第14話
この町には異臭が漂っていた。それも、単なる汚物が放つそれだけではない。エリメリス剤の製造過程で発生した有毒ガスが空気を汚染しているのだ。
「くそっ、相変わらずひでえ臭いだ。バンダナでもなんでもいいから、口と鼻は覆ったほうがいいぜ」
害があるのは、恐らく鼻だけではないだろう。ベンは赤髪の忠告に従い、首に巻いたバンダナで顔の下半分を覆い隠した。臭いは多少マシになったが、それでも一月汲み取られていない便所にいるように感じられた。
とにかく、情報を集めるなら酒場だ。ベンと赤髪は酒場の前で馬を休ませると、黄ばんだ扉を押し開けた。
扉が軋む音と共に、歓迎しない視線が二人を見た。旅を続けていれば、この程度の出迎えは慣れている。ベンはカウンターの向こうに立つ店主に語り掛けた。
「適当に二つ」相場程度の銅貨とは別に、銀貨を二枚。「知りたい事がある」
店主は銅貨を受け取ると、銀貨に手を伸ばそうとした。しかし、その手は板を叩いただけだった。
「話してくれたら考えよう」
「内容次第だな」
店主は煙草を咥えたまま背中を向け、ショットに液体を注いだ。
「この男について知りたい」
「まあ待て。最初の一杯はサービスにしてやるよ」
店主はベンの言葉を遮ると、黒ずんだショットをカウンターに置いた。それを見て、赤髪が言う。
「変わった酒を出すんだな」
「川の天然水を使った銘酒だ」
汚臭を放つそれは、プーアポルトの町から吐き出された廃水。リオスシオのすぐそばを流れる川の水である。
「おうよそ者。観光客はここに来たらまず、こいつを飲むのが礼儀だ」
酒瓶を片手に、ベンの傍らにガラの悪い住民が立つ。
「淑女には例外もあるが……」赤髪のそばに来た住民は彼女の胸元をなぞった。「どうする?」
「ははっ」赤髪は笑みを浮かべた。「どうするよ?」
問われたベンはショットを掲げた。
まさかこいつ、本当に飲むつもりか? 住民達が目を見張った直後、彼は掲げたショットを店主の口に叩き込んだ。その早さに、誰も反応出来なかった。
「あたしとタダでヤれると思うなよ!」
赤髪が真横の男に肘鉄を叩き込むと、ベンは住民から瓶を奪って横薙ぎを顎に叩き込んだ。
「よそ者が!」
大乱闘の幕が開いた。
すると早速、待ってましたと言わんばかりに椅子を掲げた男がベンに襲い掛かる。
頭上から振り下ろされる一撃を前へ踏み込むようにかわすと、真横から膝へブーツの底を叩き込んだ。関節部分に体重を掛けた一撃を受け、脚はあり得ない方向に折れ曲がった。
「ッヅ!?」
声にならない絶叫の後に出て来たのは嗚咽だけ。一番血気盛んな男の戦意は脚と共に折れた。
赤髪は言うだけあって、自分の障害は自分で排除していた。ベンはベンで、自分の問題に取り組む事に決めた。
喧嘩好きは一人や二人ではない。ベンの背後にもいた。
不意に羽交い締めにされたベンは二発ほど拳を受け、帽子が宙を舞った。しかし、ここで戦意は折れない。脚をなるべく振り上げると、羽交い締めする男の爪先に目掛けて踵を振り下ろした。
「ギャッ!」
自由になるとベンは背後の敵に肘打ちを決め、正面から自分目掛けて飛ぶ拳を受け流すと懐に飛び込んだ。直後足を払い、床に叩き伏せる。脇腹に蹴りを入れることも忘れない。
一方赤髪はベン以上に優位に立っていた。相手が甘く見ていた、というのもあるのかもしれない。四人ほど叩きのめすと、まだまだ余裕と言わんばかりに店の中央へ歩いていた。
金とセックスと喧嘩が趣味の女は、久々の殴り合いに興奮しきっていた。切れた口腔の血を吐くと、男顔負けな活躍に腰がひけている地元住民を睨んだ。
「おらっ、チンカスども! もう終わりか!」
机を蹴飛ばし、勝ち誇って叫ぶ。ベンはその様子を見て「馬鹿か」と呆れていたが、すぐに表情が強張った。
その直後、緊張が張り詰めた酒場に銃声が轟いた。
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