第20話 満月の旅立ち

『お父様、お母様へ

 親不孝な娘でごめんなさい。でも、私にもようやく一生をかけて愛したい人ができました。彼と二人で幸せになるつもりなので、どこにいても私は大丈夫です。だから探さないでください。

 私を産んでここまで育ててきてくださったこと、本当に感謝しています。どうかお体に気をつけて……』


『アリスへ

 何も言わず急にいなくなる私を許してください。本当はみんなと一緒に卒業したかったんだけどね。

 遠く離れても、私はアリスのことをずっと親友だと思っています。卒業までの残りの学校生活を楽しんで、そして、あなたを大事にしてくれる人を見つけてね』


『スペンサー様へ

 このような形でのお知らせとなってしまい申し訳ないのですが、私には愛する人がいますので、結婚のお話はなかったことにさせてください。この件に関しましては、父と母は何も悪くありません。全て私が勝手に考えたことです。どうかお許しください』


「ふぅ……」


 月明かりが窓から静かに降り注いでくる夜。

 机の明かりだけをつけた部屋で三通の手紙を書いた私は、そっと溜息をこぼした。


(やっと書き終わった……)


 両親とアリスへの手紙は、考えている最中にいろいろな思い出が蘇り、想いが溢れてしまいそうでなかなか書くことができなかった。書き出すと止まらなくなりそうだったので、敢えて短くまとめることにしたのだった。


(明日の夜、この街と、この国と、お別れ……)


 そう、明日の夜が作戦決行のとき。つまり、ジャックと二人でこの国を抜け出すときだ。

 彼と想いが通じ合ったあの日、来週の金曜日の夜にしようと二人で決めた。

 旅立ちは明日に迫っているのに、いまいち実感が湧かない。

 思い返せば、たまたま舞踏会で出会った男性が実は王子で、しかも私のことが好きだなんて、ふつうあり得ないことだ。ましてやその王子と国を出るなんて、非日常以外の何物でもない。

 それでもやっぱり、いろいろな感情が胸の中でごちゃ混ぜになっている。

 大好きな彼と結ばれた幸せと、これから一緒に過ごすことへの希望。

 ずっと側にいた両親やアリスをはじめとする友達などの大事な人、そして生まれてからずっと暮らしてきたこの街と別れることの悲しみ。

 そして、こんな形でヘンリー・スペンサーから逃げ出すことにも少し不安が残る。彼の家が両親に何か危害を加えるようなことだけはあってほしくない。

 手紙を書いているときもそうだったけれど、大切な人たちのことを想うたびに涙が零れてしまう。

 自分勝手なのはわかっている。たくさんの人に迷惑をかけてしまうことも、両親やアリスたちを悲しませてしまうことも。

 それでもあの日、私たちはあの崖で決意した。

 『お互いを守るために、失う覚悟をしよう』と。

 そして誓った。

 『二人で絶対に幸せになろう』と。

 覚悟を決めたのだから、もう泣いてはいけない。

 それでも今日だけは、この街で過ごす最後の夜だから――。

 泣いてもいいのは今日で最後。そう決めて私は明かりを消し、ベッドに潜り込んだ。熱い雫が頬を流れるのを感じていたら、いつの間にか静かな眠りに落ちていた。




 約束の金曜日の夜。今夜は偶然にも満月だった。

 いつも通り学校へ行き、いつも通りアリスたちと喋り、家に帰って両親と夕食を摂った。そのどれもが今日で最後なんだと思うと泣いてしまいそうで、私は必死にそのことを考えないように過ごした。

 夕食を終えて部屋に帰ると、持って行く荷物の最終チェックをした。遠くへ移動するので荷物は最低限にしたつもりだ。

 出発は日付が変わった頃。両親やメイドさんたちが寝静まってからだ。だから、チェックが終わってしまうとしばらくすることがなくなってしまう。


(なんだか落ち着かない……)


 私は今からいなくなるので学校の宿題をしても意味がないし、しようとしたところで手につかなそうなのは目に見えている。

 考えた末に、私は部屋に置いてあるフルートのケースを開けて、その美しい銀色を眺めた。

 両親に初めて買ってもらった楽器で、ずっと使い続けてきた私の大切な相棒。


(荷物になると思って持って行かないつもりだったけれど……やっぱり持って行こう)


 置いて行くのは寂しかったし、この先違う国でつらいことがあっても支えになってくれる気がして、私はこのフルートと共に旅立つことに決めた。




 自室の小説などを読んで時間をつぶし、何度も壁に掛けられた時計をちらちらと見た後、ようやく時計の針は午前0時を刺した。

 いよいよ出発の時間だ。

 昨日書き終えた手紙を机の上に出した。そして私は音を立てないように部屋のドアを開け、そろりそろりと階段を下り、こっそりと家を出ることに成功した。

 手には荷物を入れた少し大きめのバッグ。肩からは大事な楽器のケースを下げている。そして今日も、ジャックにもらった青いリボンの髪飾りとネックレスを身につけていた。

 少し離れてから出てきた家を見上げる。生まれたときから住み続けている家。そして大好きな両親。

 私はそんな大切な人や物たちと別れると決めた。それでも別れの間際ともなると、決心が揺らいでしまいそうになる。

 しかし私は溢れそうになる涙を無理やり堪えた。


(お父様、お母様、本当にごめんなさい)


 でも、もう泣かないって決めたから──。


 そう自分に言い聞かせ、私は背を向けて歩き始めた。

 偶然にも今夜は満月で、隠れて国を出るには明るすぎるくらいだ。

 彼との待ち合わせ場所である、中心部のあの広場に向かって走る。さすがにこの時間にもなると道に人はいなかった。

 広場に着くと、一人の男性が立っていた。明るい月に照らされて、彼の金色の髪が淡く優しく輝いている。


「ジャック!」


 彼の名前を小さく叫ぶと、少し俯いていた彼は顔を上げた。


「シャーロット!」


 彼の元へ駆け寄ると、そのまま彼の両腕に捕まえられた。


「良かった。無事に出てこられたんだね」


 彼の優しい匂いと甘く低い声、そして伝わってくる体温にまだ慣れなくて、鼓動が少し早くなる。


「うん。ジャックこそ、大丈夫だった?」


「なんとか。裏道を使わないと無理だったけどね」


 そう言っておかしそうに笑う彼が愛おしい。

 けれど彼はそっと私の体を離して肩に両手を置き、すっと真剣な表情になった。


「俺たちはこれからここを出る。いったん出たらもう、しばらくの間は戻って来れない。もしかしたら一生戻れないかもしれない。……引き返すなら、これが最後のチャンスだ」


 彼の両手に力が加わる。最後まで私の気持ちを考えてくれているのがひしひしと伝わってくる。

 それでも私は迷わず答えた。


「私はもう決めたの。あなたに着いて行くって。あなたと一緒に生きるって……」


 私の返事を聞くと、彼は表情を緩めてふわりと笑顔を浮かべた。


「ありがとう。……じゃあ、出発しようか。海岸線に沿って、東側の国境を目指そう。夜の間は徒歩で行けるところまで行きたいんだけど、大丈夫?」


「はい!」


 私たち二人ならきっと大丈夫。

 そう心の中で呟いて、私は彼と共に足を踏み出した。

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