Jack's Side 君は向日葵のような人
第1話 薔薇の咲く庭で
王家の人間しか知らない、城の奥まった場所にある薔薇園。
その真ん中にある屋根付きの白いテーブルセットで休憩しながら、俺――ジャック・オースティンは溜息をついた。
原因は、王家の城でまさに今催されている仮面舞踏会。
俺の両親である国王夫妻と弟のウィリアム、そして俺は当然参加しなければならない。両親はさすがに、挨拶を終えてからは上座から舞踏会の様子を眺めるだけだが、俺とウィリアム――ウィルはなぜか一般の参加者と同じように仮面を着けての参加という形を父に命じられていた。
『普通の貴族たちに混じって楽しんでおいで』
父はそう言っていたけれど、俺はあまりこういう催し物が好きではない。生まれつきの明るい金髪に、この国では珍しい緑色の瞳。そして与えられた仮面も顔全体を覆い隠せるわけではないので、分かる人には俺が第一王子のジャックであることが分かってしまうのだ。
だから今日もたくさんの貴族(主に女性)に囲まれてしまい、ダンスを申し込まれる羽目になった。ウィル曰く、『普通の舞踏会だったら気軽にダンスを申し込めない王子でも、仮面を着けている今日だけはチャンスだと思ってるんじゃないの』とのことだった。
ちなみにウィルは4つ年下で数年前の俺ととても似ている。そして彼も少し離れた所で同じように令嬢たちに囲まれていた。
そんなこんなで疲れてしまった俺は、周りに気づかれないようにそっとホールを抜け出したのだった。
(戻りたくないな……)
再びあのダンスフロアに戻ってしまえば、また追いかけられてダンスを申し込まれるのが目に見えている。かといって、舞踏会が終わったときに俺がいなくなってることがばれてしまったら両親に怒られてしまうだろう。
お開きの時間ぎりぎりに戻るか――と決めたときだった。
視界の左端で何かが動くのが見えて、反射的にそちらを振り向いた。
目に入ったのは、ふんわりとした真っ青なドレスだ。ドレスと同じ色の薔薇の飾りがあしらわれている。
ドレスから視線を上に移すと、ほっそりした白い腕と、綺麗に伸ばされた長い髪。そして小さな顔の上半分は青い仮面に覆い隠されていた。
まだ十代だと思われるその女性――女性というより少女は、月の光に照らされてまるで天使のようだった。
「かわいいお姫様。そこで何をしているの?」
思わず声をかけていた。自分でもよくわからないけれど、声をかけずにはいられなかった。
(しかも、『かわいいお姫様』とか、初対面の女性に何言ってるんだろ、俺……)
そう思うと急に恥ずかしくなった。でも、それくらい可憐な人だった。
そんな自分の感情に戸惑いながらも、俺は努めて平静を装って椅子から立ち上がり、その場に立ったままの少女に静かに近づこうとした。
途中で自分が仮面を外していたことを思い出す。
「そういえば、こんなところには誰も来ないと思って仮面を外していたんだった」
催し物の最中にこんな奥まった場所にやってくる人はいないだろうと考えていたのだ。ついさっきまでは。
本当は彼女の仮面も外して顔を見てみたいと感じたが、今夜は素顔を見てはいけない日なので我慢する。
そして俺は、ゆっくりと彼女のもとへ歩み寄り――足元に跪いて、彼女の左手をとっていた。
「お姫様、私と踊っていただけませんか?」
他の貴族令嬢の誘いは悉く断ったくせに、この少女とは踊りたいと直感的に思った。なぜか彼女は他の女性とは違うような気がした。
(急に誘っちゃって、困らせちゃったかな)
顔は見えなくても彼女が動揺しているのはすぐにわかった。
けれど、気取った誘い方をしてしまったせいで引くに引けなくなってしまった。
そっと下から彼女の顔を見上げると、仮面の奥に深い青色の瞳が見えた。暗くてもよくわかる、透き通った瞳。
その瞬間、心臓を射止められたような気がした。
(この子のこと、もっと知りたい――)
俺はたぶん、この子に惹かれている。
そう自覚したときだった。
「……は、はい……」
少女の口から、鈴の音のようなかわいらしい声がそっと舞い降りてきた。
数秒経って、それが俺の誘いに対する了承の返事だとわかった。
「ありがとう」
まさか、本当に踊ってくれるなんて。
俺が王子だということを彼女が知らないのであれば、俺はただの不審な男に見えただろうに。
内心かなり驚いていた俺だったが、なんとか表情には出さないように、ポーカーフェイスを貫く。
そして彼女の左手の代わりに右手をとり、自分の右手を彼女の腰に回した。触れてしまえば壊れてしまいそうな気がして、なるべく優しく動く。
彼女の手は俺の手より小さく、抱き寄せた体は柔らかくて温かい。おまけに香水のような、きつくないふわっとした香りが鼻をくすぐってきて、くらっときそうだ。
俺は余計なことを考えないようにしながら、頭の中で知っている曲を再生してステップを踏み始めた。彼女も俺の右腕を掴んでついてきてくれた。
彼女はダンスがうまかった。俺のリードにぴったりと合わせてくれて、とても踊りやすい。
彼女とは頭一個分くらいの身長差がある。その頭頂部のあたりを見ながら踊っていると、不意に彼女は顔を上げた。
瞳と瞳が、一瞬見つめ合う。
しかしすぐに目を逸らされてしまった。
「もっと君の綺麗な顔を見せて」
気づけばそう口にしていた。本当に、ずっと見ていたいと感じた。
「は、恥ずかしいですわ……」
恥じらいながら肌を淡い赤に染める彼女もまた魅力的で、目が離せなくなる。
俺の心はもう彼女に囚われてしまいそうだった。
(このままずっと踊っていられそうだ――)
しかし俺の脳内ではワルツがそろそろ終わりを迎えようとしていた。
変に長引かせてしまえばきっと怪しまれるだろう。
名残惜しい気持ちでいっぱいだったけれど、俺は曲の終わりに合わせて体の動きを止めた。彼女もそれに倣って止まってくれた。
「そろそろ会もお開きになる頃だね」
「……そうですね」
彼女の口調が名残惜しそうだったのは、俺の思い違いだろうか。
目の前の少女を笑顔にしたくて、俺はまた彼女の手をとり口づけをそっと落とした。
「またいつか会えるよ」
「!?」
彼女ははっと息を呑んだ。その顔はまた林檎のように赤くなる。
本当に、これで別れてしまうのは惜しい。この手を離したくない。そう強く思った。
しかし夜風も出てきたので女性をこれ以上長居させるわけにはいかない。
「俺はもう少しゆっくりしてから行くよ。もう四月とはいえど夜は冷えるから、君は先に戻るといいよ」
「はい……」
どことなく寂しそうな返事を聞こえて、俺は何気なく彼女の頭を撫でた。ウィルが小さい頃によくやっていたように。
すると彼女は驚いたような顔で俺を見た。
(あれ、まずかったかな……?)
もしかしたら初対面でこれはやりすぎたかもしれない……と内心冷や汗をかきながら何でもなかった風を装って、おやすみと挨拶をした。
「……おやすみなさい」
そして彼女は来た道を引き返していった。
俺は彼女をぼーっと見送って、その姿が見えなくなってしばらくしてからはっと気づいた。
俺はきっと――あの子に一目惚れしたんだ。
また会いたい。あの仮面の下の素顔を見たい。
俺は薔薇園から走り出した。
ずいぶん前に抜け出してきたホールにこっそり忍び込む。
俺を知っている人に見つかる前にと思い、華やかな人ごみの中で濃い青色のドレスを探すと――いた。あの子だ。
ダンスフロアの明かりの下で見ると、彼女の髪が明るい栗色なのがわかる。一足先に戻ってきた彼女は、少し離れた場所で濃いピンク色のドレスを着た同じくらいの年の少女と喋っていた。
ちょうどそこで、俺の昔からの友達――マイケル・アンダーソンを見つけた。
真っ黒に近い色の髪を綺麗に整えていて、いつもより気合が入っているように見える。舞踏会が始まってしばらくは一緒にいたが、彼もかなり女性にもてる方なので、早々にはぐれてしまっていたのだ。
「マイケル!」
小声で呼びかけるとマイケルは俺に気づいて歩み寄ってきた。
「ジャック、今までどこに行ってたんだ? みんな探して――」
「ねえ、あそこにいる青色のドレスの女の子、知らない?」
食い気味に問いかけると、マイケルは切れ長の目を少し丸くして答えた。
「あの子? どこかで見たような……。そういえば、東区の男爵家あたりにあんなお嬢さんがいたような気が……」
「――ありがとう」
お礼を言いながらも俺の目は彼女から離れてはくれなかった。
(もう一度だけ、会いたい。だから、絶対に見つけ出そう……!)
俺はこの日、城を抜け出して彼女に再会することを計画し始めた。
太陽と青い向日葵(旧 Eternel Lovers) 海月陽菜 @sea_moon
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