Ⅲ 悪魔の契約書(3)

「――いいえ! そんなものに見覚えはありません! そのサインもわたしの書いたものではありません!」


 食堂にぎっしりと押し込まれた大勢の修道女達が見守る中、ベルティに悪魔との契約書を突きつけられたメデイアは、驚きを隠しきれない様子でその事実をきっぱりと否定する。


「嘘をおっしゃい! これは、あなたが魔女である明らかな証拠! 最早、言い逃れはできませんことよ!」


「そんな……これは何かの間違いです! わたしは、わたしは魔女なんかじゃ……」


 まるで聞く耳を持たないベルティに、改めて事実無根であることを主張しようとするメデイアであったが、途中でその声はトーンダウンし、終わりまで告げずに途切れてしまう。


 見れば、周りを取り囲む大勢の修道女達は明らかに疑念の眼で…否、すでに彼女が魔女であることを確信している眼でメデイアのことを冷たく突き放すように見つめている。


 そんな皆の反応に、いくら否定したところで無駄だと悟ったのか、あるいは本当に魔女であったのか、それとも、もっと何か違う理由があるのか……いずれにしろ、意外にもメデイアはもうそれ以上、強く否定することはなく、紫の瞳で床を見つめたまま押し黙ってしまった。


「否定しないということは、ようやく認めたようですわね。これで魔女決定ですわ」


「エルマーナ・メデイア、わたくしはあなたが魔女だなんて、いまだに信じられないのですが、こうなっては致し方ありません。教会の規定により、この司教区の大司教レオパル・シュモン様立会いのもと、異端審判士による魔女裁判を受けてもらいます。ドン・キホルテス、ここからは教会の領分です。それでよろしいですね?」


 蔑むような眼を向けて断定するベルティの背後で、グランシア院長はメデイアにそう告げると、ハーソン達の方を振り向いて確認を取る。


「ええ。我々の受けた任務はあくまで調査ですので、その後のことはお任せいたします」


 その問いに、ハーソンはメデイアのことを見つめながら、どこか気のない様子ながらも、あっさりとグランシア院長の意見を受け入れる。


 一方、アウグストは、そんな彼の言葉を耳にすると、意外だというようにその感情の読めない顔を驚いて見つめる。


「では、それまでの間、逃亡や証拠隠滅の恐れがあるため、エルマーナ・メデイアには一応、反省部屋・・・・に入ってもらいます。エルマーナ・メデイア、よろしいですね?」


「はい……」


 続いて、再び彼女の方を向き直り、いつも以上に厳しい声で尋ねるグランシア院長に、メデイアはなおも俯いたまま、か細い声で短くそう答える。


「その潔さだけは認めますわ。さ、ついてらして、エルマーナ・メデイア……いいえ、魔女メデイア!」


「………………」


 そして、偉ぶった官憲の如き態度で引き立ててゆくベルティに従い、メデイアは黙ってとぼとぼとその後について行った――。




「――これで事件も解決ですな。我々の出る幕はなまるでありませんでしたが……」


 傾いた西日のオレンジ色が、立ち並ぶ円柱の隙間から射し込む長い回廊を正門の方へ向かいながら、となりを歩くハーソンにアウグストが呟く。


 その後、ハーソン達も参考人として魔女裁判に出席するため、今後のことをグランシア院長と相談し合い、それから今回の労いにささやかながらもパンとスープの遅い昼食をご馳走になった二人は、とりあえず今日のところは帰途につくこととなった。


「いいや。我々の出番はこれからだ。アウグスト、君はエルマーナ・メデイアが本当に〝悪魔憑き〟の犯人だと思うかね?」


 だが、予想外にもあっさりと犯人が判明し、なんとなく消化不良気味のアウグストにハーソンはそんな言葉を返す。


「ええっ!? で、ですが、先程は後のことをグランシア院長に託すと……」


「あれは方便さ。本当の敵・・・・を油断させるためのな」


 驚いてハーソンの方を振り向き、思わず目を丸くするアウグストに、ハーソンはまるで悪びれる風もなく、さらっと言って退ける。


「し、しかし、あの悪魔との契約書は……それに、毎度、悪魔憑きの第一発見者だったというのも怪しいですし……」


「なあに、あんなものは誰にでも偽装できる。血文字も鶏か何かの血を使ったんだろう。そんな決定的証拠となるようなものを、利発な彼女がすぐ見つかるようなベッドの下なんかに隠していたというのも疑問だ。それにそもそも、悪魔と契約するのに契約書など必要ない。口約束だけですむ話だ」


 すっかりハーソンも納得しているものと思い込んでいたアウグストは、呆気にとられて反論を口にするが、それも彼はバッサリと切り捨ててしまう。


「そ、それでは団長は、エルマーナ・メデイアが魔女ではないとお考えで?」


魔女・・か……まあ、それはある意味、真実かもしれんがね……だが、悪魔を操っている犯人は別にいる。昨日、話を聞いた時の感じからしても、彼女が悪魔憑きと関係しているようには思えなかった。エルマーナ・メデイアは、文字通り犠牲スケープ・ゴートにされたのさ」


 さらにアウグストが焦りを覚えつつ、その考えを確かめようとおそるおそる尋ねると、ハーソンはますます彼を混乱させるような意味深長なことを言って、不敵な笑みをその口元に浮かべるのだった。


「毎度、偶然にも第一発見者になったことで白羽の矢が立ったんだろう。彼女の天性の勘の良さが災いしたな。まずは、我々独自でもう一度調べてみる必要がありそうだ……ん?」


 そして、なにやら強い意志をその碧の瞳に映し、そう口にした時だった。


「……フフフフ~ン♪ あの方から頂いた美しいこの薔薇……スー……ああ、なんて素晴らしい香りなのかしら。あの方のためだったら、わたくし、地獄に堕ちたってかまいませんわ……」


 前方より、一輪の赤い薔薇を大事そうに両手で握り、鼻歌混じりにスキップしてくる上機嫌なベルティと鉢合わせした。


 先刻見た、生真面目で厳格そうな監察係の彼女とはまるで別人のような雰囲気だ。


「……ハッ! こ、コホン……こ、これはドン・ハーソンとドン・アウグスト、もうお帰りですの? 今回は預言皇庁直々のご任務、どうもご苦労さまでした」


 意外な彼女の姿に多少の驚きを持って二人が見つめていると、彼らに気づいたベルティはひどく慌てた様子で、一つ咳払いをすると先刻と同じツンとした態度を取り戻す。


「ああ、これはどうも。いたみいります……なんとも綺麗な薔薇ですね。ここの庭に咲いているものですか?」


 なにやら見てはいけないものを目撃してしまったようなので、そのことにはあえて触れず、誤魔化す彼女に合わせて労いの言葉に謝意を示すと、ハーソンは薔薇の方へ話題を持ってゆく。


「ええ、もちろんこの修道院の庭のものですわ。でも、これは他のものとは少し違う特別なものでしてよ……スー……ああ、なんと甘美な……ハッ! そ、それではお二人とも、ごきげんよう……」


 すると、ベルティは自慢げに胸を張ってそう答え、再び薔薇の香りを嗅んで思わず恍惚の表情を浮かべると、直後、そんな自分に気づいてまたも慌ててはぐらかし、逃げるように挨拶をしてその場を去ってゆく。


「……薔薇がそんなに好きなんですかね?」


「さあな……特別な、真っ赤な薔薇か……」


 そのまま速足で静々と遠退いてゆくも、途中からまたも思わずスキップを踏んでしまっている彼女の後姿を見つめ、アウグストとハーソンは怪訝な顔で小首を傾げた――。


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