第10話 死の紋章

一行は予定通り昼過ぎに商都ノーカスへ辿り着いた。

 この街は王都とは全く違っていた。劇場や酒場が軒を連ねており、いかにも俗っぽい市民文化の街であった。とにかく活気に溢れている。


「いいねー、俺好みの街だぜ」


 リンドウが浮かれた調子で言う。


「遊びに来たのではないぞ。それよりフランク、どこで男を見かけたんだ」


「楽しいとこさ。こっちだ」


 フランクはそう言うと先頭に立って案内した。この街を歩き慣れているようで迷う事なくどんどん雰囲気の悪い方へ進んでいく。

 そうして娼館が立ち並ぶ通りへ来た。道では娼婦たちが昼間から客引きに勤しんでいる。彼女達はフランクに気づくとこぞって声をかけてきた。


「あらフランク。ちょっと遊んでいかない?」


「あたしと遊びましょうよフランク」


「何言ってんのよ、フランクがあんた達みたいなブスと寝る訳ないじゃない。彼のご指名はあたしよ」


 どうもフランクはここじゃ顔が広いらしい。


「悪いなみんな、今日は仕事があるんだ。今度まとめて相手してやるからさ」


「連れないんだから〜。そっちのお兄さんはどう? なかなか良い男じゃない」


 商魂たくましい女たちはリンドウも誘惑する。


「いや〜、目移りしちまうな」


 リンドウは鼻の下を伸ばした。

 が、オリガに肘で腹を突かれてすぐに正気に戻った。


「ぐっ」


 かなり強く突かれたようだ。


「残念だけどべっぴんさん達、俺もやらなきゃならない事があるんでな。また今度」


 リンドウは腹を押さえながら言った。


「きっとよ。待ってるからね〜」


 女たちは黄色い声で見送ってくれた。


「まったく男というものは......」


 オリガは小さく呟いた。二人には聞こえていないようである。


 やがてフランクは一軒の酒場の前で足を止めた。


「ここだ」


 その酒場は木造ではあるが二階建ての立派な造りであった。二階部分から大きな看板が突き出ている。文字は読めなかったが裸の女のシルエットが描かれており、いかがわしい店なのは間違いない。

 店に入るとまずタバコの煙に包まれた。パイプに煙管、そこら中から紫煙が沸き立っている。

 店内にはテーブルが並び女が男を囲んでいる。奥にはカウンターがあって、その右脇には二階へ続く階段がある。ちょうど一組の男女が二階へ上がるところだった。

 フランクは一直線にカウンターへ向かうと、店主と思われる男に声をかけた。スキンヘッドのいかつい男だ。


「よおガルス、あのチビ来てるかい?」


「成金野郎のことか? それなら来てるぜ」


 ガルスと呼ばれた男はグラスを磨く手を止めて答えた。


「上か?」


「ああ、今さっき上がっていったよ」


「相手は?」


「シンディだ」


 それを聞いたフランクが笑い出す。


「だったら5分で終わるな」


「違えねえ」


 ガルスも笑った。


「ビンゴだ。あいつはここに居る。少し待て」


 フランクは振り向いてオリガに言った。


「しかしフランク、あいつに何の用だ?」


 ガルスが尋ねる。


「なに、大した用じゃねえ。ちょっと聞きたいことがあってな」


「......そうか、まあ何でもいいが店に来たなら何か注文しろ。一人一杯飲んでいきな」


「分かったよ。俺は強い奴を、上等なのを頼むぜ。お二人さん、何にする?」


 再びフランクが振り向く。


「俺も酒を頼む」


「おいリンドウ、貴様は任務についているんだぞ。お茶にしろ」


「かたいこと言うなよ。大体こんなとこにお茶なんかねえよ」


「おいおいうちの品揃えを舐めて貰っちゃ困るな。お茶ならあるさ、一種類だけだがね」


「ならそれを二つ頼もう」


 結局オリガに押し切られてリンドウは酒にありつけなかった。旨そうに酒を煽るフランクが恨めしかった。


「なあおっちゃん、成金野郎ってのはどういう意味だ?」


 紅茶をすすりながらリンドウが訊いた。


「ん、ああ。あいつは最近この店に顔を出すようになったんだがな、いつも高い酒を飲んで派手に遊んでやがる。きっと何か一山当てたに違いねえ」


 それを聞いてリンドウとオリガは顔を見合わせた。もう箱は第三者の手に渡ったと見ていいだろう。


「野郎、もう逃げ切った気でいやがるな」


 リンドウが呟いた。

 それを聞き流してガルスが言う。


「そんな事より、先に代金を頂こうか。二百出しな」


「ぼったくりだな」


 オリガがぼやく。


「そんな事ない、適正価格さ。フランクの飲んでる酒がとびきり上等なやつだからな」


 オリガがフランクを睨みつける。


「おいおい、そんな怖い顔するなよ。これも必要経費ってやつだ」


 確かにフランクの言う通りこの金は店で面倒を起こすことを見逃してもらう為には必要だった。しぶしぶオリガが金を払った時、二階から女が降りてきた。グラマラスな身体を強調するタイトなドレスを着ている。攻めたスリットが妖艶さを醸し出していた。


「よおシンディ」


 フランクが声をかける。


「あらフランク。友達連れとは珍しいわね」


 シンディは落ち着いた調子でありながら艶っぽい声で答えた。タバコの匂いに混じって香水の香りが漂よってくる。


「まあな。ところでお相手はどうした?」


「ベッドでぐっすりよ」


「どの部屋だ?」


「右の角部屋よ」


「そうか、ありがとう」


 フランクはガルスの方へ向き直る。


「悪いがちょっと邪魔させて貰うぜ」


「部屋を汚すなよ」


「あいよ。じゃあ行くかお二人さん」


 リンドウとオリガは頷いて席を立ち、言われた通り二階の角部屋へ向かった。中からイビキが聴こえてくる。

 三人は顔を見合わせ頷き合った。リンドウが静かにドアを開ける。


 __居た。あの小男だ。驚いたことにさっきまでイビキをたてていたのがもう目を覚まして上体を起こしている。恐ろしく用心深い男だ。しかしもう手遅れである。


「リンドウ、この男か?」


 オリガが尋ねる」


「ああ、間違いねえ」


 小男は最初目をぱちくりさせていたが、事態を飲み込んだのかどんどん顔が青ざめていった。

 オリガが刀を抜き切先を小男に向ける。


「箱をどこへやった。答えろ」


「言えやせん」


 男は震える声で言った。


「私が聞きたいのはそんな台詞ではない」


 切先が小男の喉に触れる。


「い、言えないんだ! 言えば殺されちまう!」


 男は脂汗を流しながら叫んだ。


「安心しろ。情報を吐けば牢屋へ放り込んでやる、誰も貴様に手出しは出来ん。だが、答えないというのであれば今この場で貴様を殺す」


 小男の体までもが震えはじめた。許しを乞うような目つきでオリガを見つめている。しかしオリガの目は氷のように冷たかった。


「わ、分かりやした。話しやしょう」


 小男は観念した様子である。


「な、ナバイの方から来た、黒いローブを着た奴らに頼まれやした。あれは近頃噂になってるーーぐうっ!」


 話の途中で小男が苦しみだした。胸を押さえてもがいている。


「ぐむっ! ふぅっう、うぅぅぅっ!」


 呻き声を上げながらのたうち回る。


「があっ!」


 最後にそう叫んで小男は動かなくなった。

 異常な光景であった。


「どけっ!」


 茫然とするオリガをおしのけリンドウが小男に駆け寄り、仰向けに寝かせて心臓マッサージを試みた。

 しかし小男は目を見開いた苦悶の表情で固まっており蘇生が不可能である事は明白であった。


「くそっ」


 リンドウは手を止めた。その時、小男の胸の違和感に気づいた。シャツ越しに何か凹凸があるのを感じる。リンドウはシャツを剥いだ。


「何だこれ......」


 男の胸には魔法陣のようなものが焼き付いていた。ミミズ腫れのように赤く浮かび上がっている。

 オリガとフランクも言葉を失っていた。


「......フランク、大きな袋を貰ってきてくれ」


 静寂を打ち破りオリガはフランクに銭を握らせた。


「あ、ああ」


 フランクはおぼつかない足取りで部屋を出て階段を降りていった。


「オリガ、こいつは一体......」


 二人きりになった部屋でリンドウが言う。


「分からん......」


 部屋は再び静寂に包まれた。

 どれくらいの時間が経っただろう。フランクが袋を持って戻ってきた。人が十分に入る大きさの袋だ。


「ご苦労」


 オリガは袋を受け取り、死体に歩み寄って手を合わせた。


「リンドウ、頼む」


 リンドウは頷いて死体の足側を持ち上げた。体はオリガが支えている。そしてフランクが袋を広げ、死体を納めた。


「とにかく遺体を運ぼう。駐屯地へ向かう」


 リンドウが袋を担ぎ、三人は階段を降りた。


「おい、お前たち......」


 三人に気づいたガルスが曇った表情で言った。


「俺たちがやったんじゃねえ。だが、すまねえ」


 フランクは頭こそ下げなかったが、その声は芯から詫びているものだった。


「......もういい。早く行きな」


「恩に着るよガルス」


 三人は店を後にして、オリガを先頭にこの街の駐屯地へ向かった。

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