第2話 酒場の死闘


 リンドウはあれから一晩かけて、飲まず食わずで歩いて街に辿り着いた。大きな街で道路は石畳で舗装され、建物も石造りの物が多かった。街の中央には見事な噴水があり、それを中心として広がる広場には屋台が並び大勢の“人”で賑わっている。


 そう、確かに人型ではある。しかし、その肌や髪の色は実に様々だ。

 行き交う人波が、広場を極彩色に染め上げていた。


「なんだここは......」


 混乱する百戦錬磨のアウトロー、リンドウ。そんな彼の前を馬車が横切る。確かに車を引いているのは馬によく似た生き物だ。手綱を握っている者に鱗があることを除けば何も違和感はない。


「馬はいるのか......」


 間抜けな呟きである。


 一通り広場を観察すると酒場らしき店があるのを発見した。ここまで飲まず食わずで来たリンドウは水と食事を求めて酒場にフラフラと吸い寄せられた。

 いかにもなスイングドアを押して店に入ると、客たちがリンドウの方をチラリと見て、すぐに視線を戻した。リンドウは意に介さず真っ直ぐカウンターへ向かう。


「水と何か食うものを頼めないか? 今は持ち合わせが無いが後で必ず払う」


 リンドウはなるべく紳士的な調子で店主に言った。

店主は何か返事をしているが、一向に要領を得ない。聞いたこともない言葉だった。

 言葉が通じないならと腹をさするジェスチャーをしようとした時、肩を叩かれてリンドウは振り向いた。


 大柄な男がリンドウを見下ろしている。異常に発達した筋肉を持つ大男だ。男がリンドウを押し退けてカウンター越しに店主の正面に立った。何か怒鳴っている。店主は怯えている様子だ。


 __なんの用事か知らねえが、そこをどきやがれ。俺は腹が減って死にそうなんだ。


「おい、そこのデカブツ」


 リンドウが静かに呼びかけると大男は振り向いた。


「用事なら俺の後に並びな」


 目を見据えてハッキリ言ったがやはり言葉が通じていない。大男は邪魔をするなと言わんばかりにリンドウに掴みかかってきた。かわせないリンドウ。


 分厚い掌が首に食い込む。そのまま締め上げリンドウを持ち上げる大男。

 カッコつけて喧嘩を売ったリンドウの顔は窒息寸前、死相が出ている。

 しかし、力を振り絞りリンドウ反撃。

 両腕を広げ、思いきり耳を叩く。苦悶の声と同時に手を離す大男、その隙をリンドウは逃さない。渾身の右ストレートを雄叫びと共に顔面に叩き込む。野次馬の歓声があがる。


 大男も右のボディアッパーで報復に打って出る。しかしその攻撃は大振りであり、容易にガード出来る。ハズだった。ガードを突き破る強烈なパンチを受けてリンドウは天井でバウンドして床へ叩きつけられた。野次馬の笑い声が聞こえる。


「チクショー、馬鹿力出しやがってぇ。こいつは使いたくなかったが仕方がねえ」


 フラフラになりながらも戦う意思を失わない『漢』リンドウ。彼がついに奥の手を使う。

 大男は圧倒的な戦力差に慢心してか、嫌な笑みを浮かべながらジリジリと距離を詰めてくる。嬲って遊んでやろうという腹づもりだろう。そこに隙があった。


 体の正面を晒しながら進んでくる大男の股間を、リンドウの右脚が蹴り抜いた。

 一撃必殺の金的蹴りである。大男は声もあげずに失神した。野次馬たちはつまらなそうに自分の席へと戻っていった。


「同情するぜ」


 リンドウはそう吐き捨てた。


 そして当初の目的を果たそうと店主に向かって腹が減ったとジェスチャーで伝える。店主は何か言ってリンドウに頭を下げてから、店の裏へ消えた。5分もせずに店主は戻って来た。その手には水と何か奇妙な果物を乗せたお盆を持っていた。

 その果物を差し出して食べろという仕草を見せる店主。リンドウはまず水を飲み干してからその果物をマジマジと見た。綺麗な赤色の丸い果物で大きさはリンゴほど。遠目で見ればリンゴに見えるだろうが、この果実にはヘタが無く人工的なまでに完全な球形をしている。


 __ホントに食べれるのかこれ?

 飢えたリンドウに論理的な判断は難しい。ままよと大きく噛り付きしっかり咀嚼する。

 見る間にリンドウの顔色が悪くなっていく。時折嗚咽を漏らしながらリンドウは口の中の物を飲み込んだ。顔面蒼白である。


「お口にあいませんでしたか?」


 店主がそう言ったのをリンドウは確かに聞いた。


「あんた俺の言葉を話せたのか?」


 リンドウが怪訝そうに尋ねる。


「いいえ、あなたが私達の言葉を話しているのです。今お出しした果物を私達は『知恵の実』と呼んでいます。食べた者に知恵を与えると言われています」


 店主は落ち着いた調子で続ける。


「本来は子供を身篭った妊婦に、賢い子供が生まれてくるようにと願って食べさせるおまじないの様な物なのですが、言葉を知らないあなたには言葉を授けてくれたようですね」


 __こんな不味い物を妊婦に食わせるのか。ここは修羅の国だ、とんでもない所に来てしまった。

 リンドウが1人戦慄しているのにも気づかず店主は言った。


「どうぞ全部召し上がって下さい。全部食べれば文字も読めるようになるでしょう」


「いや、そんなありがたい食べ物を独り占めにしちゃバチが当たる。是非みんなで分けてくれ」


 リンドウは精一杯の爽やかな笑顔でそう言った。


「そうですか。あなたは良いお人だ。では何か別の料理をお持ちしましょう」


「よろしく頼むよ」


 そんなやり取りの後、店主はサンドウィッチのような食べ物を出してくれた。これは美味かった。


「なあジイさん、変なこと聞くけどここはどこだい?」


 サンドウィッチを頬ばりながらリンドウが尋ねた。


「確かに妙な質問ですな。ここはダニア王国王都デルバルド、王がお住まいになる街でございます。その御政道のおかげでこの国は至って平和でございますよ」


 店主が誇らしげに答える。


「平和な国って、さっきの暴れん坊を見た後じゃ信じられんなぁ」


「確かに奴はこの店に来ては、金も払わず大酒を飲み暴れていく無法者でした。公衆の面前であなたに叩きのめされたからもうこの店には来ないでしょう。お礼としては些細なことですがあなたからお代は頂きません」


 __ラッキー!どうやってツケにしてもらおうか考えてたから、向こうからそう言ってくれるのは助かるぜ!


「そうかい? じゃあお言葉に甘えてご馳走になるよ」


 そう言ってリンドウはもう2皿サンドウィッチを平らげてから店を出た。


 店を出てすぐ、リンドウはジャケットの内ポケットから巾着袋を取り出した。大男に組みつかれた瞬間に奴の懐から頂戴した物である。ズッシリと重い。期待が膨らむ。

 勇んで袋を開けると中から出てきたのは銅色の硬貨だった。


「なんだ金貨じゃないのかよ、さっきの市場でのやり取りを見た感じだと銅貨はそんなに価値が無さそうなんだよなあ」


 酒代を払わない男の財布なんてしみったれたもんだと嘆くリンドウ。しかし、無いよりマシだと袋を鞄にしまった。


 そして黙って考え始めた。一体この世界はなんなんだろう。見たこともない人種、食べるだけで言葉が理解出来るようになる果物......


 腹を満たして頭が働くようになったリンドウが出した結論は、この世界は自分がいた宇宙では無いというものだった。ワープゲートの暴走で並行宇宙にでも飛ばされてしまったのだろうと、そう考えた。


 そして次に考えたのはどうやってここで生きていくか、である。やはり盗賊稼業しかあるまい。そうだとすれば誰から盗むのかが肝心だ。弱者から盗む事をリンドウは嫌った。盗むならやはり権力者からだ。


 そこまで考えた時に声をかけられているのに気がついた。


「旦那、さっきの酒場での喧嘩見てましたぜ」


 いやらしい薄ら笑いを浮かべながら話しかけてくるのは、痩せて目が窪んでいるいかにも悪党らしい顔つきの子男である。


「旦那は喧嘩も強いが、何より物を盗むのが得意なようで。あっしの目は誤魔化せませんぜ、確かにさっき、でくの坊の財布をがめたでしょう」


 小男はヒッヒッと笑いながらそう言った。


「だったらどうする? 俺を警察にでも突き出すか?」


 リンドウは腰のブラスターに手をかけながら言った。


「警察だなんてとんでもない。あっしは旦那に仕事を頼みたいんですよ」


 男は薄ら笑いを絶やさない。


「仕事だ? 何をして欲しいんだ」


「なに、ちょいとね、王宮から盗んできて欲しい物があるんでさ。旦那の腕を見込んでの頼みですよ」


 王宮と聞いてリンドウの表情が険しくなる。王宮なんて所から何かを盗んで捕まれば死刑もあり得る。


「どこにでもいるんだよなぁ、テメェみたいに自分の手は汚さずに甘い汁だけを吸おうって奴がよぉ」


 リンドウが小男に顔を寄せる。


「だが、王宮に忍び込ませるのに俺を選んだのは正解だ。その審美眼に免じて今回は引き受けてやろう、報酬は弾むんだろうな」


「へえ、それはもう勿論」


「よし、詳しく話しな」


 こうしてリンドウがこの異世界に来てからの初仕事が始まろうとしていた。

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