第21話 砂漠越え

 出発から三日が経った。

 一向はノーカスを過ぎ、ナバイへ入国し、すでにベントも通過していた。

 順調な旅路であった。それはつまり移動だけを繰り返す単調な日々であるということだ。

 ハッキリ言ってみんな暇だった。

 揺れる車内ではケイン、ルロイ、ヘクターが欠伸あくびをリレーしている。リンドウはと言えば朝昼夜を問わずに寝息を立てている。たまに起きたかと思うと、一服すればすぐにまた目を閉じるという体たらくであった。

 もっとも本当に眠っている訳ではなく、そうする他ないくらいに手持ち無沙汰であったのだ。

 そういう訳で、オリガとレベッカの他に明瞭な意識を保っているのは手綱を握るダンだけであった。

  

「ヘクター、そろそろダンと交代してきてくださるかしら?」


 オリガに促されたヘクターは、返事もそこそこに御者台に上がっていった。

 そして入れ替わりでダンが荷台にやってくる。ダンは先刻までヘクターが座っていた場所に腰を落ち着けると、大きな欠伸をかました。

 どうやらリレーのバトンはしっかりと繋がれているようだ。


 そんな単調な日々に変化が訪れたのは、旅に出てから7日が経った頃だった。既に王都デラバルドから1000キロ近く離れていた。

 目的地まで200キロ。強行軍で行けば一日で到着する。

 この辺りは地図で言えば、ダニアの隣国ナバイと更にその隣国サザンガーラとの間にあたる。この土地には雨が降らないらしく、乾燥地帯が広がっていた。それ故に都市国家は存在せず、流浪の民だけが点在しているのである。

 砂漠とはいっても砂丘だけでなく、ひび割れながらも固められた地面も広がっているので、荷馬車はそこを進んでいた。

 彼方に独立峰の山が微かに見える。

 御者はケインである。日差しと戦いながらの運行だ。

 気温が高く、幌付きの荷台は蒸し返すような暑さになっていた。

 例の如く寝そべっているリンドウも、額に汗を浮かべてしかめっ面をしている。


「あーもうっ! あっちいなぁ!」


 叫びながらリンドウが飛び起きる。


「怒鳴るなよ。余計暑苦しく感じるだろ」


 ルロイが水筒を差し出しながらさとした。

 水筒を乱暴に受け取ったリンドウは、喉を鳴らしながら水を飲むと、少し落ち着いたようで、


「悪かった」


 とだけ言って水筒を返した。


「しかし暑いのは確かだぜ。なんか気が紛れることはないもんか」


 ヘクターも不満げな様子だ。

 ダンは何も言わないが、その顔を見るに相当参っているようだった。


「なんだお前たち。それでも精鋭揃いの騎兵隊か。情けないぞ」


 オリガは汗ひとつかかずに平然としている。


「中尉がおかしいんですよ。この暑さじゃバテるのが人間ってもんです」


 ヘクターがぼやく。


「何を言う。レベッカを見てみろ。彼女だって涼しい顔をしているではないか」


 見ると、確かにレベッカは穏やかな微笑を浮かべ、まるで暑さを感じさせない顔をしていた。


「おお! さすが隊長だ! きっと日頃の鍛錬の成果に違いない! いったいどんなふうに鍛えているんです、隊長!?」


 ルロイの問いにレベッカは答えない。

 ただ穏やかな微笑を返すだけだ。


「隊長?」


 不審に思ったルロイがレベッカの肩を軽く揺すると、彼女は微笑みを浮かべたままコロリと横向きに倒れ込んだ。座った姿勢のままで固まっている。


「隊長!? しっかりして下さい! おいヘクター、何かあおぐものを!」


「任せろ!」


 ヘクターは脱ぎ捨ててあった上着を拾い上げ、激しく煽いだ。

 しかしこの暑い車内では逆効果である。

 ロウリュウの如く熱波をレベッカに浴びせている。

 オリガはその光景を冷ややかな目で見つめていた。


(なんて馬鹿なんだ......)


 煽ぎだしてから10秒ほど経った時、不意にレベッカが飛び起きた。


「あっっーー」


 レベッカは大きく口を開けて、あつい! と叫びかけたが、すんでの所で声を押し殺した。淑女の意地というやつだろうか。


「おおっ、隊長! 大丈夫ですか!」


 ヘクターは芯から隊長の身を案じているようだ。


「あら。わたくしったら、気持ちの良い陽気のせいでつい、うたた寝をしてしまいましたわ。ごめんあそばせ」


「なんと! この暑さが心地いいとはさすが隊長! 豪胆です!」


 ルロイの言葉を受けて、オホホと笑うレベッカの顔は汗だくだった。

 オリガはやれやれといった感じで、


「まったく何をしているんだ。我々は遊びに来たわけではーー」


 そこまで言いかけたが、衝撃とともに馬車が停止したために遮られてしまった。


「なんだ?」


 リンドウが身を起こすと同時に、御者台からケインが荷台に降りてきた。


「参ったね。車軸がいかれちまった」


 言いながらケインは、ルロイの水筒をひったっくって一気に飲み干した。


「車軸が? 馬鹿を言うな。点検はした筈だぞ」


 ルロイが水筒を奪い返しながら言う。


「しかし、実際に折れたんだから仕方ないだろ」


「原因が何かは今はどうでもいい。対処することだけを考えろ」


 オリガの一声で一同は馬車を降り、車軸の状態を確認した。

 なるほど、確かに後輪側、右の車輪に近い位置でシャフトが折れている。

 ひび割れた地面のせいで、想定以上の負荷がかかったせいだろうか。


「こいつはひでぇ。どうしたもんか」


 ヘクターが呟く。

 暫く皆んな黙りこくっていたが、やがてリンドウが口を開いた。


「なあ、荷台に積んである布は頑丈なのか?」


「ああ。その布は化け物みたいな蜘蛛の糸から作られてる帆布だから強度は折り紙つきだよ。うちの名産さ。それがどうかした?」


 ダンが不思議そうに答える。


「あんまり自信はねえが、試したみたいことがあるんだ。オリガ、この布を切り出してくれるか。このくらいのサイズだ」


 言いながらリンドウは手で大きさを示した。

 オリガは何も尋ねずに、レベッカに床板を持ち上げさせ、刀を取り出すと言われた大きさに布を切り取った。


「すまねえが刀も貸してくれ。鞘に入れたままでな」

 

 リンドウはそう言って刀を受け取ると、折れた車軸に近づいた。幸い、折れてしまってはいるものの、完全に千切れてはおらず、折れた箇所の上側はまだ少し繋がっていた。

 リンドウは布に水をかけ、折れた部分に巻きつけた。そうして垂れた布の両端を固く結びつけ、その穴に刀を通した。


「レベッカ。この刀を思いっきり回してくれ」


「かしこまりましたわ」


 レベッカはリンドウが何をしたいのか、察したようで砂にまみれるのも厭わず馬車の下に潜り込み、刀を回し始めた。

 すると、布が捻られることで締め付けられた車軸は徐々に繋がり始め、やがて水平まで持ち直した。


「よし、レベッカ、そのままキープしてくれ」


 リンドウは刀の両端にも布を括り付け、荷馬車のフックに固定した。


「手を離してみてくれ」


 言われた通りレベッカが刀を離すと、刀はほんの少し、捻った布と逆回りに動いたが、荷馬車と結びつけられた布がピンと張った地点で動きを止めた。

 レベッカが馬車の下から這い出てくる。

 

「なんとか形は保ってるが、これで走れるかどうか。刀も目立つし......」


 リンドウが呟いた。


「とにかく試してみましょう。ダン、馬車を動かしてくださる?」


「はっ」


 ダンはそうっと御者台に登り、手綱を緩めた。馬がゆっくりと全身する。

 車軸は持ち堪えている。

 しかし、というかやはりと言うべきか、スピードを出すのは気が引ける。


「なんとか動きますけど、このスピードじゃあ、砂漠を越える前に水と食糧が底をついてしまいますよ」


 ダンは不安げな声で言った。

 たしかにその通りである。


「弱ったな......」


 オリガはレベッカと顔を見合わせて考え込んでいた。馬車を捨て、馬に直接乗っていけば問題は解決する。この先は関所もないから、荷物もなくて問題ない。問題はレベッカの槍だ。


「オリガさん。わたくしのことならお気になさらないで、あれがなくとも任務に支障はありませんわ」


 オリガの心情を察したのか、レベッカは優しく声をかけた。


「しかし、あれがなくては......」

 

「今回は偵察が目的でしょう? あの槍の出番はないはずですわ。念のための用心にすぎませんから」


「そうか、ならばーー」


「隊長! アルムグレーン中尉! あれを!」


 突然ヘクターが叫んだ。夕陽を指差している。

 そこにはこちらへ向かってくる、影が列をなしていた。


「あれは......!」


「砂漠の住民ですわね」


 二人は身構えた。砂漠の民の実態を知らないからだ。好戦的かもしれない。


 影はどんどんと距離を詰め、やがてその全貌が明らかになった。

 八頭のラクダに、それぞれ頭まで白い装束に身を包んだ男たちが跨っていた。先頭の一頭だけは、男の前に子供が一緒に跨っていた。鼻まで覆ったターバンのせいで、はっきりと表情は窺えないが、隙間から覗く目は鋭くこちらを見下ろしていた。

 一向に緊張が走る。


「どうしたの? こんなとこで立ち止まって」


 張り詰めた空気を破ったのは、先頭のラクダに乗る少年であった。朗らかな声で、そこに敵意は微塵も感じられなかった。


「実はな、馬車の車軸が折れてしまったんだ」


 優しい調子で答えたのはオリガだった。


「それは大変だね! ねえお父さん、助けてあげようよ」


 少年は首を捻って、父親の顔を見上げながら言った。

 しかし父親はオリガ達から目線を切らないまま、口を開いた。


「お前たち、商人ではないな」


 一同は再び緊張した。あの位置から刀は見えていないはずである。

 男が続ける。


「旅に慣れた商人たちはこんな砂漠に馬車など持ち込まん。どこへ、何をしにいくつもりだ」


 誰も答えられなかった。

 どれほどの沈黙が続いただろうか。実際にはほんの少しに過ぎなかったろうが、オリガ達にとっては長い沈黙に感じられた。


「お父さん!」


 少年が再度、切口を開いてくれた。


「ねえ、きっとなにか人に言えない訳があるんだよ。この人たち、悪い人には見えないよ? お父さんいつも言ってるじゃない、砂漠では助け合わなきゃ生きていけないって。だから、この人たちも助けてあげようよ」


 少年はまた父親を見上げながら訴えた。

 今度は父親も少年の目を見て、頭を撫でた。


「アベル。お前は優しい子だ」


 少年、アベルは照れ臭そうに笑った。


「確かに、このマヌケ面どもが極悪人とは思えん。いいだろう、ついてこい」


 男はそう言ってオリガ達に背を向け歩を進めだした。


「ちょっと待て! 誰がマヌケ面だって!?」


 ヘクターが啖呵を切る。


「ヘクター! 助けてもらうのに失礼だよ!」


「いーや、はっきり聞かしてもらいたいね。どこの誰がマヌケな面をしてるのかをよー」


 ダンがなだめるのを聞かずに、ヘクターは捲し立てる。

 すると、男はラクダをヘクターに向けなおし、ヘクター、ケイン、そしてリンドウを順に指差しながら言った。

 

「お前とお前とお前がマヌケ面だと言ったんだ」


「なんだとこの野郎! こいつらと一緒にするんじゃねえ!」


「あぁっ!? それはどういう意味だリンドウ!」

 

 ヘクターが怒鳴る。


「俺はお前たちと違って、物を考える脳みそがあるって言ってるんだよ!」


「なんだとてめぇー、囚人のくせに!」


 次に吠えたのはケインだった。


「囚人?」


男の表情が強張る。


「そ、そういう表現なんですよ。あいつは偏執の気があってですね、小さなことに縛られてる囚人だって、いつも仲間内でからかってるんですよ」


 ダンが必死に言い訳を繕う。

 

「アッハッハ。みんな暑いのに元気だね」


 その光景を見てアベルはケタケタと笑った。


「貴方たちいい加減になさい」


 レベッカの一喝でリンドウとヘクター、ケインは黙った。

 

「この者たちの無礼をどうかお許しください。わたくしはレベッカ・ラムリーと申します。訳あって身分は明かせませんが、今名乗った名は誓って本名でございます。得体の知れない我々に救いの手を差し伸べて下さること、感謝の念にたえません」


「オリガ・アルムグレーンと申します」


 二人は膝をつき、本名を名乗って砂漠の民の長に敬意を表した。身分を明かさない、即ち相手を信用していないとも取れる最大の非礼を詫びる、せめてもの償いであった。

 レベッカとオリガが膝をついたことで、ヘクター達も後に続く。


「ヘクター」


「ケイン」


「ルロイ」


「ダ、ダンです」


 リンドウはまだ突っ立っている。

 が、その膝をオリガの左拳が撃ち抜き、跪かせた。


「......リンドウだ」


 男は暫く一同を見下ろしていたが、やがて口を開いた。


「ワシの名はサディード。この砂漠の民を束ねている。誠意は確かに受け取った。身分のことは聞くまい。ワシにとって身分などというものは重要ではないからな。他者に敬意を持って接することこそが大切なのだ。さあ、ついてこい。じきに日が暮れる」


「みんなそんなにキチンとしなくても大丈夫だよ! お父さん、顔は怖いし笑わないけど優しいから!」


 アベルの言葉に、オリガ達は微笑みながら立ち上がり、馬車を引いてサディード達の後に続いた。


 夕陽はその姿を隠し始めていた。

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