第6話 アップルパイ
「うん、いい感じ」
ジャック様と再会した次の日、バスケットに入れたアップルパイを見て私は満足していた。今まで何回か作ったことがあるけれど、今回が一番うまくできた気がする。
(喜んでもらえるかしら……)
これから彼に会うことを考えると緊張してしまって、少し震える手で水筒にミルクティーを注ぐ。
準備が整ったので、メイドさんに夕方には帰ってくることを告げて玄関へ向かった。ちなみに両親は二人とも出かけているみたいだ。
「行ってきます」
見送ってくれたメイドさんに声をかけ、玄関を出た私は逸る気持ちを抑えながら丘に向かった。
今日は昨日よりさらに雲が少なくてとても天気がよく、少し暑いくらいだ。家から徒歩五分ほどでいつもの木陰に着くと、彼はまだ来ていなかった。
(そういえば玄関の置時計、家を出たときはまだ十四時四十五分ぐらいだったわ……)
かなり早めに着いてしまったことに気づき、木にもたれかかって座っていると、程なくして丘を登ってくる男性が目に入った。綺麗な金髪が太陽の光を浴びて煌めいている。
(ジャック様だわ……遠くから見てもわかる)
じっと見つめていると彼が歩きながら急に顔を上げたので、目が合った。
(ずっと見てたの気づかれたかな?)
私がどぎまぎしていると、彼はぱっと笑顔になって私に手を振ってきた。その笑顔が自分だけに向けられていると考えると、なぜか胸が高鳴る。
(初めて会ったときからかっこいいなと思っていたけれど、笑うとかわいいな……って、何考えてるのかしら)
丘を登りきったジャック様は白いシャツの袖を肘までまくっていて、顔には薄らと汗をかいていた。でも息はあまり上がっていないみたいで、細めの体なのに鍛えられていることがわかる。
「今日は暑いね……ごめん、待たせちゃった?」
申し訳なさそうな顔で言われたので、そんなことないです、と言って頭をぶんぶん振った。
「私もさっき来たところです」
「ありがとう。……ふふ、そんなに頭を振らなくても」
笑われてしまって恥ずかしくなった私は俯いた。
彼は私のすぐ横に座った。
「ごめんごめん、その、シャーロットがかわいくて、つい……」
いたずらしちゃった、と茶目っ気たっぷりに、でもほんの少しだけ照れくさそうに言われて、ますます顔が上げられなくなる。
(いちいちそういうこと言わないでよお………)
私は下を向いたまま、自分の横に置いていたバスケットを膝に乗せた。
「ち、ちゃんと作ってきましたよ、アップルパイ……」
おずおずと差し出すと、「やった!」という彼の声が頭上から降ってきた。
「昨日からずっと楽しみだったんだ。開けてもいい?」
わくわくした声で聞かれたので、私はこくりと頷いた。
彼の男性らしい骨ばった手がそっとバスケットの蓋を開ける。私の手よりかなり大きそうで、指が細くて綺麗で、つい見とれてしまう。
「わあ……」
彼の視線の先には私が作ったアップルパイ。作った中でも綺麗に切れていておいしそうに見えるピースを用意してきたつもりだけど、それでも彼に喜んでもらえるかが心配になってきて、さっきまでとは違う意味で顔を上げにくい。
「あの、お口に合うといいのですが——」
「これ、すごくおいしそう!」
そんな私の不安を吹き飛ばすように彼が言った。
(不安になってたの、ばれてた?)
「食べていい?」
「あ、はい、どうぞ……」
彼の手が慎重に一切れのアップルパイを取る。持ち上げられたパイを目で追うように視線をこわごわと上げると、ちょうど彼が扇形のパイの先端をかじるところだった。
しばらくもぐもぐと口を動かした彼は目を輝かせて私に言った。
「やっぱりおいしいよこれ!」
「ほ、本当ですか?」
すぐには信じられなくてつい尋ねてしまった。
「うん。生地がサクサクしてて、甘すぎなくて、りんごが太陽の光できらきらしてるよ」
私のアップルパイをほめてから二口目を頬張った彼はきっと嘘なんかついていないんだろうな、と思ってなぜか心が暖かくなる。
よかった、と胸をなでおろして私も一切れ手に取った。
「今まで食べた中でも一番おいしい気がするな。何か特別な材料を使っていたりするの?」
「いえ、特別なことはしていないと思いますが……小さい頃から母がよく作ってくれていて、私、母のアップルパイが大好きなんです。そのレシピを教えてもらってからは私が時々作るようになったので、得意料理になっちゃいました」
アップルパイを作ったときは両親やアリスに食べてもらうこともあり、その度においしいと言ってもらっていたが、新たにおいしく食べてもらえる人ができて私はうれしかった。
そのまま他愛のない話をしながら二人でパイを食べていると、急に彼が何かに気づいたように黙った。
「どうしたんですか?」
彼が私の顔をじっと見てくるので緊張する。
(な、何!?)
「ついてるよ」
そう言って彼は私の口元に手を伸ばし──パイの欠片を取ってくれた。
「ありがとうございま──」
言いかけた私の目の前で、彼はその欠片をぺろりと食べた。
「!?」
恋愛小説の中ではたまにある展開だと思うけれど、実際に自分がされてみるとどうしようもなくドキドキする。心臓が破裂しそう。
おそらく真っ赤になっているであろう私を他所に、彼はミステリアスな笑みを浮かべて親指を舐めた。
「ん? どうしたの?」
「……なんでも、ないです」
これまでの人生の中で男性にそんなことをされたことが全くないので、どうしたらいいのかがわからない。
(この人、私の経験がないことをわかったうえでこういうことをしているのかしら)
本当にそうだったらかなり意地悪な方だ、と思って少しむっとするけれど、でも嫌ではない気がする。不思議な感じだ。
ジャック様はこういうの、慣れてるのかな。同じ年頃の女性と二人きり、なんてどうってことないのかな。
気になったので思い切って質問してみることにした。
「あの、ジャック様――」
「ねえ、シャーロット」
勇気を出して聞こうとしたのに遮られてしまった。
「……はい」
「そろそろジャックって呼んでくれない?」
「……はい?」
「あと敬語もやめてほしいな」
そんなことを急に言われても困ってしまう。
「あの、私はただの男爵家の娘なので、ジャック様の方が、その、上でいらっしゃるのでは」
「そんなことはいいの」
そう言って有無を言わさないような真剣な目で見つめられたので、私はそれ以上反論することができなかった。
「……はい、わかりました」
すると彼は表情を緩めた。
「よかった。じゃあさっそくジャックって呼んで」
「へっ!?」
なんでそんなこと頼むの!? と私は焦ってしまい、また彼の目を見られなくなってまた下を向いた。
「初めて会ったときも、あまり僕の顔を見てくれなかったよね」
「そ、それは……かっこいい人に見られることに慣れていないんです」
そう言ってから、彼のことをかっこいいと言ってしまったことに気づいた。ここまで恥ずかしくなることなんてなかなかなくて、ここから逃げたしたい気持ちになった。
「そう……じゃあそのままでいいから、呼んで」
優しい声で諭すように言われて断れなくなった私は腹を括った。
「……じ、ジャ……ジャック……」
いつものように様をつけたくなるのをこらえていると、頭にぽんぽんと手が置かれた。
「よくできました」
ドキドキするけど彼の手が暖かくて、ずっとこのまま撫でていてほしいな、と思った。
「俺のことは友達だと思って、普通に接して?」
「はい」
「はい、じゃなくてうん、でしょ?」
「……うん」
急に話し方を変えるのはすごく変な感じがするけれど、距離が縮まった感じがしてこれはこれで悪くないかも。
そう思ったところで十六時を告げる鐘が鳴って、彼の手が私から離れた。
「ごめんね、そろそろ帰らなきゃ」
寂しい、と反射的に感じてしまった私は彼に続いて立ち上がった。
「あの……」
「なあに?」
傾きかけた太陽が彼の髪を透き通らせている。
「また、会えますか……?」
「敬語」
笑いながら優しい口調で言われてはっと気づく。やっぱり話し方の癖はなかなか抜けない
「あ……また会える?」
「もちろん」
毎週水曜日、十五時にここで。そう約束して私たちはそれぞれの家に帰った。
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