第13話 突破口

「オリガ、返事は来たか?」


 リンドウが二人きりの部屋で尋ねる。フランクは結局一度も帰ってこなかった。


「ああ、旅券も送られてきた。見てみろ」


 オリガに手渡された書類を見ると、どうやったのか精巧なリンドウの似顔絵が描かれている。ほとんど写真に近い。文字は読めなかった。


「なんて書いてあるんだ?」


「ジャン・モニエール、男爵だな。私の旅券の方も名前がアーニャ・モニエールとなっている。つまり私たちは新婚の夫婦で観光目的でナバイに入国するということだ。陛下がお考えになりそうな悪戯だ」


 以前のオリガなら激怒しそうな設定だ。


「なんでそんなややこしい設定に......」


「この世界では軍人が国境を越えるのは面倒でな」


「そうなのか。でも貴族の設定でいくなら俺の服装まずくないか?」


「服は用意しておいた。私もこの軍服で動く訳にはいかないしな。先に着替えるから部屋を出てくれ」


「分かったよ」


 リンドウは部屋を出てタバコに火をつけた。


「いいぞ」


 三本目のタバコを吸い終わったところで部屋からオリガの声がした。

 扉を開けると品の良い白いドレスに身を包んだオリガが立っている。

 凛とした普段の装いと違い、彼女の周りの空気が暖かく感じるような微かな華やかさに包まれている。美しかった。


「何か言ったらどうなんだ」


 オリガが気恥ずかしそうに言った。普段はドレスなんて着ないのだろう。


「あ、ああ。似合ってるよ」


「そうか? 大人の女に見えるか?」


 オリガは鏡に映った自分のドレス姿を悩ましげに眺めている。


「心配すんな。レベッカだって納得する淑女だよ」


「そ、そうか」


 オリガの鏡を見つめる表情が少し明るくなった。


「ところで刀はどうするんだ? 腰から下げる訳にはいかないだろ?」


「むう。それなんだが、貴様に持ってもらおうと思っている。貴族の男なら帯刀していてもおかしくはないからな」


「いいのか、俺なんかが持って」


「仕方あるまい。とにかく貴様も着替えろ」


 オリガはそう言って部屋を出た。鏡台脇の小さなテーブルにリンドウの服が一通り用意されている。

 レース編みの大きなカフにプリーツがたっぷりとたたまれた深い赤色のコートと、同じく赤いウエストコート、こちらには金糸を用いて豪華な刺繍が施されている。パンツは膝丈の半ズボンでその下に白いストッキングを履き、胸にはジャボを着ける。面倒な衣装であった。カツラが無いのがせめてもの救いと言える。悪戦苦闘しながらもリンドウはなんとか着替えを終えて鏡を見る。


「なんかオリガと感じが違うな......」


 確かにオリガのドレスに比べて随分派手な衣装だ。


「終わったか?」


 扉越しにオリガが呼びかける。


「ああ」


 返事を受けてオリガが入ってきた。


「ぷっ」


 リンドウを見た瞬間オリガは小さく吹き出した。

 オリガのこんな笑い顔は初めてだったので悪い気はしなかった。が、


「似合ってねえのは俺が一番分かってんだ。笑うならもっと思い切りやってくれ」


 とりあえず自然な反応としてオリガを非難しておく。


「いやあ、すまんすまん」


 オリガはまだ少し笑いを漏らしながら言った。

 笑いから立ち直ると、オリガは刀を吊るしているベルトを取ってリンドウに渡した。

 リンドウはガンベルトを鞄にしまい、刀を受け取って佩はいた。刃は地面へ向け鞘尻は下がっている。ずっしりとした重みがオリガから刀を託されたことの責任を実感させる。


「なかなか様になってるじゃないか」


 オリガはそう言ってまた笑った。


「それでは出発だ。この街からナバイまではそれほど距離はない、馬を用意してもらったから一日走れば着くだろう」


 二人は部屋を出て歩いた。

 門まで来るとオリガの言葉通り、二頭の馬が用意されていた。オリガは馬に飛び乗るのではなく、ゆっくりと鐙に足をかけ上品に横鞍に収まった。

 リンドウも馬に跨る。


「おい、私の名前を呼んでみろ」


 オリガが首を回してリンドウに言った。


「アーニャだろ」


「よしよし、その調子だ」


 満足そうに言ったオリガは正面へ顔を向け叫んだ。


「行くぞ!」


 勢いよく駆け出すオリガ。サイドサドルによる騎乗とは思えない程軽やかな走りであった。

 リンドウも後を追う。随分と上手くなったようだ。腰に佩はく刀を苦にしていない。

 二人は風のように駆けた。馬も一向にバテる様子がない。リンドウはこの星の馬のスタミナに驚いていた。しかし人間は別だ、激しい運動に体力を奪われる。

 駆けに駆けて二人は日が沈む前に国境の関所の近くまでやって来た。オリガはスピードを落とし、馬上で服装の乱れを正している。リンドウも息を整えた。


「この先が関所だ。準備はいいな」


「ああ」


 やがて関所が見えてきた。関所とは名ばかりで堅牢な砦が左右に伸びている。

 二人は馬の歩調を落ち着かせ、いかにも優雅に歩かせる。街道を挟むように門が建てられており、通行人はここで検査を受けなければならない。

 まず出国側の検査を受ける。検査をするのはダニアの兵士達だ。これは何の問題もなくパス出来た。

 残るはナバイ側の入国審査だ。

 二人は馬をゆっくりと進めた。 

 ナバイの入国審査官が近づいてきた。鋭い目つきで馬上の二人を見つめている。


「旅券を拝見」


 それしか言わなかった。

 リンドウはオリガの分もまとめて旅券を提出した。

 審査官は書類を一瞥して顔をあげた。


「聞かぬ名ですな」


 当然だ、そんな男爵は存在しない。


「い、一代貴族なものでな」


「......なるほど」


 この間リンドウは顔色一つ変えはしなかったが、内心ビクビクしていた。


「モニエール卿、恐れながら下馬して頂きたい。お荷物を拝見せねばなりませぬ故」


 やはり検査があるか、とリンドウは思った。

 出来れば荷物は見せたくなかった。リンドウの商売道具についての説明に困るからだ。

 しかし断る訳にもいくまい。リンドウは馬から降りた。

 審査官が馬に括り付けられた荷物を解いていく。

 鞄は二つある。一つ目には水や食料が入れられている。これは何も尋ねられる事なく検査をパスした。

 問題は二つ目の鞄だ。服とブーツの下に二重底の仕掛けでガンベルトが隠されている。

 鞄を手に取った審査官が首をかしげる。当たり前だ、ブーツが入っているとはいえ重すぎる。


「えらく重い鞄ですな。それに変わったお召し物ですがこれはいったい?」


「ああ、晴れの新婚旅行に無用なトラブルは嫌でね、特別頑丈にあつらえさせたのだ。その服とブーツも狩猟用にあつらえたものだ」


 リンドウは低い声で威厳を演出しているが、側はたからみれば芝居がかった喋り方をする似合わない服を着た怪しい男である。審査官は疑いの目を向ける。

 審査官は鞄を丁寧に探り始めた。

 いかん、このままでは仕掛けに気づかれてしまう。リンドウがそう観念しだした時、後方から声が聞こえてきた。


「おや、あなたはいつぞやの晩餐会でお会いした......」


 リンドウが振り返ると馬に跨った男が目に入った。

 整えられた栗色の髪を持ち、フロックコートをピシッと着こなす気品溢れる男だ。

 しかし、その顔はどう見てもフランクである。

 髭を剃り、髪をとかしたフランクは立派な貴族に化けていた。


「お名前は確か......」


「モニエールです。ジャン・モニエール男爵」


 リンドウは驚きとフロックコートへの妬みを抑え込んで答えた。


「やはり間違いない。その節はお世話になりましたな」



「私こそ素晴らしい夜をご一緒させて頂いて光栄でした」


 偽貴族たちのアンサンブルが始まった。


「そちらの美しいご婦人はどなたですかな?」


「妻のアーニャでございます」


「これはこれは男爵夫人、お初目にかかります。貴女のような美しい花嫁に出会えて光栄だ。私はモストファー侯爵、以後お見知りおきを」


 フランクは軽く頭を下げ、オリガも応えて会釈を返した。


 リンドウはフランクが侯爵と言い張るのを聞いて吹き出しそうになった。


「モ、モストファー侯爵!」


 その名を聞いて審査官が驚く。さぞかし名の通った名家なのだろう。


「モストファー閣下、恐れながら申し上げます。この関所は何人であろうとも旅券を確認しなければならぬ定め、どうかご提示をお願い申し上げます」


 審査官は平伏して頼み込んだ。

 フランクは馬から降りようともせずに、懐中時計を取り出し審査官の目の前にぶら下げた。時計には侯爵家のものであろう家紋が刻まれている。


「これでは不足かな?」


 フランクが審査官を見下ろして言った。

 審査官は顔を上げて時計とフランクの顔を交互に見ている。旅券を出させたいが他国の人間とは言え侯爵に対してはあまり強く出れない、そんな迷いが見て取れた。フランクは審査官と目が合っても表情を変えない。


「いえ十分でございます。どうぞお通り下さい」


 再び平伏する審査官。結局彼は虚構の権力に屈服したのである。


「ご苦労であった」


 三人はこうして関所を抜けたのであった。

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