第18話 宿命と願い

「――その男の子が、ジャック……?」


「そうだよ」


 彼は私に笑ってみせたけれど、底知れない悲しみと諦めが隠されているのがわかって、胸がひどく痛んだ。


「そんな……」


「俺は、表向きは今の王妃の息子として育てられた。本当の母のことは、当時から城に勤めているごく一部の者しか知らない。……まあ、よくある話と言えばよくある話だよね」


 彼は自嘲気味に笑った。

 無理やり明るく振る舞おうとしている彼がかえって痛々しく見えて、私は下を向かずにはいられなかった。


「つらかったよね……いや、つらいなんてものじゃないよね」


 幼い頃から母親に冷たくされ、しかも彼女は本当の母親ではなかったと知らされるなんて。まだ大人になりきっていなかった当時の彼にとって、どれほど酷なことだったのだろう。

 できることならそのときの彼に会って、抱きしめてあげたいと私は思った。


「ありがとう。君は本当に優しいね」


 彼の手が私の頭にぽんぽんと置かれた。つらいのは彼なのになぜか目に熱いものが込み上げてきたので、彼にばれないように堪えた。


「それからは城にいるのがつらくなって、時々城から抜け出すようになったんだ。自分の居場所がないような気がして。……でもそのおかげで、舞踏会で出会った君と再会することができたんだ」


(えっ――!?)


 驚いて顔を上げるとふわりと笑った彼と目が合った。悲しみなんて微塵も感じられないような優しい笑みだった。


「本当は、もう一度君に会いたくて探していたんだけどね。情報通の友人に聞いて、東区の男爵家のお嬢さんだってことだけはわかったから、自由時間を使って東区を歩き回ったんだ。……結局父と同じようなことをしているのはわかっているんだけど、それでも――」


 彼はそこでいったん言葉を切った。


「君に会えて、俺は救われたんだ。君と過ごしたあの時間は、俺にとってかけがえのないものになったんだよ」


「――!」


 この出会いは、二人で過ごした時間は彼にとって少なからず特別なものだった。そのことを彼の口から聞いて、心が温かくなる。


(私は少しでも、彼の特別な人になれてたのかな……?)


 そうだったらうれしいな、と心の中で呟く。

 でもね――と彼はまた切なげな表情に戻ってしまった。


「俺ももう十九歳だから、婚約者候補が出揃ってきているらしい。たぶんみんな、顔も見たことのないようなどこかの貴族の令嬢たちなんだろうな」


 そこで彼は憂いを帯びたため息をついた。長くて綺麗なまつ毛が悲しげに伏せられる。


「それに、俺は第一王子だ。王位を継承することが正式に決定すれば、もう君には今までみたいに会えなくなってしまう」


 確かに彼は王子なので、結婚相手も周りの人たちに決められるのだろう。今まで時期王妃候補として王家に嫁いできた女性は、侯爵以上の地位を有する家の令嬢がほとんどだった。

 きっと彼もそういう人と——と考えたら胸がずきっと痛んだ。

 しかも、もう会えなくなってしまうなんて。

 仕方のないことだとわかっていても、とても耐えられそうになかった。


「だけど、母はきっと、弟に国王を継がせる気なんだ。父は俺を後継ぎにするつもりでいるみたいだけど、家臣たちにも中には弟に継がせるべきだと考えている人がいるみたいで、なかなか意見がまとまらなくて……実はどっちが次期国王になるかは確定していないんだ」


「えっ……」


 王家にもそんな事情があったなんて、と私は目を見開いた。

 そして驚くと同時に疑問が浮かび上がった。


「なんで、弟さん――ウィリアム様が継ぐべきだと……?」


 聞いていいことなのかがわからなかったけれど、恐る恐る尋ねてみる。すると彼はあっさりと教えてくれた。


「王妃と血が繋がっていないからだって。そう主張しているのは、昔から城に仕えていて俺の事情をよく知っている家臣だ」


 言われてみれば、国王としか血の繋がりがない子供が王位を継承したという話は聞いたことがない。そもそもそのような子供がいたという先例自体ないに等しいはずだ。

 けれど、国王の長男が代々王位を継承しているというのもまた事実なのだ。つまり、どちらを次の国王に据えるべきかがなかなか決まらなくても不思議ではないということ。


「……俺がいなければこんな揉め事も起こらなくて、弟が何の反対意見もなく国王になれるんだ」


「ウィリアム様は、国王になりたいと思っていらっしゃるの?」


 第二王子はどうお考えなのかしら、と思って私は質問してみた。


「いや、弟は俺がなるべきだと思っているみたい。僕はお兄様を傍で支えるんだ、っていつも言ってくれている」


「でもそれは、俺だって同じだ。俺だって国王になりたくて生まれてきたわけじゃないし、弟の方が相応しいと思ってる。それに――」


 彼は拳を作りぎゅっと握りしめた。


「親に決められた相手と結婚させられるなんて……俺は君じゃないと嫌なのに!」


「——っ!」


 いつの間にか雨は小降りになっていて、だんだん雲が晴れてきた。

 太陽が雲間から顔を覗かせ、雨粒が照らされてきらきらと舞い降りてくる。


 大好きな深緑色の瞳が、私の青色の瞳を見つめる。目が合っただけでドキッとした。

 あのお城の庭で出会った日のように、私は彼の瞳に囚われる。


「まだちゃんと言っていなかったね」


 彼は目を細めて、再び私に微笑みかけた。なんだか泣き笑いのような表情に見えて、私は心臓をぎゅっと掴まれたような感じがした。


「俺は、シャーロットのことが好きです。愛しています。だから……俺と結婚してほしい」

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