Ⅳ 魔女の真実(2)
「………………」
その頃、告解室のとなりにある反省部屋に軟禁されたメデイアは、床に敷かれた粗末な筵の上に腰掛け、小さな窓から見える蒼白い夜空をぼんやり眺めていた。
普段は重大な戒律違反を犯した修道女に反省を促すために使われている部屋であるが、ここは外からしかドアの鍵を開けられないため、牢獄代わりに彼女を押し込めたのである。
自分はこのまま魔女裁判で有罪判決を受け、これまでのそうした魔女達同様、群衆の前で火炙りにされるのだろうか?
そんな最悪な未来しか思い浮かばないが、今の彼女にはもう、何か反論をするような気力も残ってはいない……もう誰も、自分の無実を信じてくれる人間などいないのだ……いや、他人ばかりではない……そんな自分自身でさえも……。
…………だが、すべてを諦めかけたその時だった。
「ずいぶんと素直に無実の罪を認めたものだな……」
不意に、そんな男の声が見上げる窓の外から聞こえてきた。
「……!?」
突然のその声に、虚ろだったメデイアの紫の瞳に瞬間、生気が戻る。
その声には聞き憶えがあった……あの、〝悪魔憑き〟を調査に来たドン・ハーソンの声だ。
「君の部屋の床下から、こんなものを見つけたよ……」
それに気づくのと同時に、今度は窓から何やら黒い塊が彼女の足元へ投げ込まれる。
「……! ど、どうしてこれを!?」
淡い月明かりにぼんやりと照らし出されたそれを見た瞬間、彼女の眼はさらに大きく見開かれる。
それは、真っ黒い革表紙の上に、銀泥で円と五芒星が描かれた一冊の本だった。
「そいつはいわゆる〝影の書〟と呼ばれる、魔女が代々受け継いできた魔術の知識を書き留めたものだろう。他にも
震える瞳で〝影の書〟を見つめるメデイアに、窓から顔を覗かせたハーソンがそんな言葉を投げかける。
じつは彼、彼女の部屋でそれらの品を発見すると〝影の書〟だけを持って床の穴は元に戻し、庭に置いてあった作業用の梯子を拝借してまた壁を乗り越えると、今度は外をぐるりと回ってこの反省部屋の下までやって来たのだった。
馬の背に立って窓から中を覗くハーソンの傍らでは、やはりアウグストが落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を警戒している。
「エルマーナ・メデイア、君は
「……!」
その問いに、心臓を鷲掴みにされたかのような強い衝撃を覚えると、引き攣った顔をさらに強張らせてメデイアは息を飲む。
「教会の言っているような妄想の産物じゃない。悪魔ではなく、古代異教の神を祀る本来の意味での魔女だ。勘違いしないでくれ。別に君が魔女だからといって…否、本物の魔女だからこそ、ここで起きている〝悪魔憑き〟は君の仕業ではないと思っている」
「あなたは、いったい……なぜ、プロフェシア教徒の騎士がそのようなことを……」
普通の人間なら、まず知らないであろう魔女の真実を語るハーソンに、またも驚かされメデイアは思わず譫言のように尋ねてしまう。
「なに、こちらも同じく異教の魔術のご厄介になってる者なんでね……けして悪いようにはしない。正直に話してはもらえないだろうか?」
そんなメデイアに、腰の魔法剣を引き上げてその異教風の柄飾りを見せると、ハーソンはいつになく優しげな微笑みを湛えてそう諭した。
「すべて、お見通しなのですね……わたしはおっしゃられた通り、もとは魔女の術を生業として各地を旅していたロマンジップの一派出身です。北方のネグーラ海沿岸に起源を持つ民族だと聞いております」
本当に悪いようにしないかどうかはわからなかったが、驚くべき彼の博識と洞察力の前に、最早、言い逃れはできないとメデイアは観念して、訥々と自分の過去について語り始めた。
「ですが、ご存知のように魔女は悪魔崇拝者だと誤解され、どこへ行っても迫害を受けます。そこで、一緒に旅をしていた家族が流行り病で亡くなったのを機に、わたしは魔女の道を捨て、プロフェシア教の神に仕える道を選んだのです。それでも、一族の歴史である〝影の書〟と愛着ある魔術道具は捨てられませんでしたけでど……」
「それで、誰にも見つからないよう床下に隠していたという訳か……だが、悪魔憑きは君の仕業ではないのだろう? それなのに、なぜもっと強く否定をしなかった? あれでは認めているように思われても仕方ないぞ」
「それは……もちろん、わたしはあんな惨たらしいことを望んでおりませんが、もしかしたら、彼女達を死に至らしめたのはわたしのせいかもしれないのです……」
その、一番疑問に思っていたことをハーソンが強い口調で問い質すと、メデイアは苦悶の表情を浮かべ、なんだか奇妙な言回しをする。
「自分のせい? ……どういうことだ?」
「わたしが魔女として崇拝していたヘカテー女神は、魔術や月、豊穣の他、冥界――即ち死者の世界を司る女神……わたしの目の前で五人もの修道女の命を奪い去ったのは、信仰を捨てたわたしに対するヘカテー女神の祟りなのかもしれません……だから、わたしが彼女達を殺したも同然なのです……」
眉間に皺を寄せて聞き返すハーソンに、メデイアは頭を抱えると、湿った声で振り絞るようにそう答えた。
「フン。愚かな……それは、魔女を辞めたことに対する後ろめたさと、世間や仲間達が自分に貼ったレッテルの見せているただの幻惑にすぎん。魔女のくせに、そのような
だが、そんな彼女の悲痛な叫びを、冷酷にもハーソンはつまらなそうに切って捨てる。
「本当の魔女である君ならわかっているはずだ。人が勝手に作った教えにただ従うのではなく、この世界をありのままに見つめる曇りなき魔女の眼で、ちゃんと目の前にある真実を見つめるんだ!」
「…! ……魔女の……眼……」
ハーソンのその言葉に、メデイアは自身の心と体を縛りつけていた、まさに
「本来、魔女の使う魔術は、悪魔を呼び出して使役する魔導書の魔術とは系統も理論もまったくの別物だ。君は、取り憑かれた者達の持っていた鎌にシジルが描かれていたと言ったな? だとすれば、この悪魔憑きは明らかに魔導書を使った魔術によるもの……さあ、思い出せ! 他に何か、彼女達に共通する事象はなかったのか?」
「……共通する……何か……」
紫のその瞳に、再び強い意志のようなものを取り戻したメデイアへハーソンはさらにたたみかける。
「例えば……赤い薔薇とか……」
そして、考える何かのきっかけになればと、なんとなく心に引っかかっていたその単語を口にしてみrのだったが……。
「赤い薔薇……はっ! そういえば、犠牲になった修道女達はみんな、赤い薔薇を体のどこかに身に着けていたように思います……いいえ! 確かに身に着けていました!」
「なに!? それは
思わぬメデイアの返答に、ハーソンは小窓に食いつくように身を乗り出す。
「赤い薔薇……おそらくはここの中庭に咲いているものだろう……あの薔薇は、誰でも自由に手折ってよいものなのか?」
「いいえ。薔薇を含め、中庭の草花も修道院の財産ですので、勝手に取ることは許されず、たとえ薔薇一輪でも院長の許可をいただかないと……」
「……そうか。そういうことだったのか……いや、だんだんと見えてきた……しかし、だとすれば、先刻、彼女の持っていたあの薔薇も……」
重ねて尋ねたハーソンは、メデイアの説明にある推論へ到達するとともに、そのことによって嫌な予感が胸中に湧き上がってくる。
「しまった! エルマーナ・ベルティが危ない!」
しかし、ハーソンが今さらながらにようやく彼女の身の危機に気づいた時のことだった。
「キャアァァァァーっ!」
突然、絹を劈くような悲鳴が夜の修道院内に木霊する。
「…!? い、今の悲鳴は!?」
「チッ…遅かったか……アウグスト! もう一度、院内へ戻る! 彼女のことを頼んだ!」
外で何が起きてもわからない状況にいるメデイアも、それ故にその悲鳴にはいっそう強く驚きを顕わにするが、外のハーソンはそれを無視してアウグストにそう告げると、再び壁を飛び越えて急いで悲鳴の聞こえた中庭の方へ向かって行った――。
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