第2話 だって好きだったから。
好きだった。
初恋だった。
初めて会ったのは、大学内のサークルで。
友人に無理矢理連れられて行った飲み会で、彼を知った。
3年先輩のあの人は直ぐに卒業して学内での接点は無くなったけど、あの日以来何となく付き合いが始まった。
自分勝手で無愛想。
彼を端的に言えば、こんな感じ。
「キッカケ作っておいて何なんだけどさ、アイツのドコを気に入ったの?」
友人からは常に心配されるけど、、。
だからあの飲み会の時に、引っ込み思案の自分では信じられないくらい積極的にアプローチして。
早々にSNSアカウントの交換を済ませて、次に会う約束まで取り付けて。
我ながら、生き急いでたなぁ、と、今なら思える。
でもそれくらい、一目惚れだった。
なのに、最初に会う約束は、まさかのスルー。
当日の待ち合わせ場所だった駅前。
初めてのデート(?)に向けて、慣れない化粧や服のコーディネートに苦戦しながらも、何とか体裁を整えて、到着したのは約束の1時間前。
どんな挨拶をしたら良いの?
行きたい先、私から言うのって失礼?
手は繋ぐの?それとも腕を組むべき?
そう言えば、ご飯の好き嫌いとか聞いてなかったな・・・
色々と悩みながらスマホで調べてはアプリを閉じて、彼からの連絡が無いかSNSアプリを何度も開いてを繰り返して・・・
気付けば、約束の時間を過ぎていた。
早くに到着していた事に負い目を感じて、
「ちょっとくらいは電車とかバス、遅れるの普通だし」
と自分を宥めて、幾人もが行き来する石畳を睨みつけて無理矢理落ち着こうとして。
ふと空を見上げると、朝は晴れていた空が、いつの間にか鈍色に変わっていた。
「降りそう、かなぁ・・・」
彼が向かってる時に本降りになって、ずぶ濡れになったり・・・
最悪、滑って転んで怪我をしたりしたら大変!
あらぬ予想に胸を騒つかせた私は、堪らず彼に電話を掛けた。
2回、3回、4回、5回・・・
一定に繰り返される呼び出し音に、早鐘の様に胸打つ自分の鼓動がノイズになって混ざり合って、耳元で不快に感じ始めた頃、心音がクリアになり、
『・・・誰?』
待望の声が、およそ望まないトーンで鼓膜に響いた。
明らかに、不機嫌そうな彼。
でも何とか奮い立って、私は言葉を絞り出した。
「あっ、あの!ごめんなさい、私、今、待ち合わせの駅に居るんだけど、雨、大丈夫?」
必死に繰った、拙い気持ち。
でも返ってきたのは、予想外の反応だった。
『雨?今部屋だし。つか待ち合わせって何?』
ちくり。
それまで全力疾走した後みたいに動いてた心臓が、氷の針が刺さったみたいに、じわりじわりと鎮まり、身体中の血液が凍り始める錯覚に陥った。
思考が鈍った私の脳髄に、彼からの無機質な情報が提供される。
『あー、こないだ何か言ってたっけか。悪ぃ、ネトゲしてたらすっかり忘れてたわ。今更行ってもしゃーないし、帰って良いよ』
一方的に、本日終了宣言。
一瞬、どす黒い靄が鳩尾の辺りに込み上げてきたけど、眉間の痛覚がそれを遮る。
私は、どう返答して良いのか分からずに、
「あ、うぅ、ん、えっと・・・」
曖昧に間を繕ってたけど、その内、
「・・・あ」
皮肉にも、空が救いの手を差し伸べてきた。
「うん、今、雨降ってきたから、そうするね。忙しい時にごめ」
降り始めた雨を材料に会話を続けようとした次の瞬間、耳元には無情な切断音。
彼の声の残滓が付着したスマホの重さに耐えられずに、自分の右腕は重力に負けた。
空は、私の顔に雨粒を狙い撃った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ノン、ゴメン。コレは完全にあたしのミス」
深夜のファミレス。
彼を知るキッカケを作ってくれた友人に事の顛末をSNSで伝えたら、
『今直ぐ会おうマジで!』
って強引に召集された。
店前に着くなり待ち構えていた友人、「三角 奏(みすみ かなで)」ちゃんは、私の両肩を掴み、深く首を垂れて謝意を表明した。
私は慌ててそれを制して、店内へ促して今に至ってる。
「で、アイツは何て?」
ドリンクバーのメロンソーダを一口含んで後、本題を切り出される。
同じくドリンクバーのホットココアから出る微かな湯気を鼻先で感じながら、
「うん、それからは連絡、取れてない・・・」
今の彼との距離感を伝えた。
「そっか・・・」
暫しの沈黙。
他人事なのに、我事みたいに難しい顔したカナちゃん(私は彼女をそう呼んでる)を直視して、何だか申し訳なくなってきた。
温くなったココアを一気に飲み干して、空になったカップを吐息と同時にテーブルに置いて、
「カナちゃん、私、大丈夫だから」
何とか彼女の心の負担を軽くしようと捻り出した言葉は、我ながらつまらない、普通の言葉。
そんな私をカナちゃんは、テーブル付近までうな垂れていた頭を首だけで持ち上げて、斜めに眺める。
ふぅ、と、ひと呼吸入れると、
「まあ、ノンがそう言うなら、あたしからは・・・」
少し考えるように視線を外して、
「んー・・・」
私に対する適切な返答を、虚空に探し始めた。
うん、私は大丈夫。
そう自分に言い聞かせるしか、今の彼への想いを繋ぎ留める方法が思い付かない。
そう自問自答する私の声が聞こえたかのように、カナちゃんが上体をぐい、と両手をテーブルに乗せて、力一杯、私の顔へ自分の顔を近付ける。
「!っ」
唇が触れるかと錯覚して、私は思わず歯を食い縛り固く目を閉じた。
そんな事を構う事無く、カナちゃんは堰を切ったように心情を吐露してきた。
「いやいやいや、やっぱ良くないよ!2人を近付けた元凶としてはどーにかしないといけないじゃない!まさかアイツが、ココまでクズだとは思わなかったわ!そりゃあさ、ヤツから直接ノンを紹介しろとは言われてないけどさ、ソレナリにはやってるって普通、思うじゃん!それが何!?デートの約束すっぽかして!しかも謝りもしないで中止言い渡すとか何様よ!!あーもー!自分の彼氏だったら間違いなくブン殴りにヤツの家に行くわ私・・・!」
ヒートアップする彼女に対して私は、
「ありがとう、カナちゃん」
努めて冷静に、感謝を述べる事しか出来なかった。
「ノン、アンタねぇ・・・」
カナちゃんは未だ言い足りない風だったけど、私の顔を見て息を飲んだ。
そして一気に嘆息として吐き出す。
「だったらノン、泣くんじゃないわよ」
いつの間にか私は、落涙してた。
「あ、あれ?おっかしいな、何で?」
そんなつもり、無かったのに。
「あれ?あれ??」
自分の気持ちに反して、身体は拒絶していた。
カナちゃんは、その後私が泣き止むまで無言で、メロンソーダを啜ってた。
氷だけになったグラスの中で、籠った吸引音が断続的に鳴り響く・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2度目以降のデート?は、専ら室内・・・
と言うか、彼の部屋。
最寄りの駅から徒歩10分くらいにある、ちょっと築年数ありそうなワンルームマンション。
広さは・・・和室なら8畳くらい?
男性の一人住まいにしては、想像よりは片付いてた。
いや、あまりモノが無い、と言う方が正しいか。
彼はいつも、部屋の真ん中が定位置。
小さなテーブルの前に、使い古した座椅子で陣取って、壁際に置いてあるTVモニターと正対。
あとはひたすらに、ゲーム三昧。
私が話し掛けても、大概は生返事ばかり。
会話の殆どは、ヘッドセットマイク越しの見えない誰かと。
その間私は、室内で掃除したり、ご飯作ったり。
あとは、彼が室内飼いをしてる猫と遊ぶ。
人懐っこい彼女は、寂しそうにしてる私に寄り添ってくれた。
まあ、単に遊び相手が欲しかっただけかもしれないけど。
それでも。
彼と一緒の空間に居るだけで、私は幸せだった。
ゲームに飽きた頃、偶に外食するのが数少ない楽しみ。
そして不意に、彼の「男の本能」が顕れた時だけ、私は「女」として扱われた。
大人の付き合いに疎かった私にとって、何もかもが初めての出来事だったから・・・
今思えば、どんな事があってもある意味新鮮で、良し悪しを理解出来なかったのかも知れない。
だから、突然のピリオドも、良く分からない内に、問答無用に打たれた。
「おまえ、つまんねぇな」
いつもの様に、彼の部屋。
「女」として扱われた直後、唐突のダメ出し。
「え?今、何て・・・?」
ブラウスのボタンを留める手が、徐々に震える。
そんな状況を知ってか知らずか、彼は裸のまま、傍に居た猫を抱き抱えながら続ける。
「俺の言う事やる事に、ただ従うだけで何も返事しないし。」
(それは、貴方がそれを望んでると思ったから)
「ワザと冷たくしても、怒りもしないし」
(だって、私が悪かったのかな?って)
「抱いてる時だって、されるがままで反応薄いし」
(何が気持ち良いのか、分からないんだもん)
「何とか言えよ、なぁ?」
(・・・言えないよ。だって)
頭の中で、自問自答のように彼の言葉へ反論していたら、彼からは大きな溜息。
その直後に出た、
「ホントつまんねーわ。もう来んな」
聞くのを一番恐れてた言葉が、しかし確実に、私の鼓膜と心に響いた。
だって、その言葉を聞きたくなかったから。
だから、何も言えなかったんだよ。
その後の事は、よく覚えてない。
気付いたら私は、彼の家から離れ、最寄り駅のホームのベンチに座っていた。
空は真っ白。
冬特有の尖った空気と相まって、今にも雪が降ってきそう。
その冷たさに反して、手には温かい缶コーヒー。
これさえ、いつの間に買ったのか記憶に無い。
ブラックなんて、飲めないのに。
何本かの電車が通過した頃、「何か」に諦めて、ホームの乗車待ちの列に並ぶ。
ふと向けた視線の先。
対面するホームの向こうの、不動産屋さんの看板の更に向こうに、見慣れた光景。
そこには、小規模のアミューズメント施設があって、そのランドマークとして、大きくて電飾が煌びやかな観覧車が、存在感を現していた。
嫌がる彼と、一度だけ乗った事がある。
忘れもしない、私の20歳の誕生日。
唯一彼に対する我儘が、この時のデートだった。
呆れたように微笑む彼を尻目に、ここぞとばかりに楽しんだ。
観覧車の中で、初めてのキスも経験した。
帰り間際にお土産屋さんで、
「まあ、折角来たんだし、な」
と、冬季限定のスノードームをプレゼントしてくれたっけ。
あの時の嬉しさったら、なかったなぁ・・・
そのままの勢いで彼の家に行って、初めて抱かれたのも、あの日だった。
私にとっての色々な「初めて」を、彼は教えてくれた。
それ以降は興味が薄れたのか・・・
いや、元々興味なんて無かったのかも。
でも、そんな冷たかった彼でも、私は好きだった。
辛くて泣いた事もあったけど、そこには確かに、私の恋が、青春があった。
一緒に居る、ただそれだけでも、私は幸せだった。
でも、もう叶わない。
彼の中に私は、もう居ない。
分かってたけど、分かりたくなかった。
大事なもの全てが、壊れるのが怖かったから。
そして、壊れた今。
思ってた程、怖くはなかった。
果たして、彼と過ごしたあの時間に意味はあったのだろうか。
拠り所を失った途端にこの心境。
私って実は、それ程彼の事を好きではなかったのか?と思えるくらいに。
その代償なのか、空虚な心に支配された私の目から「色」が失われた。
電車が到着して、開いた扉の反対の扉まで進む。
壁の手摺りを無意識に掴み、何となく目線を窓の外に向ける。
静かに動き出した電車から、思い出の場所が離れていく。
モノクロの観覧車も、ゆっくりと廻りながらも遠ざかっていく。
その景色は次第に、歪んで見えなくなっていった。
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