第2話 特務機関、ローレライと交戦す。

 吹雪の中を三台の黒いステーションワゴンが疾走する。


 ただの車輛ではない。侵略生命体を追跡するためのハイテク技術を詰め込んだ改造車輛で、それぞれ完全武装した実行部隊が三名ずつ分乗していた。


 特務機関、AIB《アンインセクトブレイン》


 その任務は、人類を侵略する『脳』、コードネーム・ローレライに対して、捕獲および殲滅の作戦を極秘裏に遂行することにあった。


 ――こちら、対策本部。S地区方面隊、状況知らせ!


 指令車輛の無線に声が響く。助手席の城島裕介は素早く対応した。


「S地区方面隊隊長、城島であります。研究所より十キロ付近を南へ走行中。逃亡した研究所職員に射ち込まれたロケット型発信機は、電波状態が不安定なため確実な場所の特定に至っておりませんが、現在、誤差範囲内を索敵中であります」


 ――了解した。たった今入った情報を伝える。E地区方面隊が東ヶ岳山中でローレライと交戦状態に入った。敵は逃走経路にあった山村を襲い、村民全員の肉体を侵略して反撃に転じているようだ。


 この無線は他の二台にも繋がっている。車内に漂う重苦しい空気は共有されているはずだ。


 城島が生唾をのみ込む。この三時間ほどで山間部の村を丸ごと侵略するとは、奴らの行動力は思った以上に早い。このままでは市街地に入るのも時間の問題だ。なんとしても、都市部への侵入だけは防がねばならない。


 人類の侵略を目的とした『脳』の存在が確認されたのは三年前だった。研究資料によれば、ある山間部に存在した村の女がきっかけとなり、侵略の火の手があがったという。彼女は優れた歌唱力で、村の夏祭りにおいて民謡を披露。その歌を聴いた村民全員が侵略されたのだ。それは、歌声によって人を暗黒の世界へと引きずり込む、ローレライの伝説そのものだった。


 歌声に含まれた特殊な波長が、人間の頭部にある『脳』自体を個別の生物として覚醒させる。その覚醒の元となるべき『脳』の機能は、約七百万年前に人類に寄生した『侵略ウイルス』によって構成されていた。つまり連中は、人類発祥と同時にその脳の一部に寄生して長大な時間を人類とともに進化してきたのだ。 


 七百万年――途方もない時間だ。関係者の中には、その吞気さを笑うものもいたが、大きな間違いだ。相手と同化し、どんなに時間を費やしても完璧な共生関係を築きあげる執念、そして余りにも同化しているために、気がついたときにはすでに遅いという狡猾な手口に城島は恐怖する。我々とは違う時間の概念で侵略を仕掛けた彼らは、すでに人類に勝っていたのだ。


「あっ!」


 声をあげて、運転手が左へハンドルを切った。


 急激な制動。


 タイヤの悲鳴とともに、ステーションワゴンは車体を捻じるようにして停まった。


「な、なんだ!」


 前のめりになって城島が叫ぶ。それは前方の何者かを回避するための行動だったが、気がつけば、車体は道路進行方向に対して右側を向けて停まっていた。


 城島が左側を確認する。先頭車輛の動きに、機敏に対応した後続車が次々と急停車するのが見えた。


「隊長! あれを!」


 運転手の視線の先に、闇を纏って仁王立ちする者がいた。わずかにシルエットだけが浮かんでいるのは、城島たちの車輛が放つ光が周囲の雪に反射しているからだった。


  ――S地区方面隊。どうした?


「突然、何者かが立ちふさがり、わが隊の進路が妨害されました」


 ――ローレライか?


「確認します」城島が動く。「全員、ノイズキャンセラーを装着! 戦闘態勢をとれ!」そう言うと、城島は外へ飛び出した。車体を盾にして自動拳銃P220を構える。


「二号車。ライトを照らせ!」


 相手の姿を確認するため、後続車のヘッドライトがビームに切り替わった。激しく舞い落ちる雪の中に照らし出されたその姿は、夏用のセーラー服を着た少女だった。


 ……嘘だろ。


 城島の呟きが風雪にかき消された。目の前に現れた少女は、この混乱の張本人とされる人物だったのだ。


 極秘の研究施設には、三年前に起こった侵略事件で捕獲された『脳』が、数百におよび飼育されていた。これは、女の歌によって侵略された村の人間たちが、掃討作戦により次々と殺される中、その肉体から離脱した『脳』たちである。


 まるで、被弾した航空機から脱出するパイロットのように、頭部を割って這い出したその姿は、六本の脚を持つ昆虫の飛蝗に似ていることから『昆虫脳』と名づけられた。


 研究施設に侵入した少女がそのすべてを開放したのは、約三時間ほど前である。彼女は施設内の警備兵を打ち倒してラボを占拠。多くの研究職員たちの体を侵略した。その方法は、開放した『昆虫脳』に人間を襲わせて、直接鼻の穴から脳を引きずり出すと、空いた頭部に『昆虫脳』自らが侵入し、相手を乗っ取るというものだった。人型の彼女なら、相手の脳を覚醒させる歌声の能力を持っているはずだが、単体となった『脳』たちに新しい体を与えてやろうとでもいうのか、ローレライの歌声は使用しなかった。その後、肉体を侵略された職員のすべてが特殊部隊によって葬られたが、多くの『昆虫脳』と共に一人の職員が逃亡した。


 ――S地区方面隊。状況を知らせ!


「セーラー服着用の少女が出現しました。研究施設に侵入、『昆虫脳』を開放した者と同一人物だと思われます」


 ――動きはあるか?


 城島は少女の様子をうかがった。横殴りの雪をものともせず、彼女は動く気配をみせない。まるで厳冬の白い世界で凍りついてしまったかのようだ。


 城島の後方には、車輛から降りてきたふたりの部下が援護射撃の体勢を取っている。いつ攻撃をしてきても対応できるように、少女に向けて89式アサルトライフルを構えた。


「今のところ、動きはありません」


 ――了解。本部からの命令を伝える。施設に侵入した個体は、かなりの知性を備えていたと思われる。これ以上の被害拡大を抑えるため、少女は抹殺。ただし誤認のないよう、十分に確認を取って行動せよ。


「了解」


 城島は装着したヘッドセットに囁いた。続いて隊員たちに指示を出す。


「各自、ノイズキャンセラーの装着はいいか?」


 何度も確認するのは、ローレライの歌声から身を守るためだった。対ローレライ用に開発されたヘッドセットは『ノイズキャンセラー』と呼ばれ、集音機を耳に装着、防護マイクがひろう音声のうち歌声だけをキャンセリングする機能を持っていた。


 隊員たちより次々と『装着確認』の声が返ってくる。


「これより、少女がローレライであるかを確認する」


 そう言って城島がP220の銃口を少女に向けた。


 真冬に夏用のセーラー服。彼女がローレライであることは確実だが、その人間が侵略されているかの判断は簡単ではないのだ。これまで多くの人々がローレライと間違われて抹殺されている現実は無視できない。念には念をいれる。


「きみ! ここは危険だ! 速やかにこちらへ投降しなさい。もう一度言う。速やかにこちらへ……」


 言葉が終わらないうちに、衝撃波が襲った。周囲の雪が吹き飛ばされて、一瞬で目の前がホワイトアウト状態になってしまう。白い闇に、隊全体が浮き足立つのがわかった。城島の無線に、隊員たちの混乱した状況が入ってくる。


「隊長、何者かが車の天井を引き剥がして押し入ってきました! 信じられない力です!」


 それは、二号車からの通信だった。車の天井? どんな状況なんだ。白一色の世界で一歩も動けない城島は、なにも見えない恐怖と焦りで血の気が失せるのを感じた。通信の向こうで、怒号と悲鳴が響く。


「おい、二号車! どうした、応答しろ!」


 城島の問いかけも虚しく、通信は切れた。ホワイトアウトはまだ収まらない。状況を目視できない不安と、手にした火器が使えないもどかしさに、気持ちだけがはやる。城島は後方にいたはずの部下たちを探した。


「おい、蓮見、横田! どこにいる。無事か?」


 彼らの返答の代わりに、銃声が響いた。ヘッドセットが拾った銃声だ。そこに隊員の声が重なった。


『このぉ! 来るんじゃねぇ!』


『やめろ! やめてくれ!』


 さらに数発の銃声。城島はそこで初めて、自分の隊が取り返しのつかない状況に陥っていることを知った。


「待て、撃つな、撃つんじゃない! 発砲命令があるまでは撃つな!」


 無常にも、銃声は続く。闇雲に撃った弾が、城島の頬をかすめた。


「同士討ちになるぞ! 冷静になれ!」


 ――S地区方面隊! どうした。状況を報告しろ!


 司令部からの通信に、城島は応えている暇がなかった。ホワイトアウトが収まりつつあったのだ。白一色の切れ間に、闇が覗く。


 ――S地区方面隊、城島! 状況はどうなった?


 冷気を伴った闇が蘇った。車輛が照らす光に、城島は周囲の状況を知った。


 大破する三台の車輛。その周囲に血まみれの部下たちが地面に倒れていた。


 一瞬の出来事だった。自分の隊がこんなにも簡単に崩れ去るとは。


 気がつけば、城島の正面にセーラー服の少女が迫っていた。


 ――個体はかなりの知性を備えている。


 城島は、彼女に敗北したことを知った。

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