第7話 追跡開始
謁見の間を後にしてオリガとリンドウは歩いている。会話はない。リンドウは二人の間を流れる空気が冷えきっているのを感じていた。
静寂が打ち破られたのは一階大広間の大階段まで来た時のことであった。
「あらオリガさん、その殿方はどなた? もしかして良い人かしら?」
声の主は少女だった。話し方からして恐らくオリガとそう年は離れていないと思われる。
しかしオリガに比べると顔つきも服装も身長もいくらか子供らしかった。160センチほどの背丈をゆったりとした赤いドレスが足首まで隠していて、よく手入れされた黄金色の髪が腰の辺りまで伸びている。
オリガほどでは無いが色白であり、ぱっちりとした二重と柔らかそうな唇に、品のいい微笑を浮かべたその顔は可愛いらしいものである。
「笑えない冗談だな、この男はただの罪人だ。任務の都合で一緒にいるだけだ」
少女の微笑みとは対称的にオリガの表情はかたいが、リンドウに向けるような冷たいものではない。
「あらイヤですわ、オリガさんったら怖い顔をなさって。せっかくの美人が台無しでしてよ?」
オリガの呆れたような顔がこのやり取りが初めてではないことを物語っていた。
「初めまして、私わたくしはレベッカ•ラムリーと申します。オリガさんとは士官学校の同窓ですわ」
ドレスを軽く持ち上げてリンドウに礼をする少女。オリガからの返事はハナから期待していなかったものと見える。
「これはどうもご丁寧に、リンドウだ、よろしく」
リンドウも気取って頭を下げた。
「しかし君のようなお嬢さんが士官だったとは驚いたよ」
「おい貴様、そのキザな喋り方をやめろ」
「相変わらずオリガさんは厳しい人ですわね」
レベッカは口に手をあてて笑っている。
「なんだオリガ、友達いたんだな」
「気安く呼ぶな。それにレベッカとは腐れ縁なだけだ、私が主席で彼女は次席、それでいつも私に張り合ってきているんだ」
「あら、張り合うだなんてそんな。私が次席に甘んじているのは淑女の淑しとやかさというものですわ。オリガさんのお胸ほどではないですけれど......」
レベッカの視線がオリガの胸元に注がれる。
「何が言いたい!」
オリガが憤慨するが、なるほど、言うだけあってレベッカの胸はたわわに実っている。
「あら怖い。それでは私はこれで失礼いたしますわ。ご機嫌よう」
レベッカはそう言って、高笑いと共に去っていった。
「なかなか面白い奴だな」
「ああ、貴族の出でで軍人になるとは変わった奴だ。悪い奴ではないんだがあの口ぶりには閉口する。さ、行くぞ」
会話はそれきりで切り上げられてしまった。
それから二人は本殿を出て中庭を抜け、兵舎に向かった。まず地下牢に行き、そこでリンドウは押収された物を受け取った。
その後、兵舎の裏手に回る。ここに厩舎があることをリンドウはこの時知った。オリガはそこで二頭の馬を借り受けた。
厩舎の兵士が荷を引かせるのにもう一頭連れて行ってはどうかと言ったが、オリガは急ぎの旅になるからと断り、少ない荷物だけをそれぞれの馬に括り付けた。
馬を引いて歩く二人を高い日が照らしている。その足はリンドウがこの街へやって来た門へと向かっていた。
黙ったまま歩く二人であったが、やがてリンドウが口を開いた。
「なあ、行くあてはあるのか?」
リンドウの問いかけにオリガは振り向いた。その手には地図を持っている。
「これを見ろ」
どうやら大陸の一部を拡大した地図のようだ。
「うーん......。どれがダニアだ?」
「なんだ、盗賊の癖に地図が読めないのか。ここがダニア王国だ」
オリガはそう言って大陸の左上を指差した。
「この辺りは土地勘がないもんでね」
少しの間を開けてオリガが質問する。
「なあ、貴様はいったいどこから来たんだ? 見慣れない道具ばかり持っているが」
「話しても信じないさ」
「ーーまあいい。とにかく、箱を奪った男はこの国から脱出しようとするだろう。地図を見れば分かる通り西には海しかない、密航は厳しく取り締まられているから奴は陸路を選ぶだろう。そうなれば人目につく田舎は避け、都市を経由して隣国を目指すはずだ。だから我々も都市を辿る」
「なるほど。それは分かったけど追いつけるかな?」
「相手は徒歩で移動している可能性が高い。馬を使えば目立つからな。時間はあるはずだ。しかし急ぐに越したことはない」
オリガがそう言い終わったところで二人はちょうど門に到着した。門の先には草原が広がりその中を土の道路が通っている。
「行くぞ」
オリガはそれだけ言って颯爽と馬に飛び乗り駆け出した。その身のこなしから彼女の馬術の腕が窺うかがい知れる。
一方のリンドウは飛び乗るまでは上手くこなしたものの、馬に跨る姿がどうにも絵にならない。素人感丸出しだ。馬が地面を蹴るたびに尻を鞍に打ちつけている。
「あっ、いたっ、ちょっ、オリガ! 待ってー!」
オリガは振り向かなかったがスピードを少し落としてくれた。
尻をいじめ抜きながらオリガの背中に追いついたリンドウが声をかける。
「それで、最初の街まではどれくらいかかるんだ?」
既に息が上がっている。
「馬でなら夕方までには着くだろう」
オリガの答えを受けてリンドウの表情が強張る。
__夕方だって!? 俺のケツが持たねえよ!
「心配するな、ペースは落としてやる」
リンドウの乗馬スキルの低さを目の当たりにしてオリガはそう言ってくれた。
「ありがとう......」
リンドウは不思議な心持ちだった。この厳しい少女は時折優しさを見せる。どちらが本当の彼女なんだろうか、と。
そんな考えが一瞬頭をよぎったが馬の揺れですぐに吹き飛んだ。ペースを落としてくれたとはいえ、乗馬初体験のリンドウにはなかなか辛い。
結局街に着いたのは日が暮れかかってからだった。この街は王都に比べれば幾分か規模が小さいものだったが、活気に溢れた街である。夜市が開かれた通りには酔った男たちが活歩し、泰平の世を謳歌していた。
「やっと着いたぜ」
宿屋の前で馬を降りる頃にはリンドウの尻から感覚が消えていた。
「だらしない声を出すな。これからが本番だぞ」
「そうだな、早速聴き込みでもしようか」
「ああ」
「なあオリガ、こういう時の鉄則を知ってるか? ガラの悪い酒場を探せ、だ」
「腹立たしいが悪党の習性は貴様の方が詳しいだろうからな、言う通りにしよう」
二人は酒場を巡った。
しかしーー
「オリガ、なんて事だ。この街にはいかがわしい酒場が一軒もないぞ。なんて品のいい街なんだ」
「そうだろう。ダニアには真面目な者が多いからな」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ......。どうするんだ!? これじゃ手掛かりを得られないぞ!」
リンドウは道行く者に手当たり次第小男を見なかったかと訊ねるが、全て空振りに終わった。
「そう焦るな。私にも何も計画が無い訳ではない。この先の街はダニア王国でも随一の商都だ、行き来する人と情報は王都にも勝る。そこまで行けば何か手掛かりを得られるだろう」
「意外だな。そんなに余裕があるとは」
「元よりこの広い世界ですぐに犯人を見つけられるとは考えていない。さあ、夜の移動は効率が悪い食事をとって今夜は休もう」
リンドウはオリガの提案をありがたく受け入れた。二人は夜市で簡単な食事をとり、宿へ入っていった。受付には恰幅の良い中年の女が立っている。愛嬌のある顔立ちだ。
「いらっしゃい」
気風のよさを感じさせる明るい調子で女が言った。
「女将さん、部屋を頼む一部屋でいい」
オリガの言葉を受けて女将がニコッと笑った。
「あら、若いっていいわねー。新婚さんかしら?」
オリガは何とも言えない表情をしたまま黙っていた。リンドウは満更でもなさそうである。
「えーと、部屋は二階に上がって一番奥の部屋を使って下さいな。鍵はこちらです。どうぞごゆっくり」
新婚夫婦を暖かく見守る女将を背に二人は階段を上がった。
「おい貴様、変な気を起こすんじゃないぞ」
オリガがリンドウに釘を刺す。
「まさか。寝返り一つうたないよ」
これはリンドウの本心であった。オリガに手を出せばどうなるか、容易に想像できた。
部屋にはしっかりとベッドが二つ備えられている。オリガが入口側を、リンドウが窓側のベッドを使うことに決まった。
オリガはリンドウをトイレに押し込めて着替えた後、刀を抱いて布団に潜もぐった。頭まで毛布で覆っている。そして布団から右手だけを出してリンドウのベッドを指さした。寝ろ、と言っているのだろう。
リンドウは言われる通りベッドに倒れ込んだ。着の身着のまま布団も被らなかった。
腕枕で仰向けに寝転びながら、この世界に来てからのことに思いを巡らせていた。
隣では早くもオリガが寝息をたてている。その音がリンドウには心地よかった。訳の分からない世界に一人迷い込んだ自分、その《そば》に生命いのちの温もりがあることがありがたかった。
その安心感に身を任せているうちにやがてリンドウも眠りに落ちた。
部屋を静寂が包みこみ、夜は深くなっていく。
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