第16話 闘争の化身


 勢いよく開戦の宣言をたてたジェシカだったが、その場から動こうとしない。それどころか呻き声を上げてその場にうずくまってしまった。


「ウゥウウッ・・・・・・!」


 いかにも苦しそうな声である。しかし師匠と呼ばれていた大男は、苦しむジェシカを見ても顔色ひとつ変えず、祭壇に腰掛けたままだ。

 オリガは刀を抜かずに様子を窺っている。

 すると、次第にジェシカの身体に変化が現れた。

 背骨が隆起し、節々の腱も大きく浮き上がってくる。華奢であった腕や脚は筋が浮き上がり、深い彫りを形作っている。極端に肥大化した訳ではないが、軋むほど高密度の、鋼を連想させる筋肉が露わになる。手と足の爪は大きく、そして鋭いものへと形を変え、口からは二本の牙を覗かせている。目は釣り上がり、ツインテールは解かれ、逆立った濃い赤髪はさながらたてがみの様である。

 辛うじて二本の脚で立ってはいるものの、その極端な前傾姿勢は、本来四つ脚で大地を踏みしめる獣が、爪という最大の武器を活かす為に習得した、といった感じである。


「ヴゥゥウウ・・・・・・」


 喉を鳴らして唸るその姿に活発な少女の面影はなかった。


「・・・・・・リンドウ、助太刀は無用だぞ」


 リンドウは答えなかった。少女の異様な変貌振りに飲まれてしまっていた。

 オリガが柄に手をかける。

 次の瞬間、ジェシカの太腿が膨れあがり地面を蹴った。弾丸の様な猛烈な速度で、一直線にオリガへと突っ込む。両腕を突き出し、爪でオリガを貫いてしまおうという構えだ。

 オリガはどうにかこれを刀で受け止めた。だが、刀は鞘から半分と少ししか姿を現していない。

 ジェシカの速攻が抜刀を完了させることを許さなかった。


 (速い! そしてなんて硬さだ!)


 ジェシカの爪は、岩をも断つオリガの刀を正面から抑え込んでいる。


 (だが、力押ししか知らないらしいな)


 オリガは体ごと刀をジェシカに押しつける。するとジェシカは真っ直ぐに押し返そうと、力を込める。

 オリガは力の流れを見逃さない。

 ジェシカが押し返す瞬間、オリガは力を抜き、刀ごと体を右へ逃がす。当然、支えをなくしたジェシカの爪は刃を滑り前方へと姿勢が崩れる。

 パワーが強大である分、いなされた時の隙は大きくなる。結果、オリガは余裕を持って刀を抜ける空間を確保した。

 ジェシカが苛立ちの唸りをあげて振り返る。

 抜身を携えたオリガは剣先をジェシカの左眼に合わせ、青眼の構えをとる。

 またもジェシカが跳んだ。

 しかしリーチの差は残酷なもので、爪がオリガの肉を削ぐ前に、剣先が眼前に突きつけられてしまう。

 ジェシカは人を超えた反射神経で、刀に突き刺さる前に地面を蹴って飛び退く。

 攻めあぐねている。

 少しの間、間合いを保って思案していたジェシカが次にとった戦法はシンプルであった。

 体を裂くことが叶わないならばと、刀そのものを攻撃の目標としたのである。

 右手を横薙ぎにして刀身を打とうとする。素晴らしいスピードであった。これが並の使い手であれば刀は打ち砕かれていたかも知れない。

 しかし相手はブラスターの光弾を斬って落とす達人、オリガである。

 オリガは横薙ぎに来たところを上段に振り上げて躱し、そのまま右脚を引いて脇構えに移る。

 これで刀を狙うことも難しくなった。

 ジェシカは考える。


 (ちょこまか鬱陶しいわね。だったらいいわ、度胸比べよ・・・・・・)


 見た目の獰猛さとは裏腹にジェシカは冷静な思考力を保っている。それを相手に悟らせないのも彼女の変身の強みであった。

 オリガは自分からは仕掛けない、ジェシカの次の動きを待っている。

 ジェシカが地面を蹴る。両腕を突き出し、オリガヘ向かって跳んだ。

 その動きは先刻封じられたものと全く同じだった。


 (芸の無いヤツ・・・・・・)


 オリガは脇構えから手首を返し、剣先を前方に向ける。そこから右脚を踏み出しつつ、地面から掬い上げる様に刀を突き出した。変則の突きである。

 ジェシカの目前に刀が突き立てられる。

 このまま先ほどの再現になるかと思われた。

 しかしーー


 (退かないのかっ!)


 そう、今回ジェシカは後退しなかった。

 オリガは思わず刀を引いてしまった。

 突進してくる者を相手に真っ直ぐ退けば、もう道は無い。ジェシカが勢いのままにオリガを押し倒す。

 オリガは辛うじて刀を立てて防御した為、爪に切り裂かれることは免れたが、ジェシカにマウントを許してしまった。


 (やっぱりコイツは甘ちゃんね)


 この遺跡に足を踏み入れてから、リンドウとオリガはただの一人も殺めていない。

 不殺ころさずーーその甘さ、弱点を見抜かれたのだ。

 ジェシカは圧倒的なパワーで刀を押し込む。この体勢ではオリガの技は殆どが封じられてしまう。


 (終わりよ!)


 ジェシカがとどめを刺そうと右手を振りかぶった、その瞬間ーー


「止まれ!」


 リンドウの声が響いた。

 ジェシカは腕を振り上げたまま、声の主を見やる。

 リンドウはジェシカと大男に、それぞれブラスターを突きつけている。


 (なんで止めないのよ、お師匠様!)


 ジェシカは恨むように大男を見る。

 大男はブラスターを意に介さず立ち上がって、言った。


「時間だ」


 リンドウは撃てなかった。撃てばこの均衡が崩れ、オリガが殺される、そんな予感があったからだ。


「あとちょっとで勝てたのに〜!」


 リンドウが大男に気を取られている間に、ジェシカは変身を解いたようだ。髪が乱れていることを除けば、元の溌剌はつらつとした少女に戻っている。師匠には忠実らしく、もうオリガを解放して立ち上がっていた。


「いや、約束の五分を一分過ぎている」


「お師匠様のケチ! それくらいオマケしてくれたっていいじゃない!」


「駄目だ、約束は約束だ。さあもう帰るぞ」


 大男はそう言って、右手をジェシカに向かって差し出した。が、ジェシカは歩み寄ろうとしない。両者の間隔は十メートルほどだろうか。

 痺れを切らしたように大男が小さく息を吐く、と同時に、大男の腕が蠢きだす。

 次の瞬間、大男の腕がほどけた。

 極細の繊維の集合体、触手のように見える。

 それがジェシカに向かって伸びていき、彼女の胴の辺りを包んで引き寄せた。

 ジェシカはキャッキャと嬉しそうに声をあげている。

 ジェシカを手元まで引き寄せた大男はリンドウとオリガを一瞥し、ドームの天井を見つめた。

 つられてリンドウも天井を見つめる。

 すると、天井の岩が赤熱しているのに気がついた。


「なんだ!?」


 リンドウが驚きの声をあげた瞬間、天井をぶち抜いて何かが舞い降りた。

 瓦礫が降り注ぎ、粉塵が舞い上がる中で、リンドウは乱入してきたもののシルエットだけを捉えていた。

 最初はゴツゴツとした巨大な卵のように見えた。

 だがそんな所感はすぐに吹き飛んだ。

 卵から立派な翼が二枚生えてきたのである。それに続いて太い首が、二本の角を雄々しく誇示している頭を持ち上げるのが見て取れた。

 この世界に疎いリンドウにさえ、一瞬で正体が理解出来た。

 ドラゴンである。

 漂う熱風から察するに、ドラゴンが岩盤を熱して脆くした上で突っ込んできたのだろう。

 ドラゴンが火を吐くというお伽話は真実らしい。

 ともかく、そのドラゴンの背にジェシカを抱えた大男が飛び乗る。


「きゃあ〜! お師匠さま力持ち〜!」


 ジェシカの無邪気な笑い声と共にドラゴンは飛び立っていった。目の前の事態に圧倒されていたリンドウだが、流石に抜け目のない男で、ドラゴンが去るきわにガンベルトから超小型の発信機を取り出して、二人に向けて発射していた。粉塵と瓦礫に紛れて気づかれずに済んだようである。それもそのはず、彼らにとっては発信機など理外の存在、警戒のしようがない。


 その後はしばし呆然としていたリンドウであったが、我に帰るとオリガに駆け寄った。

 手を差し伸べるが、オリガはこれを借りずに立ち上がった。


「オリガ、謝らないぜ。あのままいけばお前は・・・・・・」


「分かっている・・・・・・!」


 オリガは己の不甲斐なさを噛み締めるように、小さく声を振り絞った。敗れたことが情けないのではない。無論それも皆無ではないが、何より恥ずかしかったのは、命をかけて挑んでくる相手、その土俵に自分は立てなかったことだった。敵が子どもであったことは言い訳にはならない。

 しかしそう思う一方で、あの少女を殺すくらいならば自分が死んだ方が良い、そんな考えも薄くよぎる。母親が殺された頃の自分に歳が近いせいだろうか。

 オリガは戦士としての倫理と、人としての倫理の狭間で揺れていた。


「いや、すまない。礼を言うべきだったな」


 オリガは言い直した。


「いいさ。約束は約束、だしな」


 リンドウが冗談っぽく言う。


「フッ、そうだな」


 オリガも微笑んだ。

 何はともあれ今回は生き延びた、考えるべきは未来である。自身の弱さを見つめ直さなければならない。良い機会を得た、そう考えよう。


「それにしてもーー」


「ん、何だよ?」


「いや、なんでもない」


 オリガは問いには答えず、リンドウに背を向けて微笑した。


 (私は良い友を持ったものだ・・・・・・)

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