へと向かうとリナルドが待っていた。よく手入れされた庭には、色とりどりの花が咲き乱れている。


「……リトカ。あの……その……何だ……」

「何?」


「もうしばらく屋敷に滞在しないか?」

「どうして? もうダンスのレッスンはしなくてもいいでしょ?」


「……まだ他にもダンスはある。それに……リトカがいなくなったら、きっと俺は練習をしなくなる。また引きこもりだ」

「は? 何で引きこもるのよ。相手が必要なら、寄ってくる令嬢の中から探せばいいでしょ」

 私のレッスンは終わり。と続けようとした私の手をリナルドが握りしめた。


「この世界で女が一人で旅をするのは難しい。どうしても旅をしたいのなら、俺が護衛としてついて行く」

「公爵家の跡取りが、放浪の旅なんて許される訳ないでしょ」


「公爵位を継ぐのはまだ先の話だ。必要な知識の継承は終わっているから、重要な公式行事だけ参加すれば何とかなる」


「貴族の義務は? 国民から税金もらってるんだから働きなさいよ」

「……リトカに隠し事はできそうにないな。正直に言うと、陛下に許可をもらってきた。異世界から来た聖女を護る騎士の称号を授かった」


「聖女? 誰が?」

「治癒と回復の術が使えるだろう? 我が国の伝承では黒髪黒目で治癒と回復の術が使える異世界人は、保護する国を栄えさせる聖人だと言われている」

「……気付いてたの?」

 私が夜な夜な自分の体力を回復させていたチートに気付いていたのに、何も言わずに練習していたのか。罪悪感めいたものがちりりと心を焼く。


「俺は男だから回復なんて必要ない。俺の師匠の稽古の方が、何倍も過酷だぞ。ダンスの稽古は、お前が良く言う楽勝ってヤツだ」

 リナルドはいつもは冷たく見える年上顔なのに、ときどき少年の様に笑う。そのたびに私の心臓がどきどきする。


「……聖女の騎士、ね。王の騎士じゃなくて残念でした」

 赤くなりそうな顔が気になって、嫌味めいた言葉が口から零れた。嬉しい時に水を差すような言葉を使うのは私の悪い癖。だから私は高慢だって言われてきたのに。もっと素直な言葉が出ないことがもどかしい。


 護衛だろうが騎士だろうが、リナルドと一緒にいられる理由ができた。それが嬉しいと思う気持ちを、どうやったら正直に表せるのだろう。


「俺はこれからもリトカと一緒にいられるなら、何でもいい。旅についていってもいいか?」

 性格の悪い私の言葉にもリナルドはへこたれない。


「……旅に出る前に、まずは騎士用の服とか装備を誂えに行く?」

「い、いいのか?」

 王城で見た騎士たちは貴族とは違う服を着用していた。リナルドに似合いそうだ。


「支払うのはリナルドでしょ? ただし私も口出しさせてもらうわよ!」

 リナルドは王前試合での褒賞金と魔物狩りの賞金で、公爵家とは別の個人資産を持っている。

「あ、ああ。……へ、変な意匠デザインはやめてくれよ?」

 小声で怯む顔に笑ってしまう。


「リナルドの顔がさらにカッコよく見えるデザインと色を選ぶから任せて!」

「よし! リトカのドレスも注文しに行こう! 今度は好きな色を選んでくれ」

 握りしめたままだった手を引き寄せられて、リナルドの胸に飛び込んでしまった。ダンスの時、散々抱き合っていたのに頬が熱くなっていく。


「どうした?」

「な、な、何でもない!」

 気のせいかリナルドの耳が赤い。見つめ合うとますます鼓動が高鳴る。


 恥ずかしさを誤魔化す為にダンスのステップを踏めば、リナルドも踊り出す。手を取り合って踊ると、平凡な景色が輝く。


 心の底から湧き上がる楽しさに笑みが零れる。リナルドも笑い、私も笑う。くるりと回転して、また踊る。


 音楽は必要ない。ただ、二人の笑顔と鼓動さえあればいい。


 青い空には赤い月と緑の月、そして小さな白い太陽が輝く異世界。

 この先、私の心に芽生えた淡い想いが通じ合うのかどうかはわからないけれど。

 願わくば。いつまでもリナルドと踊っていたい。

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