第9話 魔眼の男

食事を終え、二人は焚き火を挟んで座っていた。 

 頭上では白金を散らしたかのように星が輝いている。


「ごちそうさん。美味かったよ」


「なに、大したものではない」


 それだけ言葉を交わすと、二人は黙った。

 しかし、この沈黙はリンドウにとって息苦しいものではなくなっていた。

 薪がはじける音だけが夜に響く。


「なあ」


 ふいにオリガが口を開く。


「そろそろ聞かせてくれてもいいんじゃないか? 貴様の話を」


「ん、そうだな。話してみるか」


 リンドウはオリガに全てを話した。自分が居た世界のこと、ワープゲートの事故のこと。オリガは黙って話を聞いていた。


「まあこんな感じだ。信じられねえだろうが」


「確かににわかには信じられんな。だが貴様が嘘をついているようにも見えん、私の知らない世界があるんだろうな」


 オリガはそう言って空を見上げ、またリンドウの方へ向き直った。


「どうして盗みを始めたんだ」


 責めるような口調ではなかった。


「さあな。物心ついた時には盗みをしてたよ。俺みたいに戦争で身寄りがなくなったガキはそうやって生きてたんだ。親の顔だって知りやしねえ」


「そうか......。つまらん事を聞いた、許してくれ」


「別にいいって」


 リンドウはそう言って軽く笑う。


「そっちの話も聞かせてくれよ。なんで兵士になったんだ?」


 オリガは迷ったような顔で焚き火を眺めていたが、やがて話し始めた。


「私は父を早くに亡くしていてな、母と二人で暮らしていたんだ。優しい母との暮らしは幸せだったよ」


 オリガは思い出を懐かしんでか明るく微笑んでいた。


「だが、私の10歳の誕生日の夜、家に野盗が入った......。野蛮な奴らだったよ、母は私に覆い被って必死に守ってくれた。母の体から流れた血の温もりを忘れたことはない......」


 徐々にオリガの声が震えだす。


「奴らはっ、泣きじゃくる私を見て笑ったんだっ!」


 オリガの目には涙が滲んでいた。


「結局奴らは人が駆けつけるのに気づいて逃げていったが、あんな無力感は二度と御免だ。だから軍人を志した」


 オリガは指輪を左手で強く押さえていた。


「その指輪は......」


 リンドウが聞いた。


「母の形見だ。幼い頃からお守りとして肌身離さず身につけておくように言われていた」


「そうか」


 リンドウはそれしか言わなかった。

 自分はこの少女を慰める言葉を持たない、それが分かっていたから黙った。

 タバコを取り出し、手頃な薪たきぎを手に取り火をつけた。


「体に悪いぞ」


 オリガが言った。今度は責めるような口調と顔つきだった。その顔がなんとも子供っぽく、可笑しくってリンドウは声をあげて笑った。


「何がおかしい」


「いやいや、何でもねえ。それに長生きしようなんて思っちゃいないさ」


「連れないことを言うな。むざむざ生き残った者同士、どうせなら生きれるところまで生きよう」


 今度はオリガが冗談っぽく笑った。


「それも悪くねえかもな」


 リンドウの吐いた煙が天へと登っていった。

 そんな夜だった。



 翌朝からも二人は歩き続けた。オリガの話ではあと二日も歩けば商都に通じる街道に合流するとのことだった。

 オリガは辺りの水場や地形に詳しく、迷うことなく歩を進める。恐ろしく健脚なオリガについていくことはリンドウにとって中々の苦労であった。

 そして二日目、一行は宣言通り街道に合流した。

 ここから商都までは宿場が点々と連なっており、人通りも少なくなかった。


「あ〜、文明の香りだ。堪んねえな」


 リンドウが幾分か元気を取り戻す。


「もう街は近いんじゃないか?」


「そうだな、後二日ほどで着く」


「えっ、まだそんなに歩くの」


「心配するな。今夜からは野宿じゃないぞ」


 オリガの励ましの言葉もむなしく、リンドウはあからさまにガッカリしていた。

 拗ねた子供のようにダラダラとした歩調で歩く。


「貴様、そんな調子じゃ三日かかるぞ」


 オリガが発破をかける。


「そうは言ってもオリガ、俺の世界じゃ座ったままで星から星へ飛んでいけたんだぜ? 一週間も歩くなんて正気の沙汰じゃねえよ。飯だってまともに食ってねえし」


「文句の多い奴だ。よかろう、昼は宿場で豪勢な物を食わせてやる。だから歩け」


「言ったぜ」


 リンドウは飯に釣られて歩調を早めた。


 そして二人は昼前に最初の宿場に辿り着いた。

 オリガはその中でも一番立派な宿に入る。

 玄関に入ると女将と思しき女が立っていた。


「いらっしゃいませ。お泊りですか?」


「いや、食事を頼みたい。この根性なしの男に精のつくものを食べさせてやってくれ」


 オリガはそう言ってリンドウを指さした。

 リンドウはムッとした表情だったが、ただ飯を食らっている分際なので反論はしなかった。


「あら、私にはご立派な殿方に見えますが。よござんしょ、飛び切りの食事をご用意致します」


 女将の言葉にリンドウはニンマリしている。

 それから二人は食堂に案内された。

 出てきた料理は確かに素晴らしかった。鳥の丸焼きに透き通ったスープ、香ばしいパン。酒も上等なのが出されたがオリガが断ってしまった。


 たらふく食べたリンドウはすっかり元気になって、午後の行程の足取りは軽かった。


「順調に進んでこれた。これなら今晩次の宿場で一泊して、明日の昼過ぎには商都へつけるだろう」


 オリガがそう言ってから程なくして、二人は宿場についた。大小様々な宿が並んでいる。

 オリガはその中から一番みすぼらしい宿を選んだ。


「おいおい、ここにするのか?」


「昼食で出費がかさんだ分節約せねばな」


 宿に入ると景気の悪そうな顔の男が出迎えた。


「二人で10マヌクだ」


 男はそれだけ言って手を差し出した。

 オリガが銅貨を10枚渡す。

 通貨の価値に疎いリンドウでも相当な安宿なのが理解できた。

 金を受け取った男は何も言わずに一つの扉を指差した。二人は指示された部屋へ行く。


 部屋には先客が居た。男が床に転がって寝ている。どうやら相部屋のようだ。壁際に薄い毛布が十枚ほど積み上げられている。この狭い部屋に最大十一人詰め込むということだろうか。地下牢の方がよっぽど快適だ。とにかく、二人は適当なところに腰を落ち着けた。


「なあオリガ、商都とやらに行けば奴の情報は本当に手に入るかな」


 リンドウがガンベルトを外しながら訊いた。


「分からん。なにせ手がかりがほとんどないんだからな」


「そうだよな。手がかりはあのチビのニヤケ面だけだしなーー」


 その時、寝ていた男がモゾモゾと起き上がった。

 モサモサの茶髪に無精髭を蓄えている。服も元はいい仕立てのジャケットにズボンであったと思われるが、今ではくたびれ果てていた。

 一見不潔な印象を受けるが顔つきは整っており、なかなかの色男である。

 その男が眠たそうな目でこちらを見ている。


「起こしてしまったようだな。すまない」


 オリガが詫びた。


「今の話......」


 男はオリガに許すとも許さないとも言わずに話し始めた。


「そのチビなら知ってるぜ」


 二人の表情が変わる。


「本当か!? どこで会った? 教えてくれ!」


 オリガがまくし立てる。


「待てよオリガ、今の話だけで誰か分かる訳ないだろ」


 リンドウがオリガを制し男を睨みつける。

 だが男は動じずに話を続けた。


「分かるさ。そっちのお嬢ちゃんは軍人だろ? そんな奴に追いかけられそうな小男はあいつしか居ねえさ。旦那」


 リンドウが驚いた表情を見せる。

 男は構わずに続ける。


「それに俺の目は特別でね、あんたらの考えてることが読めるのさ。あんたが思い浮かべてたのはあの男だ、間違いない」


「適当なこと言いやがって、だったら俺が今何考えてるか当ててみな」


「そんなんじゃつまらねえよ。もっとアンタの心の底を見てやろう......。おっと、こいつは驚いた。あんたはタフガイを気取ってるけど本当は女に足蹴にされたいと願ってるな?」


「ハッハッハ、てんで的外れだぜ」


 本人はそう言ったが、オリガのリンドウを見る目には侮蔑が込められていた。


「だから貴様は地下牢であれほど下着を脱ぎたがっていたのか......!」


「お、おい待てよ! こんな奴の言うことを信用するのか!?」


 リンドウが弁解しながらオリガに近寄る。


「離れろ俗物!」


 男はニヤニヤしながら続ける。


「そっちのお嬢ちゃんはいつも周りの女の胸を妬ましそうに見てるな?」


 それを聞いて今度はリンドウが吹き出した。

 当のオリガは表情は変えなかったが、刀に手をかけて言う。


「ふむ。やはり貴様の言う通り妄言しか吐けん男のようだ。けしからん奴め、叩き切ってやる」


「待て待て! 男を探してるんだろ!」


 男は流石に慌てた様子だった。


「ああそうだ。余計なことは喋らず情報だけよこせ」


「なんて奴だ。タダで教えろってのか? 軍人の横暴だぜ」


 オリガは男を睨みつけていたが、やがて柄から手を離した。


「それもそうだ。ただ生憎今は十分な礼を出来るだけの待ち合わせがない。賊を捕らえて王都に戻れば相応の謝礼はさせて貰う。だから頼む、教えてくれ」


 オリガは冷静さを取り戻したようで、態度を軟化させた。

 男は何も答えずオリガの服に輝く徽章を観察していたが、やがて口を開いた。


「なるほど、王都を守る憲兵隊の隊長が言うんだ、信用しよう。ただここで全部話す訳にはいかない。俺だって保険は持っておきたいからな。だが安心しな、奴はまだノーカスにいる」


 ノーカス、それが商都の名前だ。


「ところで自己紹介がまだだったな、俺はフランク、よろしくな」


「オリガ・アルムグレーンだ」


「リンドウだ、言っておくがてめえの事は信用しちゃいねえぜ」


「構わないさ、俺は金が貰えればそれでいい」


 こうして新たにフランクを迎え入れた一行の夜はふけていった。

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