第8話 過去の香り
__くすんだビルが立ち並ぶ街、瓦礫がれきが散らばる雑踏の端に座り込む少年がいる。
ボロを纏った少年は俯いたまま動かない。
道行く人々の内何人かは彼を哀れみの表情で、何人かは蔑みの目で見る。その他ほとんどは彼に興味を示さない。
その全てが少年を苛立たせた。
哀れみも蔑みも、そして無関心も。
俯いたまま表情は変わらなかったが、その内心ではふつふつと何かが沸いてきていた。
少年が見つめている地べたにふっと人の影が現れる。
見上げると身なりのいい女が立っている。
女は財布からいくらかの金を取り出し少年に握らせた。その顔には判で押したような笑みが貼り付いている。
少年の内に沸いたものがその温度を上げた。
少年は女の財布を奪って逃げた。
先ほどまで恵みの笑顔を見せていた善人が自分を罵るのが聞こえたーーーーーー
そこでリンドウは目を覚ました。
「クソッ......」
硬いベッドの上でリンドウは体を起こし、顔をさすった。窓から日が差し込んでいる。
顔に手をやったまま左手のベッドを見ると、オリガの姿が見えない。
「......無用心な奴」
言葉とは裏腹にリンドウは逃げる素振りを見せず、タバコに火をつけ窓から往来を眺めていた。
そこには子供も大人も老人もいた。
朝から酒を飲む男も、荷を背負い汗を流す行商人もいる。平凡な日常の一コマと言っていいこの光景がリンドウには新鮮なのか、飽きずに眺めている。
タバコの灰がベッドに落ちた時、ようやくリンドウは窓から視線を外した。
「あ、やっちまった」
リンドウはいそいそとシーツから灰を拾い上げる。それでも少し黒ずみが残った。
朝が濁った気がした。
その時、部屋のドアが開いた。オリガが布袋を背負って立っている。
「おはよう。どこに行ってたんだよ大罪人を放っぽって」
「やられた。馬泥棒だ」
オリガはそれしか言わなかったが、彼女の心中を察するに十分な怒気を含んでいた。
リンドウはすぐには返事が出来なかった。
オリガを刺激しないように手探りで言葉を紡ぐ。
「あー、そうか、なるほど......。馬を買う金とかって......?」
「あいにくそれほど持ち合わせが無い、私の落ち度だ」
「じゃあ......一旦王都にもどっーー」
「そんな時間はない、私たちも歩くぞ」
「そう......だよな」
__くそ、馬泥棒め。
リンドウは心の中で同業者を呪った。
それから二人はすぐに宿を出た。
夜市が開かれていた大通りを進み、次の街に続く道へ繋がる門に向かう。街を出るだけでもそれなりに歩かなければならない。
十字路をいくつか越えて進んだ先に、大通りから別れる細い路地があった。
路地に目をやったオリガが立ち止まる。それに続いてリンドウも足を止めた。
リンドウも路地に目を向けると、そこには酒浸りの老人や、うわ言を呟く男達が転がっている。昨晩は気づかなかった、この街の吹き溜りであった。
その中に二人の子供が寄り添って座り込んでいる。10才ほどの女の子とそれより少し幼い男の子だ。二人とも痩せている。
オリガは子供達を見つめていた。
そして、ふいに懐ふところに手を入れた。巾着を取り出すつもりだろう。
「待て」
リンドウがオリガの腕を抑える。
オリガがリンドウへ顔を向けた。
「金なんか渡すな」
オリガの目にはその言葉に対する怒りが滲んでいた。だが、
「あの子達が襲われることになるぞ」
リンドウのこの一言でふっと消え失せた。
「......せめて、食べ物くらい」
そう言ってオリガは近くの店で大きなパンとミルク、干し肉に果物を買ってきた。
それらを持って子供達に近づきしゃがみこむと、何も言わずに食べ物を差し出した。
しかし彼らはオリガを険しい顔で見つめ、手をつけようとしない。
オリガはそのまま立ち上がり、路地を出て物陰から彼らを見守った。
子供達はオリガが見えなくなると食べ物に手をつけた。
その時、オリガは微笑んだ。
それはリンドウが夢で見たどの顔とも違っていた。
自身の無力さを自嘲するような、弱々しい微笑みであった。
リンドウはオリガの真理を見た気がした。
結局、オリガは彼らが全て食べ終わるまで目を離さなかった。
「すまない。急がねばな」
リンドウの返事を待たずにオリガが歩き出す。
リンドウも後に続いた。
路地を離れ、しばらく歩くと門が見えてきた。
門を抜ければ天と地を遮さえぎるものはなく、雲を流した風がそのまま草原を揺らして吹き抜けていく。その中に質素な道が通っていた。
しかしオリガはその道から外れ、草原の中を歩いていく。
「そっちでいいのか?」
「ああ、この道はいくつか小さな街を経由するからな、草原を突っ切った方が早く商都へ着ける」
それから二人は黙々と歩いた。
途中パンと干し肉で昼食を取る、休憩らしい休憩はそれだけだった。
やがて日が傾き始める。
夕陽に照らされながらリンドウはオリガの微笑みを思い返していた。
「今日はここまでにしよう」
ふいにオリガが振り向いて言った。夕日を受けてキラキラと光る草原の中、オリガの髪は一層美しく輝いていた。
「日が沈む前に夜営の準備をするぞ。薪を拾ってこい」
オリガはそういってほど近い林を指さした。
「荷物はここに置いていけ」
「今さら逃げねえよ」
事実この時のリンドウにはもう逃げる気など無かったが、言われる通り荷物を人質として置いていった。
林に入ると辺りは一遍に暗くなる。リンドウは手頃な薪を拾い集めるとすぐにオリガの元へ戻った。
オリガは麻袋から道具を取り出して、何やら調理の準備にかかっていた。
「ご苦労」
オリガはリンドウに気づくとそう言って水筒を手渡す。脱走防止の為、水は全てオリガが管理していた。
リンドウは一口だけ水を飲み水筒を返そうとしたが、
「遠慮せずに飲め、この近くには泉があるから水の心配はしなくていい」
オリガがそう言ったので存分に喉を潤した。
その様子を眺めながらオリガは薪を組み上げ、麻袋から火口ほくちと火打ち石を取り出した。
それを見ていたリンドウはライターを取り出し、火口に点火しながら聞いた。
「なあ、魔法で火はつけられないのか?」
「私は魔法は使えん」
お節介をやかれたオリガは火打ち石を仕舞いながら不機嫌そうに答えた。
「使える人間は限られてるのか?」
「お前は本当に何も知らないんだな......。強力な魔法を使える者は限られているが、簡単な魔法なら誰だって使える。私は生まれつき魔臓まぞうが弱くてな、魔力を体に留めておけないんだ」
オリガは小さな鍋を火にかけながら答えた。
「魔臓? なんだそりゃ?」
オリガが呆れた顔でリンドウを見つめる。
「貴様今までいったいどうやって生きてきたんだ......」
「バカなのは謝るから教えてくれよ」
オリガはため息を吐きながらリンドウの右胸の辺りを触った。その手はとても冷たかった。
「この位置にある臓器だ。自然に存在する魔力を溜めて自身の力に変換するものだ」
キョトンとするリンドウを置き去りにしてオリガは続けた。
「神話によれば、太古の昔には今より世界は魔力で満ちていて強力な魔術師も多く居たそうだが......。さ、煮えたぞ」
見れば鍋の中身がぐつぐつと煮たっている。粥かゆだ。
オリガは粥をカップによそってリンドウに渡した。
暖かい食べ物は嬉しかった。リンドウは勇んで口へ運んだ。塩で味付けしただけのオートミールのようだったが、案外いける味付けだった。
「意外だな、お前みたいな奴は不味い飯しか作れないって相場が決まってるのに」
「誰が決めたんだ、そんな相場」
「冗談冗談」
そう言ってリンドウは笑った。
オリガと出会ってから一番の和やかな夜であった。
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