第22話 砂漠の民

 サディードに率いられたリンドウ達が彼らのキャンプ地を視認した頃には、太陽はその姿をほとんど隠していた。日中の暑さが嘘のように冷たい風が、彼らの骨に染みていく。

 野営地には円形の天幕が二十張り以上並んでおり、ぽつぽつと焚かれた火が、その姿を照らし出していた。


「着いたぞ。ここがワシ達の寄る辺だ」


 先頭に立つサディードは振り向くこともなく言った。

 同時にアベルはラクダから飛び降り天幕の一つに向かって駆け出した。


「お母さーん! お客さんだよ!」


 アベルの叫び声に呼ばれて天幕から女が現れた。


「お母さん!」


 アベルは女の胸に飛び込む。


「おかえり、アベル」


 恰幅の良い女はアベルを優しく抱きこんでから、サディード達の方を見た。


「あんた達もおかえり! 疲れてるだろう。ご飯の支度、出来てるよ!」


 サディードは返事もせずに女の方へ進んだ。一族の男たちも後に続く。

 リンドウ達はその背を眺めていた。すると、


「なにしてるんだい? あんた達も早く来なさいな!」


 女はリンドウたちにも呼びかけてくれた。気風きっぷの良さが存分に感じられる笑顔であった。


「アベルはお母さん似だな」


「そのようだ」


 リンドウとオリガはそう言いあって小さく笑った。


 リンドウ達が天幕の前に立つと、そこにはすでに食事の用意がされていた。串に刺された肉が焚き火を囲んでいる。脂が滴り、パチパチと薪が弾ける音と共に煙が昇り立つ。

 

「さ、みんな座って」


 アベルに促されてリンドウ達は焚き火を囲むように車座になった。

 サディードは暫し共に帰還した男たちと話していたが、やがて彼らは各々の天幕に向かって歩き出し、サディードも車座に加わった。


「それにしても驚いたね、あんたが人を連れてくるなんて」


 アベルの母親が大きな声で言う。


「ワシが連れてきたんじゃあない。アベルの客だ」


「みんな立ち往生して困ってたみたいだからね。放っておくのはよくないことでしょ?」


「お前の言う通りだよ、アベル。立派な行いをしたね」


 アベルは母親に褒められて照れ臭そうに笑った。


「奥様、この度はご主人とご子息に大変お世話になりましたわ。改めてお礼を言わせてください」


「あらやだ奥さんだねんて、こそばゆいよ!」


 母親は豪快に笑って続ける。


「いいんだよ。気にしなくて。この砂漠じゃみんな支え合って生きてるんだ。そうしなきゃ生きていけないからね。あんた達もこの先誰かを助けてやれば、それがあたし達への礼になるんだよ。さ、おあがり。話はそれからだ」


「そうだよみんな、食べて食べて! お客さんが先に食べてくれないと......」


 グウゥー、とアベルの腹が鳴る。


「ハッハッハ! 悪かったよアベル、それじゃあ有り難くいただくぜ」


 リンドウが最初に手をつけ、次にオリガが、そしてレベッカが食べ始めたのを受けてヘクター達もがむしゃらに頬張りだす。

 それからアベルも勢いよく肉に齧り付いた。


「賢くって、優しいお子さんですわね」


 レベッカがアベルを見つめ、微笑みながら言った。


「ああ。自慢の息子さ」


 母親は誇らしげに笑みを浮かべた。しかしその笑顔は、決してひけらかすようなものではなく、芯から子を愛する慈愛に満ちた笑みであった。

 一同が肉を平らげるのには5分も掛からなかった。不思議なのは、レベッカは手も口も汚さず、大口を開けもしないのにヘクター達よりも早く完食していることである。


「それでは、改めまして自己紹介を......」


 レベッカは口をハンカチで拭ってから喋り始めた。その後オリがとリンドウ、ヘクター達もそれぞれ名乗った。


「よろしくね。あたしはアズィーザ。改めて歓迎するよ。何も無いところだけどゆっくり休んでいっておくれ」


 そう言ってアズィーザは片付けを始めた。


「奥様、わたくしも」


「私も手伝います」


「良いんだよ、お客さんなんだから」


「そんな、せめてものお礼ですから」


「ええ、是非やらせてください」


「そうかい? ならお願いしようかね。助かるよ」


 アズィーザの笑顔に、レベッカとオリガも微笑みを返した。


「さ、あなた方もお手伝いをーー」


 そう言いながらレベッカが振り返ると、リンドウとヘクター達は既にアベルと駆け回って遊んでいた。


「まったくあいつらは......」


「アッハッハ! 良いんだよ。アベルの遊び相手をしてくれるのが一番の手伝いさ。あの子ったら誰に似たのか元気すぎて困ってるんだから」


 それから三人は手早く片付けを済ませた。


「ありがとう、助かったよ。それじゃ、今度こそあんた達もゆっくりしておくれ。寝るときはあのテントを使ってくれれば良いからね」


 アズィーザが天幕を指差しながら言った。


「なにから何まですみません」


 オリガが頭を下げる。


「いいんだよ」


 アズィーザはまたも優しく微笑み、


「アベルー! お前もあんまり遅くならないうちに寝るんだよー! いいね!」


 そう言い残して、夫の待つ天幕に入っていった。

 オリガとレベッカは指定されたテントの前に並んで座った。まだ目は冴えていた。

 一方リンドウはアベルと鬼ごっこに勤しんでおり、大人気なく本気で逃げ回っていたが、遂に捕らえられ、激しく息を立てながらその場に倒れこんだ。


「おいリンドウ! お前鍛え方が足りてねえんじゃねえのかー!?」


「うるせぇーっ!」


 ヘクターの挑発にはどうにか軽口を返したが、リンドウは立ち上がらずに砂の上に寝転んだままである。アベルは既に次の獲物を狙って駆けていた。


「ーーあんた、それで何か分かったのかい?」


 ふと、リンドウの耳にアズィーザの声が聞こえてきた。声のした方へ首だけを向けると、ここは彼女たちのテントのすぐ側であった。依然として会話は聞こえてくる。


「いや、なにも手がかりはなかった」


「はぁ、やだねぇ」


「また明日も調べに行くつもりだ」


「あんた......。何も毎度毎度あんたが行かなくたって......」


「ワシは首長だぞ」


「そりゃそうだけど......。今までに何人の人間と家畜が帰って来なかったかを考えると、あたしゃもう心配で......」


「だからこそワシは責任を果たさねばならん。みなを守るためにな。心配するな、明日はアベルは連れて行かん」


「それが余計に心配なんだよ。一人で行かせたら、あんたが帰ってこないんじゃないかって.......」


「もういい。この話は終わりだ」


「あんた......」


 会話はそれきりだった。


(穏やかじゃねえな)


 リンドウは既に息は整っていたが、その場から動かずにいた。すると不意に、


「ハァー! 疲れたぁ!」


 リンドウの隣にアベルがドサッと倒れこんだ。


「おう、どうだい。全員捕まえてやったか?」


「ダメダメ。みんなとっても早くって。でもダンだけは捕まえたよ!」


「ハッハッハ! そいつはいい。今頃ヘクター達に散々からかわれてるだろうぜ」


「僕だって走るのには自信があるんだけどなぁ」


 アベルは不満げに言った。


「悪い悪い、お前に捕まるのが恥ずかしいって意味じゃないんだ。実際お前は速かったしな。ただあいつらは何でも競いたがるのさ」


「リンドウは違うの?」


「俺か? 俺はマイペースなんだよ。昔っからな」


 二人は並んで空を見上げていた。

 落ちてきそうな星空である。


「ここは本当に星がよく見えるな」


 リンドウは何気なく呟いた。


「リンドウの住んでるとこからは見えないの?」


「ああ。こんなにたくさんはな。俺の住むところは地上が明る過ぎるんだ」


「明るい方がいいじゃない。砂漠は真っ暗だから、夜は寂しいよ。あっ、別に暗いところが怖い訳じゃないからね!」


 リンドウはそれを聞いて笑った。そしてアベルの頭を撫でた。


「......明るいとな、それだけ影も濃くなるもんさ」


「......なんだか難しいや」


「とにかく、俺はこっちの方が好きだ」


「僕も星は好きだよ。星を見てるとなんだかワクワクするんだ。あれがなんなのか知りたくなるんだよね。あそこまで飛んでいけたらいいのに」


「いつか行けるさ」


「ホントに?」


「ああ。船に乗ってな」


「船が空を飛ぶの?」


「そうだ」


「すごいね。どんな船なんだろう......」


 アベルはリンドウの話を疑わず、素直に想像を膨らませている様子だった。


「......ところでアベル。今日はラクダに乗ってどこへ行ってたんだ?」


「え、ああ。別に行き先がある訳じゃないよ。ただ、お父さんたちが仲間を探しに行くって言うから」


「仲間?」


「うん。最近、出かけた人が帰ってこないことが時々あるんだ。少し前までは遠くに出かけた人が帰ってこなくなっちゃってたんだけど、ここ何日かは近くの水場に向かった人たちもいなくなっちゃうんだ。迷うはずないのに......」


「そうか......。辛い話をさせて悪かった」


「大丈夫だよ! きっと皆んなどこかで生きてる。それを僕が助けに行くんだ。仲間だからね」


 アベルはそう言って笑った。小さな体に大きな勇気を秘めている少年である。


「そうか、そうだな。きっと皆んなアベルを待ってる。皆んなを助ける為にも元気でいなくちゃあな。そろそろ寝たほうがいい」


「そうだね。おやすみ、リンドウ」


「ああ。おやすみ、アベル」


 リンドウはアベルをテントに入れて、自分も寝床へ向かった。


(仲間だから助ける、か......)


 かつてのリンドウなら鼻で笑っていたかもしれない。しかし、今の彼にはその言葉の重みが心地よく感じられた。


「フッ」


 リンドウは一人で照れ臭そうに笑った。

 そして仲間たちが眠るテントの幕を開けるーー


「あぁ? なんだぁ、こいつら」


 中ではヘクター、ケイン、ルロイが競うように強烈な寝相で床を占領し、ダンは角の方で縮こまっていた。しかし、器用なことにオリガとレベッカの領土を侵犯してはいない。


「ったく、仕方ねえ」


 リンドウは幕を下ろし、星あかりの中タバコに火をつけた。


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