第32話 救命の代償

 リンドウとオリガの視界の奥に、瓦礫の山をかき分けて進む黒衣の一団があった。

 街にあっては、友人と肩を組み、語らい、酒に酔ってさえいた連中が、今はただ無表情でこちらへ駆けてくる。


 いきり立った様子はなく、ただ黙々と駆けてくる、冷たい殺意の塊であった。

 

「オリガ、後ろを頼む」


 リンドウは腕に抱いた少女をそっと地面に寝かせ、二丁のブラスターを構えた。

 オリガはリンドウの背後、少女を挟み込む位置で刀を抜き、楼閣からの敵に備えた。


「こっちは任せろ」


 リンドウはマスクを装着し、進行してくる敵集団に向かってブラスターを乱射した。細かく狙いをつけずとも命中するほど敵の数は多い。


『ケイン、敵に囲まれそうだ。急いでくれ、そう長くは持たねえ』


 通信しながらも戦闘を継続するリンドウに、敵も反撃してくる。拳大の火や水の球が高速で飛んでくる。

 狙いは精密ではなく、リンドウは自身に直撃するコースを通ってくるものだけを全てブラスターで迎撃した。神業である。

 

『もう真上まで来てる! 今降りてやるからな!』


 リンドウが上空を見上げると、確かに一頭のドラゴンが頭を地面に向けて急降下しているのが見えた。

 だが、リンドウがドラゴンを視認した直後、巨大な火の玉がドラゴンの真横をかすめて夜空へ飛んでいった。

 

 どうやら敵もドラゴンを認識したようだ。

 リンドウ目掛けて飛んできたものとは桁違いの大きさである。

 これをリンドウには放たなかったのは、例の少女を巻き込まない為だろう。やはり彼女は奴らにとって重要らしい。

 

 多数の火の玉が、間断なくケインの乗るドラゴンへ向かって放たれる。猛烈な対空砲火であった。


『クソッ! かわすので精一杯だ、着陸出来ない、一度高度を上げるぞ!』


 ケインは言葉通り高度を高くとった。

 すかさずリンドウから返事があった。


『着陸はしなくていい! 一瞬でいい、地面すれすれで飛んでくれ!』


『何か方法があるんだな?』


『ああ』


『わかった。死ぬ気で突っ込んでやる』

 

 ケインは再び急降下を開始した。


「オリガ! 合図で跳べ!」


「ああ!」


 オリガは振り向かず、訳も聞かずに答えた。

 彼女が睨む楼閣からは未だ敵の姿は現れない。


「気休め程度だが・・・・・・」


 そう言ってリンドウは腰に下げたグレネードから一つを手に取り、前方へ投擲とうてきした。

 

 地面に落ちたグレネードは激しく煙を吹き上げて、瞬く間にリンドウ達と敵集団を煙の壁でへだてた。

 尋常ではない量の煙は上空へも舞いあがり、急降下するドラゴンの姿も眩ました。

 それでも尚、敵は当てずっぽうに火弾を飛ばしてくる。


『おいリンドウ! なにをしたんだ、何も見えないぞ!』


 ケインが叫ぶ。


『心配するな。俺にはお前がハッキリ見えてる。合図したら上昇しろ』


「チイッ」


 ケインは視界が全くきかない中、速度を緩めることなく真っ逆さまに降下した。時々、煙の向こうから火弾が掠めてくる。それでも怯むことなく全速力で突っ込む。


「とんだチキンレースだ」


 その時、地上ではリンドウが敵の進行を阻みつつ、ケインの駆るドラゴンの動向を観察していた。

 リンドウの視界には大きな熱源が降下し、その横を球体の熱源が通り過ぎていくのが映し出されていた。もう地面までかなり近い位置まで降りて来ている。


(頃合いだな)


『今だ! 上昇しろ!』


 リンドウの合図で、ケインはドラゴンの翼を広げ、地面と水平に滑空、その後上昇を開始した。空中でUの字を描く軌道だ。


 リンドウはドラゴンが滑空を開始した時点でアンカーを射出し、それはドラゴンの脚へ絡みついた。ワイヤーを流したまま少女を肩に担ぐと、そのまま振り返ってオリガに呼びかける。


「オリガ! ワイヤーが見えるか? そいつに飛びつけ!」


「ああ!」


 リンドウの声に、応えて振り向いたオリガには、少女を担ぎ上げ、脱出の体勢にはいったリンドウと、その背後に立つ黒衣を纏った男が目に入った。


 ──世界がゆっくり動くように感じた。

 

 リンドウに襲いかかろうとしている男は、どうやら地中を進んできたらしく、たった今地面に躍り出たところらしい。土埃が男と一緒に舞い上がっている。そして、男の右手では炎が球状に形成されつつあり、リンドウの頭部に狙いをつけていた。ゼロ距離で火弾を撃ち込み、彼の頭を吹き飛ばすつもりだろう。


 リンドウはまだこちらを見ている。男に気づいていないというよりは、今まさに背後での音や気配を感知して、これから振り向くところなのだろう。オリガにはその場面が、切り取ったフィルムのように、止まって見えた。

 リンドウの反撃は間に合わない。

 その事は瞬時に理解できた。

 理解すると同時に、オリガの身体はほとんど無意識に動き出していた。


 リンドウとすれ違うように踏み出したオリガは、刀を男の右胸目掛けて突き出した。

 魔蔵を狙った一撃である。


 魔術を使えないオリガが常々イメージしてきた、対魔術師戦の戦法。それは何よりもまず魔術師から魔力を奪うことである。


 一度発動態勢に入った魔術は、例え術師が死亡しても魔力の供給が遮断されなければ発動することが往々にしてある。しかし魔蔵を傷つければ、魔力はそこから霧散してしまい、技の発動は防げる。だが、魔蔵は右胸の奥深くに存在し、血管や神経が複雑に絡み合っている。それを傷付けようとすれば、魔術師は致命傷を負って、死ぬことになる。


 つまり魔力を無効化することとその者を殺すことは不可分なのだ。

 

 オリガはその事を十分に承知していた。

 しかし、リンドウに死が訪れようとしているという現実が、彼女から思考を奪い、魔術師殺しの鉄則を実行させた──。


 オリガの刀が男の胸に突き刺さる。

 吸い込まれるように滑らかな刺突だった。

 オリガの手元に、何かを突き破るような感触があった直後、男の右手に形成されていた火弾は、二、三度明滅して、消えた。


 刀を引き抜くと、間欠泉から湯が噴き出るように、男の胸から血が飛んだ。

 その血を浴びた時、オリガに時間が戻った。


 身体が震える。

 息が出来ない。

 

 オリガは刀に付いた血を拭うこともなく、隠すように鞘に納めた。

 しかし、血塗れの刀身を隠したところで、自分がたった今人を殺した実感から逃れられる訳もない。彼女の服も、男の血を存分に吸って、身体に張り付いていた。

 オリガは胸から腹にかけて、血を拭おうと必死に両手でこすった。しかしその行為は、血を塗り広げるだけだった。

 血にまみれた両手を見た時、オリガの精神は臨界点に達した。何かがプツリと切れた。


 しかし同時に、身体は精神の状態などには構いなく、酸素を要求してくる。オリガはどうにか呼吸しようとするが、上手くいかない。息を吸っても吐くことを忘れてしまう。肺の許容量を超えてなお、空気を吸い込もうとする。そうして肺がはち切れそうになって、息を吐くことを思い出せば、吸う事を忘れて、えずくまで肺から空気を絞り出してしまう。それを細かく繰り返していた。

 完全にパニック状態だった。先ほどから大声で呼びかけているリンドウの声も、一切届いていなかった。


「オリガ! しっかりしろ! ワイヤーを掴め!」


 何度同じことを叫んだだろうか。

 オリガの様子を見て、リンドウは彼女を言葉で動かすことを諦めた。

 この間もワイヤーはドラゴンに引っ張られている。

 リンドウはワイヤーの伸びるバックルをベルトに戻し、右手を自由にする。


 ──その瞬間、ワイヤーは限度一杯まで送り出されて、リンドウの体は強烈な力で引っ張られた。


「チィッ!」


 背骨が折れそうなほどの衝撃の中で、リンドウはどうにかオリガの腕を掴む。

 左腕に少女、右腕にオリガを携えて、彼の体は宙へ引き上げられた。


『リンドウ! これで良いのか!?』


 ケインから通信が入る。


『心配するな! 全員脱出出来た! だが早いとこ降ろしてくれ、腕が千切れそうだ・・・・・・!』


『あと少し耐えろ! すぐに馬車まで──』


 その時、低い、地鳴りのような音が鳴り響いた。音の響き方からして、笛によるものらしかった。


 その音が届いた瞬間、ドラゴンの姿勢が乱れた。


「なんだこいつ急に!」


 ケインは必死にドラゴンをコントロールしようとするが、ドラゴンの抵抗は激しい。

 一向は今しがた、街を囲む岸壁を超えたところだったが、ドラゴンは岸壁の内側に戻ろうとしているらしかった。


『リンドウ! ドラゴンが急に暴れ出した! もう長くは操れない、どうにか高度を下げるから飛び降りろ!』


『分かった! ワイヤーは残しておくからお前もそいつで降りてこい!』


『了解!』


 限界までワイヤーを送り出していたお陰で、リンドウが身を投げ出しても重症は避けられる高度まで降下するのはそう難しくはなかった。問題は両腕が塞がっていることだ。


「オリガ! おいオリガ!」


 風切り音が耳を掠める中、リンドウは叫んだ。

 

 返事はない。オリガはまだ発作のように息を乱している。


「駄目か・・・・・・」


 呟くと、リンドウはオリガの腕を掴んだまま伸びきった右手を、バックルを操作出来る位置まで引き上げようとする。


「ぐぉぉおっ・・・・・・!」


 渾身の力でどうにか右手を引き上げると、器用に親指だけでバックルを操作し、ワイヤーをパージした。

 切り離されたリンドウの体は背中から落下していく。慣性で前方に流されながら、少女とオリガを抱え込み、地面を滑るように着地した。


『ケイン! 俺たちは着地した! お前も早く!』


『言われなくてもこんなとこ、一秒も長くいられねえ!』


 ケインはドラゴンの頭部から手を離す。

 途端にドラゴンは旋回を開始する。

 激しく動くドラゴンの背中で、ケインは上着を脱ぎ、ドラゴンから飛び降りると、ワイヤーに上着を巻き付け、それを絞るようにブレーキをかけながら地面へ落下した。

 リンドウに比べて高い位置からの着地だったが、着地の瞬間に上手く倒れ込み、衝撃を散らした。

 ドラゴンが進行方向を逆転させたせいで、ケインはリンドウ達のもとへ走らなくてはならなかった。

 リンドウ達も馬車まで走らなくてはならないが、オリガのパニックによって、それどころではなかった。

 リンドウはケインの到着を待って行動するつもりで、寝転がったまま、オリガをなだめた。

 言葉は無く、ただ彼女を包むように抱きしめ、背中をさすった。震えるオリガの体は折れてしまいそうに細く、弱々しく感じた。そこに凛とした士官の姿はなく、ただ、一人の傷ついた少女がいるだけだった。


 オリガは、リンドウの胸の中で、少しずつ、少しずつ呼吸を思い出していた。


 彼から伝わる温もりが、オリガに自分の行動で救われた命があることを実感させ、それがほんの少しの慰めになった。

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