第15話

 血と硝煙の匂い、そして刃物。赤髪の背後から奇襲を狙った男の利き手に風穴が穿たれた。

「喧嘩は拳と家具まで、刃傷沙汰はご法度です」

 酒場の隅の暗がりから、一人の男が現れた。右手には煙を立ち昇らせているリボルバー。銃撃が彼の仕業なのは火を見るより明らかだった。

 椅子から立ち上がったのはそこまで背丈の高くない男で、あまり整えられていない黒髪の下には眼鏡を掛けていた。

「ジンっ、どうしてここに!」

 誰かが叫んだ。聴き慣れない名前だったが、ベンはどこかで彼を見た事があるような気がしていた。

「ジン? ……こいつがジン・チークホースか」

 赤髪は噂程度には聞いていた名前だった。ガリバルディ家に雇われた大和系の眼鏡野郎。この辺りではほぼ見ない大和系だというのに、どこにでも忍び込んでは銃を突きつけてくる事で有名な使い走りだ。

 大和の暗殺集団ニンジャの一族ではないかという話もある。そんな彼の首に賞金が掛からないのは、誰も彼の正確な顔を覚えていないからだ。

「僕って一応、ガリバルディ家に仕えてるんですよ。つまり、あなた方と上司は同じ。それでも、ここにいちゃいけませんか?」

 異論の声は上がらなかった。有名な殺し屋が銃を持っているのに、逆らうような間抜けはいないだろう。

「ご理解いただけたようで何よりです」

 荒くれ者を落ち着かせると、ジンは助けた赤髪には一瞥もくれずにベンのもとへ歩み寄った。

「お怪我は?」

 一見、彼は微笑みをたたえているように見える。しかし、違う。ベンは確信していた。この男の微笑みからは一切の感情が読み取れない。好意も、善意も、悪意も、嫌悪も。何一つない虚無。ただひたすらに不気味だった。

「問題ない」

「それはよかった」

 ジンを無視するように帽子を拾い上げると、ベンは床に嘔吐していた店主を見下ろした。

「この男を知らないか?」

 鞄から写真を取り出し、視線の先に置く。

「いや……」ベンは声色から嘘と判断した。「待て! 話す!」

 振り被った足を置くと、「続けろ」店主に促した。

「この間、確かに来た。お前みたいに女を連れた団体だったから目立ってた」

「いつの話だ?」

「覚えて……二日前! 間違いないっ」

 二日前。ならば、諦めた方がいいだろう。自分が追われていると自覚しているならば、こんなに口の軽い連中がたむろしている場所に長居はしない。

「泊まった宿は?」

「ここに宿なんてものはねぇ。どこかの家に泊めてもらったんだろうさ」

 確かに、観光客を泊めるようなホテルがあるようには見えない。酒場にもないとすると、どこか大きな家か、あるいは複数の民家に宿泊した可能性が高い。

「この辺りで一番大きな家……屋敷は?」

「リオスシオで一番大きなお屋敷といえば、やはりアルミロン兄弟の邸宅でしょう。来る途中、丘の上に見えていたでしょう?」

 突然ジンが口を挟んできた。言葉を交わすことすら躊躇われる嫌悪感を放つ男に、ベンはため息混じりに言った。

「お前には聞いてない」

「これは失礼。でも、そうでしょう?」

 ヤバい男二人の板挟みに店主は躊躇ったが、恐る恐るジンの言葉にうなずいた。

「なら、そっちから回るか?」

 頭を冷やして来たのか、髪を濡らした赤髪が尋ねた。

「事実かどうかは別として、やめた方がいいかと」

 ついにベンの視線がジンに向かったが、一応聞いてやろうと口は開かずにおいた。

「アルミロン兄弟はよそ者嫌いです。ここにいる誰よりもね。それに加えて、最近コッソリとなにか企んでいるようで」

「もしかしてあんた、アルミロンさん達を……」

 店主がおずおずと尋ねようとしたその口を、ジンは人差し指を立てて塞いだ。

「その答え、知らない方がお互いのためだと思いませんか?」

 指を離しても、口が開く事はなかった。

「で、どうするんだ? ちなみに、アルミロン兄弟とは関わらない方がいいってトコには賛成だ」

 赤髪の問いにベンは少し考えた。ジンの言う事は店主の様子からして、なにやら完全な当てずっぽうではないらしい。となると、アルミロンとやらの邸宅に行けばいきなり撃たれかねない。

 ならば可能性のある民家を虱潰しにする必要が出てくるが、そちらは完全に手掛かりが皆無。出たとこ勝負になる。

 結局のところ、どちらも滞在に関与したという確たる証拠は存在しない。ならば、リスクの少ない方を取るべきか。ベンは決断した。

「時間を浪費するとしよう」

 立ち上がると、二人と一人は酒場を後にした。

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