第15話 失意、そして……
あの父子がうちに来てから数日後の日曜日、私は海が一望できる崖の上にいた。
ロゼリア国は南側と東側が海に面している。そしてこの国の王都は位置的に国土の中心から南東寄りにあるため、王都の南区や私の住む東区から外に出てさらに少し進むとすぐに水平線が見えてくる。
この切り立った崖は危ないのでほとんど人が来ない場所だけど、私は海が好きなのでたまにここに来る。大体は悲しいことやつらいことがあったときだ。そんなときに静かに波打つコバルトブルーの水面をしばらく眺めると、私の心もこの海のように穏やかになる気がするから。
けれど、いつもは太陽の光できらきらしている水面は、最近続いている曇天模様の空のせいで輝きを失っている。それでも心を落ち着かせたくて果てしなく続く海をぼんやりと眺め、遠くに浮かぶ小さな舟を目で追ってみたりするけれど、今回ばかりは無理そうだった。あの日からずっと胸の中にある焦燥感で息がしづらいままだ。
(私はどうしたらいいの……?)
何度も自分の中で問いかけていることだけど、未だに応えは出ていない。
(やっぱりお父様やお母様に事情を話して断ってもらう?)
しかし本当のことを話しても二人は信じてくれるのだろうか。
それに、もし縁談を断ってしまえば、侯爵家から圧力がかかってしまうかもしれない。それ程に侯爵家の、特にあのスペンサー家の力は大きかった。そうなれば、両親にはかなりの迷惑をかけてしまうだろう。二人の社交界での立場どころか仕事まで危うくしてしまうかもしれないと考えれば、自分が我慢するしかない。
そんな風に決意を固めようとしても、あの日のヘンリーの言葉を思い出すたびにくじけてしまう。
『うちに来たらかわいがってあげるからね』
まだ九月の終わり頃で日中は暑いくらいなのに、思い出したら寒気がして思わず自分の体を抱いた。
あの家に行けばどんな日々が私を待ち受けているかなんて想像もしたくなかった。
どういう魂胆で彼が結婚を申し込んできたかはわからないけれど、純粋に彼が私のことを好きということはないに違いない。彼のことだから絶対に良からぬことを考えているはず。
結婚したら部屋に二人きりなんて状況は当たり前だ。もしそうなったら、五年前のように何をされるかわからない。そう思うと怖くて仕方がなかった。
(いっそ、ここから飛び降りてみようかしら)
ふっと浮かんだ考えに苦笑する。少し崖の端に近づいて試しに見下ろしてみると、波が静かに岩肌に打ち寄せていた。見た目は穏やかだが、かなり高い。この高さから落ちれば助かる確率かはかなり低いだろう。
私がいなくなれば両親が悲しむのはわかっているけれど、縁談の相手が死んでしまえばあの父子もさすがに騒ぎはしないだろう。そう考えると、これがある意味一番穏便に事を収める方法かもしれない。それに、
「あいつと結婚させられるくらいなら、死んだほうがましよ。だって……」
好きな人と結ばれない人生なんて――。
できることなら大好きなあの人と結ばれたかった。ずっと一緒にいたかった。
ジャックへの想いが溢れて胸が押しつぶされそうで、胸の前で両手を握りしめる。
すると突然、鼻先に冷たいものが当たるのを感じた。はっと見上げると、黒い空から水の粒が少しずつ降りてくるところだった。粒たちはだんだん勢いを増していく。
(雨が降るなんて考えもしなかったな。傘、持ってない……)
自分の今後のことばかり考えていて、天気のことなど気にも留めずに家を出てきてしまっていた。
降り出した雨は容赦なく私の服も体も濡らしていくけれど、それすらどうでもよかった。
冷たい雨粒に混じって暖かいものが頬を流れるのを感じた。
多分これは、私の涙ね――。
他人事のようにぼんやりと考えていたときだった。
「――シャーロット!」
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