Ⅷ 冥界の巫女(3)

「それじゃ、いくわよ……ソロモン王が72柱の悪魔序列50番・刈除公フルカスよ! 月と魔術と冥府を司りし偉大なる女神ヘカテーの名において我は汝に命ずる! 世の理を乱せしエルマーナ・グランシアの魂を契約の対価とし、その契約を正しき規則のもとに履行せよ!」


 そして、再び魔法円の上で威儀を正すと、一応、召喚魔術の儀式に則り、朗々と呪文を唱える形でフルカスに改めてそう命じる。


「ハーソンさま~っ! その大鎌を! そのシジルのついた鎌を叩き斬ってくださーい!」


 続けざま、口元に両の手を添えると、ありったけの大声でハーソンに向けて叫ぶ。


「…っ! ……了解した!」


 その声に、一瞬、メデイア達の方を振り向いたハーソンは、瞬時にすべてを理解して即答する。


「まさか……フルカス! 裏切る気か!? だが、そううまくはいかんぞ! その前にあの魔女の魂をフルカスに奪わせてやる! ……霊よ、偉大な神の徳と、知恵と、慈愛によって我は汝に命ずる…」


 一方、メデイアにつき従うフルカスの様子に気づいたグランシアも、その企てを悟るとこちらも対抗して呪文を唱え始める。


「そうはさせるか!」


「フン。ぬるいわ! 霊よ、我は再度、汝に命じる。神の呼び名の中で最も力あるエルの名を用いて…」


 慌ててハーソンは手にした魔法剣をグランシア院長へ投げつけるが、ギン…! と甲高い音を立てて彼女は大鎌でそれを弾き飛ばし、はるか後方へ飛んでゆく剣を他所よそに何事もなかったかのように呪文の詠唱を続ける。


「フッ……来い! フラガラッハ!」


 しかし、それこそがハーソンの狙いだった……まるで透明な剣でも持っているかのように、空になった右手を大きく引き戻すと、不敵に口元を歪めて自らの愛剣の名を叫ぶ。


 すると、遠く飛ばされた彼の魔法剣はクルクルと高速回転を繰り返しながら、まるでブーメランの如くU字の弧を夕闇の中に描き、グランシア院長の後方から勢いよく戻って来たのである。


「……っ!」


 大鎌を魔法杖ワンドとして掲げ、詠唱を続けようとしていたグランシアは、背後から高速で近づいて来るシュルシュル…という不気味な音にはっとする。


「なぬっ…!?」


 だが、次の瞬間にはもう、高速回転と充分な助走により威力を何倍にも増した魔法剣フラガラッハが、直撃した大鎌の刃元部分を粉々に粉砕して吹き飛ばしていた。


「今です! フルカス!」


 それを見たメデイアは、弓形の魔法杖ワンドを剣のように掲げて悪魔に指示を送る。


「ガハハハ! アイワカツタ!」


 その指示に、フルカスは愉しげな高笑いを残し、ヒヒィイィィン…という淋しげな嘶きをあげる馬を駆って、グランシア院長目がけ突進してゆく。


「しまっ…」


 数瞬の後、驚きに血走った眼を大きく見開いたグランシアは、慌てて地面に落ちた〝シジル〟入りの大鎌の刃を拾い上げようと手を伸ばす。


「はふっ……!」


 だが、彼女の指先がそれに触れるよりも先に、駆け寄ったフルカスの持つ半透明の大鎌が、彼女の首を刈っていた。


 もちろん、霊体である悪魔の鎌は現実に彼女の首を斬り落とすことはない……しかし、首を刈られたグランシア院長は、まるで命の糸が切れたかのように、力なくその場に崩れ落ちた。


 同時に、アウグストに襲いかかっていた修道女の骸達も、ピタリとその動きを止めてバタバタと倒れてゆく……。


「……まさか……こんな…ことが……わたしも……修道女では…なく……魔女に……なればよか…った……」


 そして、駆けつけるメデイアやアウグスト、傍らに立つハーソンの見下ろす中、力ない声で譫言のようにそう呟くと、その瞳から命の光を失って動かなくなった。


「ガハハハハ…契約ニヨリ、エルマーナ・グランシアノ魂、確カニモライ受ケタ。デハ、サラバダ……」


 他方、耳障りな高笑いにそちらを見上げると、馬上のフルカスはいつの間にやら透けたグランシア院長のようなものを小脇に抱え、そんな言葉を最後に闇の中へと霧散して消える。


「…………終わったな」


「ええ、なんとか終わりましたね……悪魔や死体と殺り合うなんて、こんなの、やっぱり我々の仕事の範疇じゃないですよ……これは、海賊討伐用に新しい船の一隻や二隻、褒美に買ってもらわなければわりにあいません」


 悪魔が消え去るのを見届けると、ハーソンはそう呟きながら地面に突き刺さった魔法剣を引き抜いて鞘に納め、アウグストも剣をしまいながら不平を口にする。


「………………」


 メデイアはグランシア院長の遺体の脇に跪き、なにか感慨深げな顔で彼女を見つめながら、その見開かれた眼を閉じて、手を胸の前で組ませてやる。


「ハッ……!」


 そして、もとの朽ちた死骸に戻った修道女達の方へ視線を向けたメデイアは、その上に浮かぶ半透明をした在りし日の姿の彼女達が、なんとも平穏に満ちた微笑みを湛え、蒼白い月の輝く天上へと昇ってゆくのが見えたような気がした――。


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