第22話

 水路では赤黒い水が流れていた。

 そうだ、彼女の血をどうにかしなければ。少年は来た道を戻り、少女を抱え起こした。

「起きろ。おいっ」

 その体は驚くほど冷たかった。死んでいる。

 貧民街では人の死は珍しいものではない。ましてや、住民は娯楽半分に郊外で開かれる首吊りショーを鑑賞しているのだ。

 しかしそれでも、つい数時間前まで自分を兄と慕っていた少女が、血を持たぬ冷たい肉の塊と化す。そんな状況に慣れている者は一握りだろう。

 手に持つ獲物を強く握り締める。あれで全員か? いや、仲間がいるかもしれない。いたとしたら、そいつらも連帯責任だ。

「クズどもが」

 悪態をついた少年は確固たる決意を胸に、下水道を出た。

 下水道の入り口は教会のすぐ後ろ、壁と隣接する林の中にあった。教会の塀は一部崩れており、そこから行けばすぐ近くだ。

 少年は血痕を辿るように林を出ると、塀の崩れた場所から中の様子を伺った。すると漂う硝煙の匂い。目は虐殺の跡を捉えていた。

 共に暮らしていた子供達は、庭で並んで横になっていた。一列に並ばせて、処刑したのだ。

 怒りが募り、指先に力が籠る。

「おい、女は見つかったか」

 耳が人の声を捉えた瞬間、つい引き金を引きそうになってしまった。

「いや。だが、ガキをもう一人見つけた」

 まだ、誰かが生きている! 今にも飛び出しそうな心を抑え、耳をすます。

「どこだ?」

「礼拝所だ。いまチコが聞き出してる」

 目前で転がる子供達からするに、用が済めば殺されるだろう。そうはさせるか。

 少年は庭に飛び込むと、敵に銃口を向けた。

「あっ!」

 二人の片割れが少年に気づき、手に持ったリピーターを向けた。しかし撃つのは、少年の方が先だった。

 二つの銃身から同時に散弾が放たれた。小さな鉄球が身を切り裂く。

「ぎええっ!」

 絶叫と同時に、あらぬ方向を向いたリピーターが弾を吐いた。一人倒れたが、まだ誰も死んでいない。

 薬莢を抜き、弾をポケットから取り出す。しかし、装填が終わる前に少年に銃口が向けられた。

「くそっ」

 一か八か、地面に体を投げ出す。すると、頭部の真横を銃弾が掠めた。まだ負けていない。開放した薬室に弾を叩き込み、撃鉄を起こす。目前で地面が爆ぜる。まだ死んでいない。なら、今度はこちらの番だった。

「くたばれ!」

 指先が爆発で煌く。打ち出す弾の数ならこちらが上だった。リボルバーを向けていた男は、裂かれた自分の首筋を押さえてうめいた。

「はぁっ、はああっ……」

 全身をペレットで切り裂かれた男は、もはや獲物のリピーターすら投げ捨てて痙攣するばかりだった。

 死に体の二人にとどめを刺し、倒れ込んだ際についた口腔の傷口から血を抜き、唾と共に吐き捨てた。

 礼拝堂、そこに生き残りがいる。彼女の居場所を知るかもしれない仲間がいる。

 足音も隠さず少年は教会に入ったが、銃声はこの場では珍しい音ではないらしい。中はいつものように静まり返っていた。

 しかし、静寂はすぐに打ち破られた。

「使えねえガキめっ!」

 シューッ。少年はこの音で、昔近所に来た道化師の風船を思い出した。錬金術で作られるゴムなる柔らかい物質で作られた、空気で膨らむおもちゃだ。礼拝堂に響いたこの音は、あれから空気が抜けた音に似ていた。

 少年は武器を向けつつ礼拝堂を分かつのれんをくぐった。既に風船の音は消え、人の気配もなかった。

 ただ、聖書台に背を預けた少女がうなだれていた。頚部から流れる血は、赤いマットをさらに赤くしていた。

 どうやら一足遅かったらしい。心に怒りと憎しみが募る。奥歯を噛みしめ、せめて誰なのかを確かめようと、少年は遺体に歩み寄った。

 不意に、気配を感じた。咄嗟に背後を振り向こうとするも、蹴りの一撃で散弾銃を押さえられた。

 反射的に引き金を引いてしまったのが、運の尽きだった。

 自身に向いたナイフの切っ先を見ると、反射的に銃を捨てて刃物を持つ腕を受け止めた。

「ここで何をしてる、他の奴は、どうした!」

 体格に優れる相手との揉み合いは不利だ。少年は長年の喧嘩から理解していたが、それでも逃れることは出来なかった。

 殴られようが蹴られようが、よほどの相手でもない限り一撃貰ってもなんとかなる。しかし刃物は別だ。一薙ぎされれば、痛みが長引き血が流れる。痛みが引けばどうにかなるという問題ではない。

「答えろ! 他の奴らは……」

「殺した!」敵の問いに少年は怒鳴り返した。「全員殺してやった!」

 お前らがやったように。そう続ける前に、男は顔を真っ赤にして少年の足を払った。

 無防備になった少年に垂直の刃が迫る。間一髪、少年は受け止めたが、重力は大柄な男に味方している。

「お前も、修道女とやらも。そのガキみたいに殺してやる」

 鋭利な刃は徐々に下へ降り、やがて皮膚に傷を付けた。一滴の血が首筋を伝う。

「殺してやる!」

 憎悪を孕んだ咆哮が脳髄を揺らし、恐慌させた。ナイフが沈み始める。

 ドン! 礼拝堂に光が差すと、二つの爆音が響いた。

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