第33話 敵地からの脱出

 馬車が揺れる。

 敵地から脱出する為に疾走しているからだ。

 ケインとダンが横たわる少女の傍らに、膝をついて少女の顔を覗き込んでいる。


 「どうだ?」


 ケインが視線を少女からダンへ移す。


 「見たところ目立った外傷はないけど・・・・・・衰弱しているからね。なるべく早く安静にできるところへ連れてってやらないと」


 そう言いながらダンは、少女を覆っている、リンドウの上着を剥いだ。

 

 「これは・・・・・・」


 「ひでぇ・・・・・・」


 ダンとケインが同時に声を漏らした。

 肌を晒した少女の体には、大小の傷跡――打撲、火傷、裂傷、様々な加虐の後が見られた。


 「クズどもが・・・・・・」

 

 ケインの声は怒りで震えていた。


 「・・・・・・最低だよ。治そうと思えばもっと綺麗に治せただろうに。何が目的か知らないけど、痛めつけるだけ痛めつけて、死なせない最低限の治療だけを繰り返してるんだ」


 ダンも憤って言いながら、少女に毛布を掛けてやった。

 馬車に静寂が訪れる。

 その静寂の中心に居たのはオリガである。

 実際に馬車の真ん中に座っている訳ではない。座っているのは荷台の後方で、壁際にもたれて膝を抱えている。

 彼女の沈黙が周囲に感染していた。

 オリガは服を着替え、顔と手についた血も拭われていた。おかげで平静を、多少取り戻していた。

 それでも、存分に血を吸った刀は手が届かない位置に、無造作に転がしていた。眠る時でさえ手放さなかった刀を、今は遠ざけている。


 「少しは落ち着いたか?」


 静寂をリンドウが破る。

 オリガは黙って、軽く頷いた。


 「悪かった、俺のせいで――」


 「違う」


 リンドウの言葉を遮るオリガ。


 「あの男を殺したのは私自身の意思によるものだ。お前のせいでも、ましてやあの少女のせいでもない。私が殺すと決めて殺したんだ・・・・・・自分の犯した殺人の責任を他人に求めるような、卑怯者にはなりたくない」


 「・・・・・・奴らは人間なんかじゃねえ。ケダモノだよ。死んで当然の連中さ」


 「私もそう思おうとした・・・・・・でも同じなんだ――」


 オリガの声が震える。


 「あの男の血の温もりは、私をかばって死んでいった母の血と同じだった・・・・・・!」

 

 オリガの頬に涙が二筋、零れ落ちる。

 彼女が人一倍『死』というものに恐怖を抱くのは、母親が惨殺されていく様を、あまりにも近い距離で、生々しく体験したせいである。

 人の死を目の当たりにすると、普段は心の奥に閉じ込めている暗い記憶がフラッシュバックする。

 それが怖いのだ。

 

 「私は弱い人間だ・・・・・・人を殺したくないのは相手を思いやってのことじゃない。ただ、自分が嫌な思いをしたくないから殺せないだけなんだ」


 オリガはそう言って膝に顔を埋めた。

 そんなオリガを見てリンドウがため息をつく。


 「バカなやつだな、お前は」


 オリガが顔を上げる。

 自身を非難されるのを恐れているのか、許しを乞うような目でリンドウを見つめている。そんな視線に構わずにリンドウは続ける。

 

 「人を躊躇ちゅうちょなく殺せることが偉いことだと思ってるんなら、大間違いだぞ。俺を見ろ。言ってなかったが、俺もついさっき人を殺した。けどな、そいつの顔も覚えちゃいない。そいつだけじゃない。今まで殺した人間の顔なんて、ほとんど覚えちゃいないんだ。今考えてみれば、中には殺さなくても済んだ奴も居た。それでも殺したほうが手っ取り早いってだけの理由で命を奪ったこともある・・・・・・お前みたいに自分が犯した殺人について正面から向き合ったことはない。そのほうが楽だからな――」


 オリガは黙ったまま、変わらずリンドウを見つめている。


 「お前の気持ちは人として正しいよ。俺のようにはなるな。俺は・・・・・・」


 リンドウはその先は声には出さなかった。


 (人の血を啜って生きてきたケダモノだ・・・・・・)


 闇の中を馬車が駆けてゆく。

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