第29話 予感

 リンドウが地下の階段で聞き耳を立てていた頃、オリガは楼閣の頂上近く、階段を目前にして足を止めていた。


 気配がする。この先からだ。


 オリガは慎重に歩を進めた。

 一段、二段と階段を踏みしめるごとに、漠然とした気配だったものの正体を掴み取っていく。


 人間だ。数は10人ほど。


 それも先刻の門番達のような雑魚ではない。

 この集団が放つオーラには強者の風格が確かにあった。

 オリガは楼閣の警備が手薄であった訳を悟った。戝の一匹や二匹、彼らが手を下せば即座に片がつく。

 

 オリガはそれを知ってなお、歩調を乱さずに進んだ。

 暗闇の中、得体の知れない力に近づくことに恐怖はあった。だが、オリガは恐怖が己を守ることを知っていた。


 恐怖を抱くこと、それは危機が迫っていることを正常に認知している証である。

 自分の五感は正常に機能し、脅威を認識している。その事実が、彼女の精神を安定させた。


 オリガは今、恐怖という凪いだ海の上に、冷静さを保って浮かんでいた。


 階段を登りきると、そこには観音開きの重厚な扉が拵えられていた。

 オリガは扉にそっと耳をあてがう。

 石の冷たさが頬から伝わり、彼女は自分と敵を隔てるものが扉一枚しかないことを実感した。


 耳を澄ますと会話が聴こえてくる。


『・・・・・・上手くいかなんだか』


 老いた声である。


『はい。あの老人を無思慮に殺したのは痛手でした』


 こちらの声はまだ若いものとみえた。


『今となっては言っても仕方のないことだ。別の手を考えるしかあるまい』


『仰る通りです。そもそもあの娘の存在自体が想定外のこと、計画は停滞しておりますが決して後退もしていません』


『うむ。お前の言う通り、まずは全ての石を我らの手中に収めることが先決』

 

 どうやら会話しているのは二人のようだ。


『バンガヌーン。キサマが追っていた石についてだが、あのような贋物がんぶつを持ち帰ってどう申し開くつもりか?』


 若い声が少し声をあげて言った。


『申し開く? 何故なにゆえに俺が詫びなければならん。石の所在は突き止めている。その気になればいつでも奪える・・・・・・そんなことより、お前の方こそいつまで石の力を引き出せんでいるのだ』


 答えたのは新たな声だった。

 オリガにはこの声に聞き覚えがあった。


 (この声はベントの遺跡の・・・・・・!)


 そう、声の主はベントの遺跡で出会った、ジェシカに師匠と呼ばれていた男であった。

 オリガの心拍数が上昇するなか、扉の向こうで会話は続いていた。


『キサマ私を愚弄するつもりか!』


『事実を言ったまでだ。二つも石を手にしていながら、その力を引き出せないのでは宝の持ち腐れだ』


『なんだとぉ? 穢れた身の分際でよくも・・・・・・!』


『・・・・・・もう一度言ってみろ』


 オリガは扉越しに室内が殺気立つのを感じた。


『よさんか二人とも! 上では皇帝陛下がお休みであるぞ!』


 老いた声の主が一喝すると、部屋の中の殺気は瞬時に引いていった。


『・・・・・・失礼いたしました』


 若い声だけが答え、バンガヌーンの返事はなかった。


『よいか。おいたわしくも皇帝陛下の力が封じられて五千年。悠久の時の果て、あの娘が我らの前に現れたのは神のおぼし。我々は団結して、必ずや皇帝陛下をお支えせねばならぬ、彼の方が力を取り戻された時、世界は真の姿を取り戻すのだ。大賢者たる彼の方の統治のもとにな』


『素晴らしい・・・・・・まさに我々の悲願でございます!』


 若い声が歓喜の色を帯びる一方で、オリガの血は冷えていた。


 (大賢者、五千年・・・・・・・まさか)


 オリガの脳内では、信じがたい推論が急速に紡がれつつあった。

 が、それは下方から発せられた轟音で中断されることになる。

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