第5話 深淵から水面へ

約束の時間が、近付く。


シャワーを浴びて。

少し頑張ってお化粧して。

お気に入りのピンクのワンピースに、淡いブルーのカーディガンを合わせる。


左肩には、両親から就職祝いに買ってもらった、少しお高いブランドの黄色い革のポーチを掛けて、準備完了。

ふと窓の外を眺めると、寮のエントランス前に見慣れない白い車が停まっていた。

形から察するに、2人乗りのスポーツカーかな?

と、その運転席が不意に開いて、車内から、見た事ある人が。

「あ、明井くん!?」

驚いた。

そこには、胸に大きな星のプリントがされた、青いTシャツに身を包んだ彼の姿が。

(明井くんって、クルマ持ってたんだ・・・いつもバイクで通勤してるから、想像してなかったな・・・)

などと考えてたところで、我に返る。

「!!っ、い、行かなきゃ!!」

時間は9時を過ぎたばかりだけど、支度は整ってるし。

何より、早く来て待っててくれてるのに、部屋で待ち合わせ時間まで暇潰しする理由なんて無い。

私は慌てて、玄関に足を向けた。


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俺は、中倉さんに約束を取り付けた後、更衣室で社長から貰った封筒の中身を見て、ごくりと息を呑んだ。

そこには、想像してたモノは無く、紙が1枚。

明らかに誰が書いたか分かる荒々しい文字で、

「退社後、直ちにココに行け」

と、見た事ない住所が記されていた。

「・・・何で?」

社長との一連の遣り取りの直後ってのもあって、俺のアタマの中は疑問符に支配された。

でもまぁ、社長からの激励?から手渡されたモノだし・・・

と、スマホのナビ頼りに指示された場所は、会社から少し離れた、自動車整備工場だった。

尋ねてみると、どうやらココの社長さん、ウチの社長の友人らしく。

自己紹介したら、言葉少なく工場内へ案内されたんで、付いて行く。

向かった先には、型の古い、2シーターの軽自動車のスポーツカー。

でも手入れは行き届いてるらしい。

窓の曇りも無く、ボディカラーのホワイトも、ピカピカのパール塗装が施されてる。

一見して、大事に乗られてる事が分かる。

そんな失礼な値踏み?をしていたら、案内してくれた社長さんが、これまた年季の入った鍵を手渡してきた。

「原チャリ置いて、コレ乗ってけ」

「・・・はい?」

渡された鍵を受け取りながらも、状況が唐突過ぎて間抜けた返事した出来なかった。

「女と出掛けるのに、ソレじゃ無理だろ」

社長さんは、俺の愛車を指差す。

そりゃあ、原付は2人乗りNGなのは勿論知ってるけど・・・

「10年以上前のクルマだが、整備はしてるから充分走る。保険も全年齢対象で入ってるから問題無い。ガソリンも満タンだ」

「いや、ちょ、何が何だか・・・」

多分そうだろう事を必死に理解しようとしてる俺に、社長さんは結論を述べる。

「お前んトコの社長のクルマだ。明日のデートに使え、と」

やっぱそうだよなぁ・・・

ウチの社長は、お節介が斜め上過ぎる!

そりゃあ、仕事でクルマ使ってるし、運転に不安は無いけどさ。

給料前借りどころか、とんでもないの用意してやがったよ・・・

「少しくらい、カッコつけさせろと、奴からの伝言だ」

ああ、そこまで考えてくれてたのか。

悔しいけど、大人なんだな。

チクショウ!

ここまでされたら、最後までやり切るしかない!

「ありがとうございます。大事に使わせてもらいます!」


俺が運転席に乗り込む時、社長さんは優しい目をしてたっけ。


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外に出ると、明井くんは緊張してるのか、笑顔がぎこちなかった。

「お、おはよう、中倉さん。いいいやぁ、待ちきれなくて早く来過ぎちゃって・・・」

そんな挨拶に、微笑ましく感じて、つい

「ぷっ!あはははははは!」

思わず大声で笑ってしまった。

「明井くん、緊張し過ぎ!いいんだよ、私にそんな焦らなくても」

「あ、あ、何か、ゴメン・・・」

両手で空気を忙しく掴みながら、明井くんははにかむ。

その仕草ひとつひとつ、次第に微笑ましさから違う感情が滲み始めた。

「・・・うん。」

自分に言い聞かせるように一呼吸。

そこからは、何か吹っ切れた。

私は彼の右手を両手で強く握り締める。

「誘ってくれて、ありがと。今日は、明井くんにトコトン付き合うから、どこでも連れてってね」

そして、自分に今出来る最大の感謝の気持ちを、顔で表した。

多分、笑顔だったと思う。


最初の目的地は、隣町にある海沿いの公園。

中に植物園や水族館なんかが入っていて、若い人だけでなく、家族連れにも人気の場所。

道中の車内は、お互いの事を話し合った。

最初にイキナリのネタバレで、車は社長の入れ知恵で借りたものだと、質問したら苦笑いしながら、でも素直に経緯を説明してくれた。

まぁ同期だし、フトコロ事情とかは察するしね。

無理してなくて良かったと、ホッとした後は本当、とりとめない会話が続く。

でも、そのひとつひとつが、何か嬉しかった。

明井くんはビックリするくらい、私に気持ちを伝えてくれた。

朝の緊張感は未だ完全には取れてないけど、それでも自分の言葉で。

変に飾らずに、真っ直ぐに話してくれた。

私の事を、同期としてだけでなく。

会社の人たちが言うような、姉みたいな接し方だけでもなく。


ひとりの女性として、尊敬してる、と。


断片的だけど、一所懸命に、私に向かってきてくれる。

照れ臭くもあったけど、徐々に嬉しさが勝って。

公園に着いた時、私は自然と明井くんの左腕に自分の右腕を絡ませていた。

最初は「色々な感触(って明井くんが言ってた)」に狼狽えていたけど、これも良い意味で慣れてくれたのか、水族館でペンギンを眺めてる頃には柔らかい笑みが溢れていた。


お昼はレストランも混んでるだろうと思って、私は朝に仕込んだ、簡単なお弁当を差し出した。

少しはソレっぽい事をして、明井くんの気持ちにカタチで応えたいな、って言う、私の勝手な押し付け。

でも彼は、とても嬉しそうに頬張ってくれた。

会社に毎日持って行ってる内容に、少し足したくらいのものだったけど。

「俺、会社で中倉さんのおにぎり貰うの、密かに楽しみだったんだよ!コンビニのと違って、何て言うか・・・味が優しいって言うか・・・

ああああ自分でもナニ言ってるか分かんね・・・・・・・・・っ、っっ!?」

感想言いながら喉詰まらせるとか、お約束過ぎて。

お茶渡すより先に笑いが止まらなくて、危うく彼が窒息しそうになったのはご愛嬌、かな?

でも、その言動の全部が、温もりに溢れていた。

私は全身で、その温もりに浸っていた。


午後は場所を変えて、ショッピングモール併設のテーマパークへ。

意外と絶叫系に弱かった彼。

リアクションも面白くて、ついつい悪ノリ。

私は散々弄り倒した。

お腹の底から大笑い。


こんなに笑ったのって、いつ以来だろう?


彼のか細い悲鳴を聞きながらカフェで休憩してる時、ふと我に帰って、そんな事を考えてしまった。

カナちゃんや他の友達と遊びに行った時も勿論楽しかったし、皆んなで下品に笑い飛ばしたりもした。

でも、何となくだけど、そう言うのとは違う。

プラスアルファの何か。

カフェのテーブルで突っ伏していた彼が顔を上げた瞬間。

そのクシャっとした表情を見て、やっと判明した。


いま私、幸せなんだ。


2年強の、会社の同期としての付き合いも相まって、彼に対して「心を預けられる信頼感」が、いつの間にかあったんだ。

その信頼感に、上乗せした新たな感情。

きっとそれが、彼に与えて貰った「温もり」。

「思い」の足し算が「想い」と言う解を導き出した。

人を想う事が、こんなにも幸せだったなんて。

24年も生きてきて、こんな単純な事を理解していなかったなんて・・・


いや、違う。

知ってた。

気付いてた。

ただ、「足す」キッカケが得られなかった。

少なくとも、今までの恋愛では。

無理矢理得ようと、意地になっていたのかも。

だから結果、苦しくなったのかな?

前の彼と別れた直後は、相手を少し、恨めしくも思った。

でも徹底的に嫌いにはなれなかった。

自分の「幸せ」への解を、否定するのが怖かったから。

今なら良く理解出来る。

これは、私の未熟さ。

経験不足と精神的な幼さが招いた結論だ。


でも今、後悔してるとは感じてない。

明井くんが、それを無駄にしないで汲んでくれたから。

幸せを感じる為の、きっとこれは、歩むべきルートだったんだ。

でなければ、彼をこんなにも、愛おしくは想えなかったのではないだろうか?

「・・・理屈っぽいな、私」

思わず口にした反省を、彼は聞き漏らさなかったらしい。


「そんなところも・・・夏音さん、らしいよ」


一瞬、自分の耳を疑った。

「え・・・え?」

言葉足らずに問い掛けた相手は、顔を赤らめながらも、強く、私の視線を捉えていた。

もう、呼吸は荒くない。

「夏音さん、俺、乗りたいのあるんだ。付き合ってくれる?」

確かに。

「名前・・・」

呼ばれた。名前で。

もう、どうしたら良いのか、分からなくなってきた・・・

頭も、足下もフワフワしてる。

気付けば私は、彼に手を引かれて、観覧車の前に立っていた。

偶々空いていたのか、チケットを購入した後ほぼ待たず係員に誘導されて、ゴンドラに納まった。

当たり前だけど、ゴンドラはゆっくりと、上昇を始めた。

お互い、対面した状態で座って、長いような短いような無言の時間が過ぎたところで、声を発したのは、彼の方。

「多分、前に付き合ってた人の事なんだろうなーって」

「・・・」

私は無言で、彼の言葉に向き合う。

「同期って言っても俺より年上だし。高校出たくらいのヤツが、大人の恋愛に口出しなんか出来ないってのも、分かってるんだけど・・・」

「・・・うん」

私は小さく相槌を打った。

彼は続ける。

「黙って見てらんなかった。これまで色々悩んだりした時、何かと助けてくれた。そんな恩人に、何も返せないのか、って、違った意味で悩んで・・・」

「うん」

今度の相槌は、ハッキリと。

「その時に気付いたんだ。夏音さんの事が・・・好き、なんだって。俺まだガキだし、夏音さんが求めてるような男には程遠いと思う。でも・・・」

「ううん」

そんな事無いよ。

だって私、幸せを貴方に感じたもの。

そう、口からは出なかったけど。

少し視線を落とした彼は、意を決したように改めて、私と正対する。

「もう、好きって気持ちが、抑えられない。夏音さん、好きだ。もう、自分を誤魔化せない」

真っ直ぐな言葉と、飲み込まれそうな見開かれた強い瞳。

その双眸には、透き通った雫が確認された。


その瞬間、私の心に突風が吹いて、司会を遮っていた靄が晴れて、カラフルな世界が拡がった。

きっとこれは、今まで感じた事の無い、新しい彩(いろ)だ。


「うん・・・うん」

彼の想いに射抜かれて、私は、頷くのが精一杯だった。

「俺、頑張るから!夏音さんに釣り合う男になれるように!・・・っと、今、何からしたら良いのかは、分かんないんだけど・・・」

途中からは、確固たるビジョンが無かったせいか声が小さくなったけど。

心底、嬉しかった。

彼の事をとても、愛おしく思えた。

「うん、大丈夫・・・」

私は無意識に彼に近寄って、彼の両頬に両手を添えて、自然と唇を重ねた。

文字通り、重ねただけの、幼い行為。

でも私には、彼の今の想いに対する答えがこれだと、確信してる。

唇を、両手を、身体を離して、元の席に戻って、

「大丈夫、彩斗くんの事、信じてるから」

一呼吸で鼻を啜って、やっと言いたい事を口にした。

「いま、ハッキリした。ありがとう。私も、貴方が好き」

直後に視界が歪んで、彼の顔が見えなくなった。

でもどうやら、彼も同じらしく、

「ありがとう、俺も、嬉しっ・・・」

必死に手の甲で顔を拭っていた。

その仕草が可愛く思えて、

「ふふっ」

ポーチからハンカチを取り出して、彼の涙を拭った。


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観覧車という乗り物が絶叫マシンでなくて、つくづく良かったと、今日ほど思った事は無かった。

充分な時間が、2人の涙を乾かしてくれたし、昂った感情を落ち着かせるのにも、手伝ってくれた。


「うーん、快晴!」

大袈裟に腕を拡げて、大きくひと伸び。

朝からの青空は変わらずに澄んでいて、少し西に傾いた太陽は、心地良い日差しと柔らかな海風をもたらしてくれている。

心の靄も、気付けば洗い流されてたみたい。

清々しいって、きっと今みたいな気分だ。

「元気だなぁ・・・」

少し呆れたみたいに、彼は呟いてから、

「でも、やっといつもの夏音さんに戻った感じッスね」

と、まだ赤く腫れた目を擦りながら微笑んでくれる。

やっぱり、笑顔って良いなぁ・・・

でも。

ふと思ったので、私は彼の腕にキツくしがみついて詰問する。

「今、思ったんだけどさ。『さん』付けは止めよう?」

その問いに彼は、苦笑いで返す。

「えーと・・・正直、名前で呼ぶのもメッチャ勇気出したんすよ・・・勘弁して下さ」

「だーめ!」

彼の懇願を、私は食い気味に、全力で阻止。

「会社は兎も角、せめてプライベートくらい、同等で居たいな。それとも・・・」


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「年上のオンナって、嫌?」

俺の腕に絡み付き、明らかにフザケてる彼女は、まるで年上の威厳は無い。

むしろ可愛らしさが勝っていて辛い。

ちきしょう、前から知ってたけどホント可愛いわこの人。

「で、でもやっぱ、今日の今日でイキナリ呼び捨てとかハードル高過ぎっすよ・・・」

ナケナシの根性を使い果たした俺は、狼狽る事しか出来ない。

我ながら、情けないとは思うけどね。

その心情を察したのか、彼女は間髪入れずに食い付いてくる。

「もー、情けないなぁ。さっきあんなに情熱的に私を口説いてた人とは思えないヘタレっぷりー」

いつものノリに戻った彼女は、とうとういつもの「毒」も織り交ぜて抗議してきた。

「マヂ勘弁・・・」

でも、そんな俺を見て、彼女は笑顔だった。

良かった、彼女に笑顔が戻った。


いつも皆んなに、笑顔で元気にしてくれる。

そんな彼女に、俺は惚れたんだから。


「おーい!」

いつの間にか、彼女は俺の腕から離れて、はしゃぎながら土産屋の前。

「何か買おう?2人の記念日だもん!」

そう言いながら、会社では見た事ない、優しさに満ちた満面の笑みを、俺のために向けてくれた。

「はいはい、今行きますよー・・・」

と、奥底に残ったカケラ程の勇気を振り絞って、

「・・・夏音」

呼び掛けてみたけど・・・

「なーにー?もー早く来てよー!」

彼女の耳に、この勇気は届かなかった。

「・・・ちぇ」

俺は軽く舌打ちしながら、遥か先の彼女へ駆け出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「・・・ありがとっ」

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