Ⅶ 屍鬼の夜宴 (1)

 隣接する墓地へと逃れた院長グランシアは、その敷地の隅に立つ、保守用の道具でも入っていると思しき物置小屋の中に駆け込んだ。


「なんのつもりだ! そんな所へ逃げ込んだところで無駄な悪あがきだぞ? 潔く諦めて罪を償え!」


 追いついたハーソンは、頭の良い彼女がただの悪あがきだけでそんなことするとも思えなかったが、カマを駆ける意図もあって、そう大声で訴えかける。


「フン! 逃げ込んだんじゃない。こいつを取りに来たのさ!」


 と、そんな答えが返ってくるとともに、物置小屋の朽ちかけた木の扉が何かで切り裂かれて吹き飛び、中からはまるで死神のそれの如く、身の丈ほどもある草刈り用の大鎌を持ったグランシア院長が姿を現す。


「こいつはフルカス専用に拵えたわたしの魔法杖ワンドさ。さすがに院長室に置いといては目立つからね、普段はここにしまって置いたってわけさね」


 そう言って院長の見せつけるその大鎌の刃には、やはりあのフルカスの〝シジル〟が刻まれている。


「ああ、別に得物が欲しくて取りに来たんじゃないよ? もちろん、フルカスを呼び出して力を借りるためさ……霊よ、現れよ。偉大な神の徳と知恵と慈愛によって。我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王の72柱の悪魔序列50番、刈除公フルカス!」


 そして、ハーソンを見下すようにしてそう断りを入れると、魔法杖ワンドだと言ったその大鎌を両手に持って天に掲げ、威儀を正すと悪魔を召喚するための呪文を唱えた。


  ……ヒヒィィィーン…!


 次の瞬間、何処からともなく淋しげな馬の嘶きが聞こえてきたかと思うと、彼女の背後に見えていた空間がまるで煉瓦のように崩れ落ち、夕暮れの景色にぽっかりと開いた漆黒の闇の中から、この世の者とは思えない異形のそれは、唐突に現れた。


 その、この世ならざる存在は、長い白髪の顎髭を蓄えた半裸の老人で、蒼白い不気味な馬に跨り、その手にはやはり死神のような大鎌を携えている。


「アハハハハ! 驚いているな? 魔導書も魔法円もないから、悪魔の召喚などできないと高をくくっていたか? お生憎だったな。悪魔との契約は対価に捧げたものが大きければ大きいほど、与えてくれるその力も強力になる……その点、わたしはこれまでに自害させた修道女達全員の魂をフルカスに捧げている。それにこの修道院も彼女達の血で穢し、魔王サタンに献上するという約束だ。だから、言うことを聞かせるための魔法杖ワンドとシジルだけあれば、召喚など造作もなくできるのさ」


 さほど魔術の知識がないハーソンから見ても、明らかにルールを度外視したその召喚魔術に目を見張っていると、グランシア院長は自慢げに高笑いをあげてそう説明をしてくれる。


「もっとも、本来、他者の魂を本人の了承なしに対価とすることはできないけど、ま、何事もものは考えようさね。フルカスへの願いを〝彼女らに取り憑いて命を奪い、その魂をフルカスに捧げる〟というものにし、それによって願い・・即ち対価・・とすることで、そのタブーも無効にしてやったのさ。もちろん、わたしの考え出した方法だよ? どうだい? 今の世じゃ男どもしか魔法修士になれないが、女のわたしの方がよっぽど悪魔の使い方が上手じゃないか」


「なんと身勝手な……他人の命を弄んだばかりか、悪魔すら騙す詐欺にも近い行為だ……」


 なおも自分の魔術師としての才を鼻高々に語って聞かせるグランシア院長であるが、その利己的に過ぎるものの考え方には、到底、尊敬などできないのはもちろんのこと、逆に嫌悪と侮蔑の感情すら抱かされる。


「なのに、頭の石化した上の連中は、女が魔導書を読むことすら邪悪な行いのように言いやがって……さっき、なぜフルカスを選んだかはわからないと言っていたな? 教えてやるよ。そいつはな、ムカつくセント・メイアーの前修道院長をぶっ殺したかったからさ。あのババア、女は男の奴隷のようにただひたすら従順に生きるべきだなんて考えてるやつで、わたしが図書館で魔導書の勉強をしていることを咎めやがったんだ。だから、ソロモン王の72柱の悪魔の内でも、フルカスに殺されるのが一番お似合いだと思ったのさ。フルカスの鎌で斬り殺され、お望み通り彼の奴隷にしてやるのがね!」


 その、心情の吐露にも近き自慢げな説明を聞いて、ハーソンはこのグランシアという女性の人となりが真にわかったような気がした。


 頭がよく自信家で、それゆえに出世欲や他者承認欲求がとても強い性格……だが、男性優位の宗教界においては女性であるがために不公平な扱いを受け、たとえ有能であっても認められないことに対して非常に不満をいだいている………その、これまでの人生において彼女の中に蓄えられてきた負の感情が、一連の〝悪魔憑き〟事件を引き起こした根源的な理由だったのだ。


「このフルカスとの付き合いはそれからさ。あのババアを呪い殺す際に、さっき言った〝願いと対価を同じにする〟方法を思いついたわたしは、その利益りやくとして〝勝利〟も司るフルカスの力を強化し、サント・メイアーの修道院長の座に就くことを目指した。なのに、わたしの有能さを疎んだあいつらは、わたしをこんな辺鄙な片田舎へ追放しやがった……だから、今度はこの修道院と修道女達を使って、わたしを貶めたあいつらに復讐してやろうと思ったのさ」


 いや、飛ばされた理由はそこじゃない。この鼻をつく性格が皆に嫌われたな……。


 内心、ハーソンはそう思ったが、どうせ言っても無駄だろうし、余計、火に油を注ぐことになるだろうから、口に出すのはやめておいた。


「だが、おまえのように仕事のできるやつが調査に来たのは誤算だったよ、ドン・ハーソン。普通に能無しの異端審判士が来ていれば、メデイアが魔女ということで丸く収まっていたものを……このわたしの邪魔をしたからには、もう覚悟はできてるんだろうねえ? ええ! 帝国最強の聖騎士パラディンさま!?」


 否、余計なことを言わずとも、もう充分にグランシアの怒りの炎は燃え上がってしまっているようだ。


「言い忘れたけど、ここへ来たのはこの大鎌を取りに来ただけじゃないよ。フルカスの鎌で殺された者はその奴隷になると何度も言ってるよねえ? さて、ここで問題です。この墓地には誰が葬られているでしょうか?」


 おどけた様子でそんな問いかけをするグランシア院長に、瞬間、その答えを理解したハーソンは〝しまった〟と思った。


「刈除公フルカス! そなたの奴隷達を我に貸し与えよ! 力を貸せば、この者の魂をそなたにくれてやる!」


 しかし、その間にも彼女は大鎌を振りかざし、背後に控える悪魔に対して命令を下す。


「ガハハハ…コイツハ上玉ノ魂ダナ。ヨロコンデ力ヲ貸シテヤロウ。我ガ同胞ヨ」


 すると、気色の悪い老人の姿をしたその悪魔は、しわがれたなんとも耳障りな声でそう答える。その声は、昨晩聞いたベルティの発していたあの声だ。


「出でよ! 刈除公フルカスの奴隷となりし者達よ! フルカスの名において、我のために働くのだ!」


 悪魔の承認を得て、グランシア院長は大鎌形の魔法杖ワンドを水平に振り払うと、夕暮れの墓地中に響く大声で今度はそう命じる……。


 と、わずかの間を置いて、真新しい墓石や白木の墓標が立つ墓の地面がボコっと次々に膨れ上がり、その土の中からは、湿ったカビ臭い黒土に塗れる、魂のない・・・・修道女達が姿を現した。


 だいぶ肉体が朽ちて骨が見えているものから、腐敗が始まり所々皮膚が剥がれてしまっているもの、まだ人間であった頃の姿を留めている、昨夜までベルディだった・・・もののようなやつまで、まるで死体が腐って土に還る過程を表した標本図鑑を見ているような感じだ。


 無論、それは〝悪魔憑き〟によってフルカスの鎌で自害させられ、この墓地に葬られた修道女達…否、彼女達の遺体である。


 よく見れば、皆、その手に小振りの鎌を各々一本持っているが、おそらくそれは土地の風習で、死体に悪霊が入り込まないよう、埋葬の際、一緒に柩へ収める民間呪術の魔除けの鎌であろう。


 それはベルティの柩にも納められていたが、魔除けどころか、その魔物の武器になってしまったのだからなんとも皮肉な話だ。


「東エウロパの伝説に云うところの〝ヴァムピール〟……あるいは、新天地の呪術師が作るという〝ゾンビ〟といったところか……」


 突如、現れた6体の歩く屍・・・を前にしても、さすがは聖騎士パラディンに叙せられた武勇の者、ハーソンは微塵も恐れることなく、むしろ興味深げにそんな分析を加えている。


 しかし、恐れはしないものの、少々厄介なことになったとは思っていた……世の理に則り、直接、戦いに介入してくることのない霊体の悪魔を除くとしても、1対1から急に1対7、しかも、その内6体は二度と死ぬことはない死体なのだ。


「さあ、わたしのカワイイ姉妹達、そのスカしたいけ好かない男を八つ裂きにしてしまいなさい!」


 思わぬ不利な状況にハーソンが戦術を練っている内にも、さらっと恐ろしいことを口にしたグランシアは、修道女の死体達を彼にけしかけさせた。


 

 


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