Ⅵ 火刑の夕べ(1)
その日の夕刻……。
「――さあ、とっとと歩きなさい! この薄汚い魔女め!」
夕陽の
その荒涼とした広場には一本の太い丸太が立てられ、その周りに大量の薪がこれでもかと山積みにされている。
また、その火刑のための柱を黒山のような修道女服を着た観衆が取り囲み、その前に立つグランシア院長の手には大きな松明が赤々と炎を燃やして握られている。
「あのお……やはり魔女裁判を行ってからの方が……」
「いいえ。もう約束の刻限です! ドン・ハーソンはどうしたのです? もしや、レオパル・シュモン大司教へ仲裁を訴えに行かれたのかもしれないですが、無駄なことです。わたくしはこのジャルダン女子修道院院長の権限により、修道院と修道女達を守るため、かの魔女メデイアの処刑をこれより取り行います!」
その傍らでハーソンを待つアウグストが落ち着かない様子でグランシアを説得しているが、やはり彼女は聞く耳持たずである。
「メデイア、最後に何か言いたいことはありますか?」
残忍な正義感に浮かされる群衆の前へ引き出されたメデイアに、蔑むような冷たい眼を向けてグランシア院長が問う。
「いえ……ありません……」
だが、彼女は無実を訴えることも、このような教会の会則からみても酷い扱いに対して抗議するようなこともなく、ただ短く、そう答えるのみだった。
メデイアは、最早、すべてを諦めていた……昨夜はハーソンの言葉に、一瞬、身の程知らずにも淡い希望を抱いてしまったが、そんな甘い考えの自分を今では愚かしく思う。
いや、そればかりか自分が裁かれずにいたばかりに、また一人、ベルティまでが悪魔の犠牲になってしまった……彼女の死もまた、運命に抗おうなどとした自分の愚かさのせいなのである。
魔女である疑いをかけられた時点で……否、彼女が〝魔女〟となった時から、もうこの世界に救われる道などなかったのだ。
……もう、抗うのはやめよう……抗えば抗うだけ、余計に苦しみが増すだけだ……どんなに修道女のまね事をしようとも、これが、ずっと迫害を受けて生きてきたロマンジップの魔女の辿る運命だったのだ……。
この運命を受け入れ、早く聖なる火に焼かれて神の御許へ召されよう……いいえ、この呪われし肉体を脱ぎ捨て、冥府を司る我らが女神ヘカテーのお傍へ旅立つのだ……。
「よろしい……魔女メデイアを火刑台に縛りつけなさい!」
そんな、自らのあまりにも過酷な運命を受け入れ、これから自分に待つ悲劇をむしろ肯定的に捉えようとするメデイアに、グランシア院長は無表情で頷くと、彼女の縄を持つ修道女に冷酷な声でそう命じる。
命じられた者も冷酷に…いや、むしろそれが正義の行いと信じて、昂揚した表情でメデイアを巻きに囲まれた柱へときつく縛りつける。
「魔女を火炙りにーっ!」
「悪魔崇拝者に神の裁きをーっ!」
また、それを見守る修道女達の黒い輪からも、危うい正義感に酔いしれた歓声がヒステリックに上がり始める。
「ああ……団長はいったい何を……」
一方、グランシア院長の傍らに立つアウグストはのっぴきならないその状況に、どうにも足が地につかない様子でおろおろと辺りを見回している。
「そうよ! 魔女は火炙りよっ!」
「魔女に火炙りの天罰をーっ!」
そんな狂気が支配する夕闇の中、グランシア院長は燃え盛る松明を高々と掲げ、メデイアの縛られた柱の前へと厳かに歩み出る。
「天にまします我らが神よ! かの罪深き魔女に火の裁きを!」
そして、声高らかにそう祈りの言葉を唱え、振りかざした松明を薪の上へかざそうとしたその瞬間。
「うっ…!」
シュルシュルシュル…と何かが空を切る音が聞こえたかと思うと、彼女の手の中から松明が勢いよく吹き飛ばされ、居並ぶ修道女達の前まで転がって木っ端微塵に四散した。
「キャアっ…!」
火の粉を散らして弾け飛ぶそれに、近くにいた修道女達は思わず悲鳴を上げて逃げ惑う……唖然とグランシア院長がそちらへ視線を向けると、まだ辛うじて形を残している松明の芯棒には、一本の剣が刺さってそのまま地面までを貫いていた。
その古代異教風の渦巻きをデザインした飾りの施された金属の柄……それは、ハーソンが腰に帯びる名高き魔法剣〝フラガラッハ〟である。
「これは……」
「いや、すまない。読書に耽っていたらこんなにも遅くなってしまった……待たせたな、アウグスト。それに、エルマーナ・メデイア」
驚きに眼を見開いてその剣を見つめるグランシアの背後から、そんな聞き慣れた男の声が聞こえてくる……咄嗟に彼女が振り返ると、そこには取り囲む修道女達の輪を真っ二つに割り、その間を威風堂々とこちらへ向けて歩いて来るハーソンの姿があった。
「アウグスト、彼女の縄を!」
「ハッ!」
続けて告げるハーソンのその指示に、ようやく安堵の表情を浮かべたアウグストは明るい声で返事を返し、柱へ駆け寄るとナイフを抜いてメデイアの縄を切ってやる。
「………………」
拘束を解かれたメデイアは、何が起きているのかわからないという様子で、突如現れたハーソンのことを呆然と見つめていた。
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