Ⅵ 火刑の夕べ(2)

「ドン・ハーソン、これはなんの真似ですか!? いくら預言皇庁の使者とはいえ、この修道院に関する事柄について、院長のわたくしの権限を犯すことは許しませんよ!」


 一方、グランシア院長は驚きに見開かれていた眼を鋭く細めると、今度は怒りの色をその瞳に宿してハーソンの行いを非難する。


「預言皇庁の使者か……ええ。なんの真似って、その預言皇庁から命じられた仕事を生真面目にもしているだけですよ。〝悪魔憑き〟事件を解決せよという厄介な仕事をね」


 しかし、その鋭い眼光を向けられてもハーソンは動じることなく、むしろ愉快そうに口元を歪めて、冗談めかした口調でそれに答える。


「グランシア院長、エルマーナ・メデイアは教会がいうような・・・・・・・・魔女でも、ましてや悪魔憑きの犯人ではありません」


「フン。何を根拠に……現に彼女のサインの入った悪魔との契約書が見つかったではありませんか」


 そんな、メデイアの無実を主張するハーソンに、院長は鼻で笑ってその訴えを一蹴する。


「いえ、その契約書こそが彼女が無実である証拠なのです。あなたもよくご存知のはずだ。悪魔との契約に、このような契約書などまったくもって必要ないということを」


 だが、それに対してハーソンも、その反論を瞬時に一蹴し返してみせる。


「あれはエルマーナ・メデイアに無実の罪をなすりつけるための、真犯人が作った偽物の契約書です。そして、我々も所持品検査に同行する中で、それを彼女の部屋に仕込めた人物は自ずから絞られます……昨夜、悪魔に殺されたエルマーナ・ベルティか、もしくはまだ生きているあなただ、グランシア院長」


「なにをバカげたことを……それでは、わたくしが悪魔憑きの犯人だとおっしゃりたいの? ドン・ハーソン」


 最早、彼女が犯人であると名指ししているようなものであるが、グランシアは呆れたように首を横に振り、その推理をあえて確認するようにハーソンを問い質す。


「ええ。その通りです、院長。エルマーナ・ベルティはあなたに心酔していたようだから、修道院のためとかなんとか言って純粋な彼女にも協力させたんでしょう。事前にエルマーナ・メデイアが魔女であるという噂を流したのも彼女ですね。口封じに自分も悪魔の生贄にされるとも知らずに……ついでに彼女の死によって皆を焚きつけ、エルマーナ・メデイアを火炙りにして幕引きを図るつもりだったのでしょうが、偶然にも悪魔憑きが起きた時間、私は彼女と話をしていたんです。エルマーナ・メデイアに悪魔を操る暇などなかったのは明らか。逆に彼女の無実を証明することになってしまいました」


 すると、むしろ火に油を注ぐかのように、それに答える形でますます饒舌に彼は語り出す。


「ああ、根拠はまだ他にもありますよ? 例えば、犠牲者全員が持っていた中庭の赤い薔薇だ。生前、エルマーナ・ベルティが手にしているのも偶然見かけました。おそらく、あなたはあの薔薇に悪魔を宿して犠牲者のもとへ送っていたのでしょう。つまり、あれが〝悪魔憑き〟の引金トリガーだったわけです。聞くところによると、あの中庭の薔薇を切るのにはあなたの許可が必要らしいじゃないですか」


「それは……そんなものはわたくしが許可しなくても、無断で手折ることはいくらでもできます。わたくしが悪魔を操っていたというなんの証拠にもなりません」


 理路整然と根拠を挙げてくるハーソンの言葉に、口でははっきりと否定しながらも、彼女の自信は徐々に揺らぎ始めている。


「まあ、確かにそれは言えますね。いいでしょう。薔薇の件は置いておきます……では、この本はどうですか? これはあなたの部屋の本棚から拝借してきたものです」


 もっともな院長の反論に、一旦、退くようにみせかけつつ、その返す刀でさらに攻勢をハーソンは強める。


「旧ナバナ王国内における教会史の研究……おもしろそうな本ですねえ。そう思って手に取ってみたのんですが、なんと、驚いたことに題名と中身がぜんぜん違うんですよ。ですが、読んでみるとさらに興味深い内容の書物でした……これは『ソロモン王の小さな鍵』の第一部、単独では『ゲーティア』と呼ばれる、その筋では最もよく使用されている魔導書の一冊です」


 冗談まじりのおどけた調子で、その表紙と中身の違う本を高々と掲げながら、グランシア院長ばかりでなく、周りの修道女達にも聞こえるよう大きな声でハーソンは告げる。


「な、なぜそれを! ……ハッ…!」


 それにはついに彼女も冷静さを失い、ひどく驚いた顔で思わず声を漏らすと、慌ててその口を手で覆っている。


「考えたものですね。表紙だけまったく違うものに変えて、堂々と修道院の院長室に魔導書を置いておくだなんて。しかも、他の者が手にしないよう、私のような歴史好き以外、誰も見向きもしないような題名のものをえらんでだ。無論、あなたは魔法修士ではないから、これは明らかに不法所持の魔導書だ。これについて、何か言い逃れはできますかな、グランシア院長?」


「んぐ………」


 さらにたたみかけるハーソンに、なんとも恨めしそうな顔で彼のこと睨みつけるも、院長は何か反論することもできずに押し黙ってしまう。


 一方、院長の部屋から違法な魔導書が見つかったという事実に、周囲を取り囲む修道女達の間には動揺のざわめきが聞こえ始める。


「この『ゲーティア』には、かつてソロモン王が使役していたという72柱の悪魔を召喚し、その力を得るための方法が書かれています。先程、これを読んでみてようやく謎が解けましたよ……なぜ、取り憑かれた者は全員、〝鎌〟で自害させられたのか? そして、その取り憑いた悪魔の正体もね」


「悪魔の正体……」


 その衝撃的な言葉には、他の修道女やアウグストばかりでなく、それまで呆然自失としていたメデイアも反応を示し、その眼に生気を取り戻すとぽつりとその言葉を繰り返す。


「悪魔憑きを起こしていたのは、ソロモン王の72柱の悪魔序列50番、刈除公フルカスです。じつは、エルマーナ・ベルティを死に追いやった鎌を焼却寸前にこっそりもらい受けたのですが、その柄に描かれていた悪魔の印章――〝シジル〟と、この『ゲーテイア』に記されていたフルカスのものがぴったり一致しました。また、フルカスは手に大鎌を持ち、その鎌で殺された人間は地獄でフルカスの奴隷になると云われています。数ある悪魔の中でなぜフルカスだったのかは知りませんが、おそらくそのフルカスに死んだ修道女達の魂を捧げるため、凶器にはこの鎌を用いたのでしょう」


 ハーソンは皆に向けてそう説明をすると、マントの下に隠し持っていたベルティの血の付いた鎌を、グランシア院長の足元へポンと放り投げる。


「………………」


 カシャン…と、乾いた地面にぶつかる微かな音を立てて転がる鎌を、小刻みに震える大きな瞳でグランシア院長はじっと見つめる。


 そんな彼女をさらに見つめる周りの修道女達の眼は、それまでの敬意と畏怖の感情を含んだ修道院長に対するそれから、最早、確信をもって彼女を犯人と疑う非難に似たものへと変わってる。


 だが、ただ一人、メデイアだけは、蔑みとも恨みとも怒りとも違う、むしろ哀れみに近い色をその紫の瞳に浮かべていた。

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